2/27(火)は、VINO(ビーノ)に乗ってお出かけ。到着したのは、明石文化博物館。本当はADV150で姫路方面に行きたかったのですが、北風が強く寒いので挫折。^^
こんなパスポートがあるので、私は入館料無料です。(^^)
こちらに来たのは、毎年恒例の「くらしのうつりかわり展」が開催されているため。ちなみに私は、毎年、見に来ています。
ちなみにVINO(ビーノ)ですが、最近はバッテリーが弱っている感じ。力強くセルが回りません。購入して32か月。オドメーターは、こんなところ。
まあキックが付いているので、最悪、キック始動ですが・・・されど、未だかって一度もキック始動したことがありません。来月ぐらいにバッテリー交換でしょう。
さて、入館です。目の前には、播州地方の秋祭りに登場する布団屋台。
続いて、時代の移り変わりを物語る冷蔵庫。左の木製冷蔵庫は電気ではなく、大きな氷を入れる保冷庫。
そして右側は洗濯機ですが、上下のローラーの間に洗濯物を通して、脱水するために回すハンドルが付いています。上手く水気が取れなかったですが、私の記憶では1970年頃まであったと思います。
足踏み式ミシン。亡母の嫁入り道具で、我家にも長らくありました。
電話機。さすがに右側の電話機は記憶にありませんが、左の黒電話は、私が中学時代まで我家にありました。
左側のTVは1960年代半ばであり、その後、右側の家具調TVとなりました。私がカラー放送の「巨人の星」や「タイガーマスク」を観ていたのは、右側の家具調TVです。
それでは、企画展示を見て行きましょう。
昨年度までは撮影禁止でしたが、「写真ぐらいエエやろ」という要望が強く、今回から撮影可能となったとか。されど「SNSにはUPしないでください」という条件付き。^^
う~ん、ブログはSNSなんでしょうか(^^)。とりあえず3/17で展示会も終了しましたので、「もういいかな?」で紹介します。
先ずは教科書。こちらは、明治時代の教科書。当時の印刷技術や紙質が伺えます。
こちらは、明治時代末期~大正~昭和初期の教科書。表紙が付き、一部がカラー印刷されています。
戦後、間もない頃の教科書。段々と、製本化されているのが分かります。
私の小学校時代に近い教科書。当然ことながら、全く憶えていません。(^^)
続いて、机と椅子。私の場合、小学4年生まで左の木製机と椅子。5年生になって、やっとパイプ机と椅子になりました。真新しいパイプ机と椅子が、嬉しかったことが思い出されます。
右側の、セルロイドの筆箱と下敷きが懐かしく。しかし、よく割れました。^^
小学校の給食。右の昭和45年は、私の時代そのもの。
メンコ(べったん)とウルトラマンカードで、よく遊びました。油を浸み込ましたメンコ(べったん)は反則だろ!と、子供ながらに思ったものです。
アメやお菓子を買った子供だけ見れる、紙芝居は記憶に無く。代わりに、「ロバ(実際は木曽馬)のパン屋」は見かけました。
この後は、明石の歴史を紹介する常設展示室です。大きなアカシゾウの骨格。もちろんレプリカですが、約200万年前に生息したと言われています。
明石原人の紹介。明石の海岸で腰骨の化石の一部が、戦前に見つかりました。約4万年前と言われていますが、化石は東京大空襲で焼けてしまい、真偽は定かではありません。
安土桃山時代の明石。最初に明石を収めたのは髙山右近ですが、秀吉が天下を取ってからは、キリシタンであることから追放されました。木が生い茂っているのは船下城。最初に明石を収めた城です。現在も、こんな状況で残っています。
明石市が創立した頃の写真。1919年(大正8年)に、市制施行となりました。
時代は進み、昭和時代の明石。現在も入館者が多い天文科学館は、1960年に開館。右上の新幹線は、1972年の山陽新幹線(当時は、新大阪~岡山)開業時、西明石駅での様子。
こんな感じで明石文化博物館の見学も終え、続いて到着したのは「魚の棚」。大漁旗の飾り付けです。
久しぶりに、「玉子焼」(明石焼)でも食べましょう。私的に一番美味しいと思うのは、パピオス明石の「松竹」ですが、
この度は、魚の棚の「たこ磯」です。
こちらにはタコだけではなく、焼穴子も入ったミックスがあるのが嬉しい。されど、お値段高め。^^
