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三崎亜記『街の記憶』&三羽省吾『1620』

2015-11-22 07:20:00 | ノンジャンル
 2010年4月に刊行された『スタートライン 始まりをめぐる19の物語』に収録された、三崎亜記さんの『街の記憶』と三羽省吾さんの『1620』を読みました。
 『街の記憶』で、僕は取引先への出張帰り、思ったより早く打合せが済んだので、見知らぬ街を歩いてみるのも面白いと思い、タクシーを停めてもらう。雨傘をコンビニで買った後、そのコンビニがあることを知っていたことに気付き、以前この街に住んでいたことを思い出し、自分の住んでいた部屋を訪れるものの、やはりそこには住んでいなかったと思う。僕はたまたま、降りるはずのない場所でタクシーを降りてしまったから、僕が歩んでいたかもしれない人生を、垣間見てしまったのではないだろうか。さっきまであれほど鮮明だったこの街での記憶が、次第に薄らいできていることに、僕は気付いていた。踏切の遮断機が上がり、僕の横を通り過ぎていく、見知らぬ顔、見知らぬ顔、そして……。思いよりも先に言葉が出た。「郁美……さん?」「あの、失礼ですが、どこかでお会いしましたでしょうか?」「あ……すみません。人違いでした」「そうですか。でも、名前まで同じなんて、偶然ですね」僕が言葉につまり、彼女の笑顔を見つめて立ち尽くしていると、警報機が鳴り出した。踏切の中央で話していた僕たちは、あわてて、それぞれの進む方向へと分かれた。「郁美……」彼女は、この街に住んでいた僕の、恋人だった。彼女の左手の薬指には、指輪があった。そして、それは僕も同様だった。もしこの街で暮らしていれば、僕たちは結ばれ、二人でこの街に住んでいたのかもしれない。その思いを引き裂くように、電車が横切った。遮断機が上がると、もう、彼女の姿はなかった。目の前には、見知らぬ、そしてどこにでもある街の風景が広がっていた。いつの間にか、雨は上がっていた。僕は傘をたたんで、駅に向けてゆっくりと歩き出した。
 『1620』で、我が家の浴室は1620タイプ、つまりユニットが幅1.6メートル×奥行2.0メートルある。大人でも浴槽で脚を伸ばせるサイズだ。「家族揃って、でっかい風呂に入るのが夢なんだ」夫のその言葉で、マンションを買う時に浴室の広さだけは譲らなかった。夫の夢は叶ったが、僅か二年ちょっとで終わった。離婚の原因は一つや二つではない。でも、私が彼の希望を受け入れられず働き詰めだったことが一番大きかったと思う。マンションは私の名義になり、アツシの親権も私が貰った。そして三年が経った。私、三十二歳。ますます仕事に励む今日この頃。アツシ、六歳。ただいまマジレンジャーに夢中。離婚直後、私は自分でも驚くほど解放感に満ちた気分だった。同時に、アツシに寂しい思いをさせてはいけないと強く思うようになった。
 大出クンは大学時代の後輩だった。二年前、サークルの同窓会で再会した。「先輩、変わりましたよね。なんて言うか、男前になりました」そんな冗談を言う彼だから、頻繁に食事し、何でも話す間柄になるまで時間はかからなかった。「自分ら、ちゃんと付き合わないッスか?」だから、ちっとも飾りのない大出クンのその言葉は、無防備だった私の胸にダイレクトで突き刺さった。
 「お母さん、どうしたの?」浴槽で膝を抱えていた私を見て、アツシが心配そうに訊ねた。私は少し考えて、答えた。「あのね、実はお母さん、マジブルーなんだ」「うそ!」マジレンジャーには赤・青・黄・桃・緑の五人がいて、青はマジブルーという。しかも女性。「本当にマジブルー?」「うん、かなり重度のマジブルーだね」「どんな敵と戦ってるの?」「冥獣ダジャレカチョーとかセクハラブチョーとか」「変な名前。強い?」「そいつらはたいしたことないけど、冥府神オーイデって奴がけっこう手強い」「うそ、ウルザードくらい強い?」「うん、ツキアワナイッスカっていう卑怯な魔法を使うんだ」「ふーん。そいつ、巨大化する?」「えぇと……たぶん、するね。部分的に」アツシはどこまで分かっているのか不明な笑顔を見せると、ぽつりとこう呟いた。「お母さんがホントにマジブルーだったらねぇ、未来予想が出来る筈だよ」
 一年が経った。アツシは小学生になった途端にマジレッドを手放した。同時に、たまにしか私と一緒にお風呂に入ってくれなくなった。私の方は相変わらず、未来予想も出来ないまま、大出クンとは付かず離れずの関係を続けている。だけど、臆病になっていることを認めたあの日から、少なくともマジブルーであることだけはやめることが出来たような気がする。一人で入るようになって尚更広く感じる1620で、温めのお湯に包まれながら、私はまんざら悪い気分でもない今日この頃だ。

 どちらも10ページ足らずの分量ながら、独特の味わいのある作品でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/