前回の京都府に入ってから、さらに1時間ぐらい走って到着したのは、今回の目的地である「加悦SL広場」です。
ここは、かっての加悦鉄道の終点駅ですが、1985年に加悦鉄道が廃止された後は、加悦鉄道で使われた車両や、JR(国鉄)などから払い下げられた車両が展示されています。
駐車場のところには、1895年(明治28年)の路面電車が展示されています。詳しくは説明パネルを参照です。
では、中に入ってみましょう。かっての駅舎を利用していますので、キップを買うように入場券を買い求めます。
入場券は、厚紙の硬券キップです。この凸のカットは、かっての国鉄明石駅と同じです。駅ごとにカットの形が違い、どこから乗車したのか一つの目安となりました。
2階は資料展示室になっています。ちょっと行ってみましょう。
展示室はこんな感じ、
この中で、一枚の写真に目が留まりました。迷彩塗装が施されたSLです。1952年(昭和27年)といえば、太平洋戦争が終わって7年が経過していますが、戦時中に敵機に発見されないよう軍の指示で迷彩塗装が施されたのでしょう。九七式中戦車のような迷彩塗装です。
ターンテーブルにラッセル車、さらにSLへの給水塔が、かっての駅構内そのものです。
ざぁ~と展示車両をどうぞ。一台ずつ紹介すると、紙面が尽きるので割愛します。(笑)
今回、見たかったC58とC57です。しかし痛みが激しく・・・早急に補修が必要です。
痛んだSLを撮影するのは心も痛みます。そこで往年の雄姿をイメージするため、あえてセピア色で撮りました。
他に見たかったのはラッセル車です。真正面から見ると、何か鉄人28号ですね。
このラッセル車の説明パネルです。
ラッセル車は内部にも入れます。狭い車内の中で、除雪運転が行われていたんですね。
車内には、暖房用の小さな石炭ストーブもあります。
運転席です。たくさんのレバーがあり、操作が難しそうです。
こんなシーソー式のトロッコもありました。シーソー式のトロッコで、映画「小さな恋のメロディ」のラストシーンを思い出す方は、私と同世代です。(笑)
撮影はGX7+20mm単焦点レンズですから、キレイな花の写真を・・・背景がボケ過ぎて、SLか何か分からない写真になりました。
最後に木製ラッチです。こいつもセピア色が似合います。
家族連れが増えてきましたので、少し早いですが加悦SL広場を後にしました。やはり乗物は動く姿を見ないと面白くありません。そんなところで、次に向かうのは最寄りの京都丹後鉄道の駅です。加悦SL広場を早く出発したことがラッキーとなります。
ここは、かっての加悦鉄道の終点駅ですが、1985年に加悦鉄道が廃止された後は、加悦鉄道で使われた車両や、JR(国鉄)などから払い下げられた車両が展示されています。
駐車場のところには、1895年(明治28年)の路面電車が展示されています。詳しくは説明パネルを参照です。
では、中に入ってみましょう。かっての駅舎を利用していますので、キップを買うように入場券を買い求めます。
入場券は、厚紙の硬券キップです。この凸のカットは、かっての国鉄明石駅と同じです。駅ごとにカットの形が違い、どこから乗車したのか一つの目安となりました。
2階は資料展示室になっています。ちょっと行ってみましょう。
展示室はこんな感じ、
この中で、一枚の写真に目が留まりました。迷彩塗装が施されたSLです。1952年(昭和27年)といえば、太平洋戦争が終わって7年が経過していますが、戦時中に敵機に発見されないよう軍の指示で迷彩塗装が施されたのでしょう。九七式中戦車のような迷彩塗装です。
ターンテーブルにラッセル車、さらにSLへの給水塔が、かっての駅構内そのものです。
ざぁ~と展示車両をどうぞ。一台ずつ紹介すると、紙面が尽きるので割愛します。(笑)
今回、見たかったC58とC57です。しかし痛みが激しく・・・早急に補修が必要です。
痛んだSLを撮影するのは心も痛みます。そこで往年の雄姿をイメージするため、あえてセピア色で撮りました。
他に見たかったのはラッセル車です。真正面から見ると、何か鉄人28号ですね。
このラッセル車の説明パネルです。
ラッセル車は内部にも入れます。狭い車内の中で、除雪運転が行われていたんですね。
車内には、暖房用の小さな石炭ストーブもあります。
運転席です。たくさんのレバーがあり、操作が難しそうです。
こんなシーソー式のトロッコもありました。シーソー式のトロッコで、映画「小さな恋のメロディ」のラストシーンを思い出す方は、私と同世代です。(笑)
撮影はGX7+20mm単焦点レンズですから、キレイな花の写真を・・・背景がボケ過ぎて、SLか何か分からない写真になりました。
最後に木製ラッチです。こいつもセピア色が似合います。
家族連れが増えてきましたので、少し早いですが加悦SL広場を後にしました。やはり乗物は動く姿を見ないと面白くありません。そんなところで、次に向かうのは最寄りの京都丹後鉄道の駅です。加悦SL広場を早く出発したことがラッキーとなります。
しかしさすがに雨ざらしなので、傷みはひどくなる一方でしょうね、これだけの施設ですからその辺りも考えて欲しいですね。
珍しい車両がきれいに残っているのも整備をしっかりされてるからでしょう。
キ100の中は思ったよりあっさりしていましたが、羽を動かす動力は配管から圧搾空気を通して動かしてるのかな?なんていろいろ考えてましたよ(^^)
日にちと時間が合えば動いてるディーゼル車両がありますよ♪
自宅付近ではまずお目に掛かる事がないので
珍しいです・・と言いまか我々の世代では鉄人ですね。
プレートを拝見すると昭和二十一年製とあるので終戦の
翌年に作られたとは、いささか驚きがございます。
お花の写真に一票ですが希望として
ローターリー除雪車と言うのも拝見してみたいです。
あ、ラッセル車って大きなアイロンにも見えますね・・(笑)
ヤッパリ、走る姿を見てみたいです~・・・(^^)
初めて訪れた時に、入り口の門のてっぺんにあった小さな列車がとてもかわいかったのを覚えています♪
面白いところですよね!