玉子焼とたこ焼きの区別が付かない方もおられますが、作り方からして全く違う代物。たこ焼きや鋳鉄の焼器で焼いて、千枚通しのような鉄具でひっくり返しますが、玉子焼は銅板の焼器で焼いて、竹や木の箸でひっくり返します。(銅板の焼機に傷を付けないため)
この画像の女性のように、木のお箸でひっくり返します。
出てきました。黄色四角のトンカツソースもテーブルに置かれていますが、せっかくの美味しい出し汁。出し汁が濁るので、私はソースは使いません。(ソース反対派の私)
ミックスには、タコと焼穴子が入っています。私的にはタコよりも焼穴子の方が、玉子焼に合うと思います。
熱々の玉子焼を食して暖まり、最後に銀行に行って新札と両替して帰宅。なぜ新札?ですが、この祝袋に入れるため。
自分の息子に出産祝?でしたが、周りの方にお聞きすると「したで」とのこと。まあ孫への最初のお小遣いでしょう。(^^)
で、3/7に無事男の子が生まれました。名前は「RIHITO」(漢字は内緒)。次回は、初孫の顔を見に行った千葉行きを紹介します。
こんなパスポートがあるので、私は入館料無料です。(^^)
こちらに来たのは、毎年恒例の「くらしのうつりかわり展」が開催されているため。ちなみに私は、毎年、見に来ています。
ちなみにVINO(ビーノ)ですが、最近はバッテリーが弱っている感じ。力強くセルが回りません。購入して32か月。オドメーターは、こんなところ。
まあキックが付いているので、最悪、キック始動ですが・・・されど、未だかって一度もキック始動したことがありません。来月ぐらいにバッテリー交換でしょう。
さて、入館です。目の前には、播州地方の秋祭りに登場する布団屋台。
続いて、時代の移り変わりを物語る冷蔵庫。左の木製冷蔵庫は電気ではなく、大きな氷を入れる保冷庫。
そして右側は洗濯機ですが、上下のローラーの間に洗濯物を通して、脱水するために回すハンドルが付いています。上手く水気が取れなかったですが、私の記憶では1970年頃まであったと思います。
足踏み式ミシン。亡母の嫁入り道具で、我家にも長らくありました。
電話機。さすがに右側の電話機は記憶にありませんが、左の黒電話は、私が中学時代まで我家にありました。
左側のTVは1960年代半ばであり、その後、右側の家具調TVとなりました。私がカラー放送の「巨人の星」や「タイガーマスク」を観ていたのは、右側の家具調TVです。
それでは、企画展示を見て行きましょう。
昨年度までは撮影禁止でしたが、「写真ぐらいエエやろ」という要望が強く、今回から撮影可能となったとか。されど「SNSにはUPしないでください」という条件付き。^^
う~ん、ブログはSNSなんでしょうか(^^)。とりあえず3/17で展示会も終了しましたので、「もういいかな?」で紹介します。
先ずは教科書。こちらは、明治時代の教科書。当時の印刷技術や紙質が伺えます。
こちらは、明治時代末期~大正~昭和初期の教科書。表紙が付き、一部がカラー印刷されています。
戦後、間もない頃の教科書。段々と、製本化されているのが分かります。
私の小学校時代に近い教科書。当然ことながら、全く憶えていません。(^^)
続いて、机と椅子。私の場合、小学4年生まで左の木製机と椅子。5年生になって、やっとパイプ机と椅子になりました。真新しいパイプ机と椅子が、嬉しかったことが思い出されます。
右側の、セルロイドの筆箱と下敷きが懐かしく。しかし、よく割れました。^^
小学校の給食。右の昭和45年は、私の時代そのもの。
メンコ(べったん)とウルトラマンカードで、よく遊びました。油を浸み込ましたメンコ(べったん)は反則だろ!と、子供ながらに思ったものです。
アメやお菓子を買った子供だけ見れる、紙芝居は記憶に無く。代わりに、「ロバ(実際は木曽馬)のパン屋」は見かけました。
この後は、明石の歴史を紹介する常設展示室です。大きなアカシゾウの骨格。もちろんレプリカですが、約200万年前に生息したと言われています。
明石原人の紹介。明石の海岸で腰骨の化石の一部が、戦前に見つかりました。約4万年前と言われていますが、化石は東京大空襲で焼けてしまい、真偽は定かではありません。
安土桃山時代の明石。最初に明石を収めたのは髙山右近ですが、秀吉が天下を取ってからは、キリシタンであることから追放されました。木が生い茂っているのは船下城。最初に明石を収めた城です。現在も、こんな状況で残っています。
明石市が創立した頃の写真。1919年(大正8年)に、市制施行となりました。
