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うれし涙を見るために・・・芽育学院

みんなの《うれし涙》を見るために・・学院長がソウルする!
 《うれし涙》こうして流す。
  《うれし涙》家族で流す。

時間泥棒

2010-10-14 13:58:52 | カズナリ先生より

この頃何だか時間を奪われているような気がします。
ミヒャエル・エンデも多分そんな気持ちがして、『モモ』を書いたんでしょう。
アインシュタインもなんか思うところあって、相対性理論立てたんだろう。
(ミヒャエル・エンデは作家です。モモも映画になりましたが、
 有名なのは『ネバー・エンディング・ストーリー』。機会があれば見たり読んだりしてみよう。)


『モモ』の中では、時間を奪っていく【時間泥棒】がいますが、
私の周りには時間泥棒ではなく、時間強盗団がいるのでしょう。
そして、私の場合、時間を奪われたと思ったら、疲労もやって来ます。
知らぬ間に、私は奴らにボコボコにされているんでしょう。

それにしても時間ってのは残酷なもので、
再生と早送りしかないんですね。

コマ送り状態は、自分が瀕死の瞬間に現れるらしいですが、
巻き戻しと一時停止はないわけです。

「あーあの時こうしておけばよかったな」、という後悔。

時の巻き戻しが無いので、後悔は生まれるのですね。
全く改善不可能なことを思い起こそうとするから、苦痛なわけです。


または、実際の時間は動いているのに、自分の周りだけ無理やり時間を一時停止の状態にもっていく。
そういう状態を、モラトリアムとか自分探しなどの言葉で表したりしますね。

例えば、旅に出たり親のスネかじってみたり。
ちょっと街角でギターかき鳴らしてみたり反戦運動してみたり。

そうして結局、自分の中にしか自分はいないんだなぁとかありきたりの結論を見出したりして。
加えて他人と触れ合う中で自分を見出そうと思ったら余計自分が見えなくなって、「もういいや」なんて思ったり。

結局のところ、俺は俺なんだと、屈折したジャイアニズムに目覚めてしまい、
回りの人々の感性や時間を逆に凍らしてしまったり。
よく聞く話です(笑)

まぁ、それらの事実が分かったことが、自分というものがよく分かったということなのだ、という人もいます。

まーなんだかんだで、そんな自分探しをした後は、倍速で人生を送ることが常です。
皆に置いていかれてますからね。時間ってのは残酷です。

ただ、幸せなこともあります。
時間はどんどん前に進むので、昔のことを忘却のかなたへ持っていってしまうのです。

病気や失恋や仕事などの過ぎ去った苦痛。
徐々に忘れていきます。
時々思い出したりしますが、時の法則に対して非合理的なことだから苦しいだけ、とか思うと笑えるようになります。
笑(わろ)とけ笑(わろ)とけの精神ですね。

「過去」と言う言葉がありますが、しみじみカッコいいと思います。
「すぎさる」と書いて、昔のことです。

「未来」は「まだこない」と書いて、先のこと。
これもカッコいい。

「現在」は「うつつにある」か。うむうむ。

「時間」は「ときのはざま」と書きますね。
ということは、「時間」という語を編み出した人は、

「時には始まりがあり終わりがある」

という概念を持っていたということになります。

人の一生をみてそう思ったのか。果たしてもっと壮大な物事を考えた上で、「時間」と言う語を作ったのだろうか。
そんなことを考えるととても面白いです。
でも反面、時間が思いっきり盗まれてしまうのです。

いやはや参ったものです。

私の駄文であなたの時間を何分か盗めたでしょうか。
小者な時間泥棒になれたでしょうか。
考えてみれば、人はみんな時間泥棒なんですねぇ。