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山中恒『すっきりわかる「靖国神社」問題』その3

2015-11-02 07:33:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 「(前略)吉田松陰は(中略)次のように説きました。『ロシア・アメリカと条約を結んだ上は両国の前ではネコをかぶり、相手が気をゆるしたら、そのすきに満州をとり、ロシアを圧迫し、朝鮮を日本のいうままにさせ、清・東南アジアをとってインドを襲え。これらのうちで一番弱いところからとれ。これは日本が世界萬世に引き継ぐ大業である』と」、「靖国神社は、安政の大獄で処刑された吉田松陰・橋本左内たちを祀っています」、「甲午農民戦争を鎮圧した日本軍は、近代的な兵器を使用して、容赦のない殺戮を行い村を焼き払いました」、「日本軍によって殺された朝鮮の農民は4万とも5万ともいわれており、とにかく農民軍死傷者数は膨大なものでした」、「実は日本軍は1874年(明治7年)に、台湾に漂流した日本人や琉球人の漁民を殺した台湾島民を征伐するという理由で、台湾征伐軍を派兵しました。そのときも台湾住民の激しい抵抗にあい、戦死者12名、疫病による病死者562人を出しました。この数字は、武器や食糧の補給や、衛生管理や疾病対策をおろそかにした結果でした」、「1896年3月に台湾総督府条例を公布して、軍政から民政へ移しました。台湾総督府は住民の生活習慣や伝統や文化を無視し、住民たちを差別して弾圧しました。1898年から1902年までに、日本は、抗日叛徒1万2000人を、処刑もしくは殺したことを公式に認めたと『日清戦争』(1973年・藤村道生・岩波新書)が書いています」、「日清戦争は日本にとって初めての対外大戦争でした。(中略)日清講和条約直後の1895年5月30日までの死亡者は2647名で、戦争の全期間の約2割にすぎませんでした。死亡者全体の76%(1万236人)は、台湾占領戦で病死しました」、「第一次世界大戦で敗戦したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世を戦争犯罪人として裁こうとした歴史的事実の延長戦上に、日本のA級戦争犯罪人があるのです。突然連合国が勝者の奢りでいいだしたわけではありません」、「陸軍は創設当時から補給を軽視していました。今日でもその傾向があり、補給活動や後方支援なら安全だと勘違いしている人がいます」、「戦争状態が終了すると国家間の関係は平和な状態に戻りますが、政府も国民も戦争の終了=敗戦前の日本に戻ることと解釈したようです。たちまち明治以来の『唯神の道』が復活します。講和後初の例大祭に首相の吉田茂は、モーニング姿で昇殿して参拝しました。首相に続いて衆参議院議長、閣僚などが参拝しました。これは戦前の正式参拝そのものでしたが、誰も何もいいませんでした」、「1975年2月、自民党の藤尾政行議員は、宗教法人靖国神社を最終的には国家護持にするために次のような内容の『表敬法案』を発表しました。①天皇および国家機関員などの公式参拝、②外国使節の公式表敬、③自衛隊儀仗兵の参列参拝、④国民の支持を得られるように合祀対象を広げて、警察官や消防官なども対象にする。ここで初めて『公式参拝』という言葉が登場しました」、「神社は穢れを忌むので、喪に服している者や生理中の女子は、自発的に参拝を遠慮することになっています」、「1991年1月10日、仙台高裁は天皇・首相の『公式参拝』などを違憲とする判断を示しました」。
 今まで知らなかったことが多く書かれている本でした。高市総務大臣を始めとして、靖国神社への公式参拝を続ける超党派の国会議員の方たちは、上記のような事実を把握した上で、参拝しているのでしょうか? もし把握しているのなら、天皇国家主義者、戦争主義者、帝国主義者というレッテルを貼られても仕方がないと思います。代表して高市総務大臣へ。返答を求めます。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/