時代は進み、昭和時代の明石。現在も入館者が多い天文科学館は、1960年に開館。右上の新幹線は、1972年の山陽新幹線(当時は、新大阪~岡山)開業時、西明石駅での様子。
こんな感じで明石文化博物館の見学も終え、続いて到着したのは「魚の棚」。大漁旗の飾り付けです。
久しぶりに、「玉子焼」(明石焼)でも食べましょう。私的に一番美味しいと思うのは、パピオス明石の「松竹」ですが、
この度は、魚の棚の「たこ磯」です。
こちらにはタコだけではなく、焼穴子も入ったミックスがあるのが嬉しい。されど、お値段高め。^^
玉子焼とたこ焼きの区別が付かない方もおられますが、作り方からして全く違う代物。たこ焼きや鋳鉄の焼器で焼いて、千枚通しのような鉄具でひっくり返しますが、玉子焼は銅板の焼器で焼いて、竹や木の箸でひっくり返します。(銅板の焼機に傷を付けないため)
この画像の女性のように、木のお箸でひっくり返します。
出てきました。黄色四角のトンカツソースもテーブルに置かれていますが、せっかくの美味しい出し汁。出し汁が濁るので、私はソースは使いません。(ソース反対派の私)
ミックスには、タコと焼穴子が入っています。私的にはタコよりも焼穴子の方が、玉子焼に合うと思います。
熱々の玉子焼を食して暖まり、最後に銀行に行って新札と両替して帰宅。なぜ新札?ですが、この祝袋に入れるため。
自分の息子に出産祝?でしたが、周りの方にお聞きすると「したで」とのこと。まあ孫への最初のお小遣いでしょう。(^^)
で、3/7に無事男の子が生まれました。名前は「RIHITO」(漢字は内緒)。次回は、初孫の顔を見に行った千葉行きを紹介します。
孫は本当に可愛いです。
関東で遠いですかお孫さんに会いに行くのに他も旅行できるのがいいですね。
原付の中古欲しいなあいくらするんだろう走ればいいんですけど。
いつか明石へ行って食べてみたいです。
改めましてお孫さんおめでとうございます!
ちょっと遠いですけど楽しみが増えましたね〜
可愛いですね。されど私が千葉で対面した時は、ずぅ~と寝たまま。時間的にも1時間半ぐらいでした。
原付(50)の中古は高いです。もっとも、新車はもっと高い(^^)。そもそも中古は玉数が少なし。維持費も安いで、乗らなくなってもなかなか手放さないからでしょう。
こちらこそ、その節も含めありがとうございます。次は4月の予定ですが、またも弾丸日帰りとなりそうです。
明石文化博物館・・・懐かしいものがイッパイ!・・・中でも給食に感動!デス・・・(^^)
ところで・・・喫茶室のメニューが気になります・・・(^^;)
タコと焼穴子が入った玉子焼きがアルんですね!・・・どんな味なんでしょ?・・・(+o+)
我が家は、半分ソース&半分出汁です・・・邪道かな?・・・(^o^;)
給食は、年代的に近いので同じような感じだったのでしょう。画像はジャムですが、小さなマーガリンが好物でした。
喫茶店は、以下の食べログを参照。ランチは千円ぐらい。ただ、文化博物館の駐車場代が必要かと思います。
https://tabelog.com/hyogo/A2804/A280401/28044321/
焼穴子の玉子焼ですが、味は同じ。で、ソース+出し汁ですが、これは姫路の食べ方という説も。邪道で間違いなく、撤回しません。(^^)
おめでとうございます。
やはり学校関係が懐かしいですね。
私は山奥の小学校だったので、小学校低学年頃は木製の椅子を使っていた記憶がありますよ。
給食に脱脂粉乳も出ていて、地元以外の同級生に話すと驚かれたものです。
バッテリーは3年弱で弱りましたか。
うちのNMAXの6年経っても元気なのはどういうことなのかな?(笑)
これで正真正銘のおじいちゃんに?!
しかし・・・リヒテンシュタイン・・・ドイツ名ですか???笑
木製の机椅子は、長きに渡って使われているので表面が凸凹。下敷きは必需でした。さらにギィギィと音を鳴らしていました(^^)。私の小学校は明石市でしたが、地元牧場からの瓶牛乳でした。
バッテリーですが、やはり使用頻度かと。バッテリーパフォーマンスは落ちているでしょうが、小まめに乗られている(充電している)ので6年も持つのでしょう。
RIHITOですが、息子が字数で行き付いた名前とか。私も最初に聞いた時は、リヒテンシュタイン国を連想しました。(^^)