今週末は休めそうなので北へ行ってみたいと
思っています!
道の駅「シルク」は、シルク入りソフトクリームと言うのが・・・食べても分かりませんでしたが・・・笑
誰に逢えたのかな???
迷彩模様のSLって初めて見ました。
黒山のようなラッセル車がすごい迫力。
これは見応えある施設だったようですね。
特に痛みが激しいのは、私の好きなC57とC58でした。サビを落として塗装して欲しいところですが、あまりベタベタに塗り過ぎると単なる鉄の塊になります。
このあたりが難しいですね。何にしても乗物の管理は費用と手間がかかるものです。
terayanさん、一度だけでは見きれないです。もう一度、ゆっくりと見て回ろうと思っています。
このラッセル車(キ100系)ですが、仰るように圧縮空気でサイドの雪かき板(魚のエラのようなもの)を開閉します。屋根の上に円筒形のレシーバータンク(空気貯め)が、いくつか設置されていますね。
ラッセル車自身は自走できないので、照明の電気ぐらいはSLやディーゼル機関車から供給できますが、例えば油圧となれば大電流の電源を供給できないからでしょう。圧縮空気を使うのは、当時の知恵が感じられます。
ソニークロケットさん、太平洋側に住まれている方には見たことが無いラッセル車ですね。除雪板が開閉する最近のラッセル車は、日本海側に行けば見かけますが、このアイロンタイプは貴重です。まあ確かにアイロンです。(笑)
かき氷器のようなロータリー式は、本では見たことがありますが実車では見たことが無いです。
私の想像ですが、ロータリー式は雪を遠くまで飛ばすことから、線路脇の土地所有者からクレームが入るので、少なくなったかもしれませんね。
グッチさん、この加悦駅で車両の点検などを行っていましたので、車両基地のようになりますね。現在でも、クレーンを備えた点検工場がありました。
確かに乗物は動いてこそ値打ちのあるものです。現在、京都の梅小路で日本最大の交通博物館を建設中ですが、完成すればSLなどが走る姿を見れるようになるでしょう。
310さん、昭和のことは十分にご存知だと思いますが・・・(笑)
小さな列車とは、写真のSLのことでしょうか。青く塗れば、機関車トーマスですね。
keiさん、SLもそうですが、初めて見る気動車なども展示されており、へぇ~なんて感じで見ていました。写真のシーソー式のトロッコには笑ってしまいました。
今週末ですが、何とか天気となる予報です。北ということは日本海側でしょうか。私はGWに行こうかな?と思っています。
T2さん、もし時間が許せば食堂車でお昼ご飯を食べて、もっとゆっくりしていたと思います。
道の駅シルクは、このSL広場の道向かい側ですね。次回に紹介しますが、同じようにシルク系を食べました。
逢えたのは青赤さんです。それに丸い顔の方も・・・結構、興奮しました。(笑)
ピィさん、明治28年といえば、今から120年前の1895年。出来事的には日清戦争の後の下関条約の年です。その年、日本で初めて京都(なぜ京都なのか不思議)で路面電車が走ったとは感慨深いものがあります。
迷彩塗装のSLですが、加悦鉄道そのものがニッケル鉱石を運ぶ軍需産業の一部でしたので、陸軍仕様に塗られたのでしょう。濃緑色にカーキ色の模様だと思います。
ラッセル車は弩迫力です。内部も入れて、子供の頃に絵本で観たラッセル車の秘密が分かりました。