杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

京都五山の秘宝めぐり

2009-07-07 12:24:17 | 仏教

 7月5日は午前中、建仁寺塔頭・両足院を訪ねました。6月12日から7月5日まで庭園が特別公開され、同時に朝鮮通信使関連の寺宝が初公開されたのです。朝鮮通信使ゆかりのお宝、まだまだ未発掘のものが多いと聞いていましたが、京都五山のお膝元でもそうなのか…!とビックリです。

 

 

 

 

 

2009070510270001  両足院院主をはじめ、漢文に長けた京都五山の碩学僧は、対馬にある以酊菴という寺に輪番で滞在しました。朝鮮との外交最前基地みたいな役割を持つ寺です。両足院10世院主の雲外東竺も1677~79年に滞在していた縁で、通信使関連の書や絵画が同院に伝わり、最近になって新たに300点以上の通信使史料が確認されたそうです。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、左京区の妙満寺では、このほど、高麗王朝の宮廷画家が描いた「弥勒大成仏経変相図」(1294年作)が新発見されました。日本国内で見つかった、年代がはっきり判る高麗宮廷画家の作品としては最古のものとか。10月10日から始まる京都国立博物館の特別展「日蓮と法華の至宝」でお披露目されるそうです。

 高麗時代の仏画や仏像は、その後の李氏朝鮮王朝の儒教重視・排仏政策によって海外に多数流出し、日本に一番多く伝わっています。映像作品『朝鮮通信使』でも、対馬で手厚く保護された高麗仏像をいくつか撮影させてもらいました。

 

 

 さて、今回両足院で初公開されたのは、第6回通信使(1655)の正使・従事官・讃祝官の墨書と、朝鮮の問慰訳官が雲外東竺に宛てた墨書を貼り付けた「二曲屏風」、第11回通信使(1764)の画員李義養が描いた「�替虎図」、京都国立博物館に寄託されている第11回の画員金有声の「李賀騎馬図」など。半夏生が咲く庭園をバックに、書院内に置かれたこれら書や絵画を眺めていると、美術館や博物館で観るよりも、より一層、親近感を覚えます。たぶん、当時の人々と同じ目の高さや明るさの中で観られるからだと思います。

 

 映像作品『朝鮮通信使』撮影時にもたびたび実感しましたが、通信使が書き遺した墨書は、惚れ惚れするほど美しい、書道のお手本かワープロソフトのフォントのような字。一文字一文字、細心の筆づかいで意思疎通に努めた当時の朝鮮知識人の意識の高さをまざまざと感じます。

 また当時の日本の最高水準の知識と教養を持つ京都五山の僧たちが、交代で対馬まで出向いて外交窓口を担っていたという事実…。17世紀初から20世紀初まで、世界が血で血を洗う覇権争いをしていた時代、海を隔てていたとはいえ隣国同士が血を流すことなく善隣友好の関係を保っていたのは、ここ日本と朝鮮半島だけです。そんな歴史をこうしてひとつひとつ紐解いていくことで、今の日本と朝鮮半島との関係も、相互理解が進んでいくはずだ…と確信します。

 

 

 

 

 

 

 両足院を後にし、同じく7月5日まで公開中の細見美術館特別展「白いやきものを楽しむ」を観に行きました。

 

 

 細見美術館は今回初めて訪ねましたが、コンパクトながら、モダンで機能的な建物。繊維業で財を成した昭和の実業家・細見家の美術工芸コレクションを紹介しています。

 「白いやきものを楽しむ」は、ひと月前、台湾の故宮博物院の白磁に魅了されてから、日本国内でも陶磁器の展覧会があったら行きたいな~と思っていた矢先、ネットで偶然見つけ、予定していた京都行きにうまく組み合わせた次第。

 

 故宮では数えるほどしか観られなかった白磁や青白磁を、今回は、てんこもり状態で鑑賞できて、この上ない幸せでした!

 

 

 

 

 

 白い焼き物は、新石器時代に黄河下流域で副葬品や祭器として造られていたそうです。カオリン土という鉄分を含まない上質の白色粘土が採れる河北省北部や江西省北部などが主要産地となりました。白い焼き物は、日用品ではなく、特別な儀式のときに使う器として用いられたようです。

 

 

 

 周王朝の時代(前11世紀頃)にいったん途絶え、1600年後の南北朝時代後期に再登場します。6世紀後半には、華北地域で、白色粘土で素地を作り、透明の釉薬をかけた白磁が生み出されます。この頃には、褐色胎土の上に白化粧土を薄くかけて透明釉を施した淡黄・淡緑など、微妙な色合いを出す技術も確立され、シルクロードの交流によってもたらされた中近東のガラス器や金銀青銅器に影響を受け、形や色調もいっそう多様化します。

 

 

 多様化の中で、白い焼き物に対する評価が再び高まり、隋や唐の時代には�癆窯、定窯という名産地が生まれます。定窯が黄金期を迎える五代~北宋の時代の器や、定窯に代わって白磁の産地となる江南景徳鎮窯の器を、これほどまとまって観られる機会というのはめったにないので、時間を忘れて見入ってしまいました。

 

 

 「あぁ、これで静岡吟醸が呑めたら至極だ~」と思わず喉を鳴らしてしまったのが、11~12世紀の景徳鎮窯の盞托(さんたく=茶器・酒器と台のセット)。こういう色や形に価値を置く美意識って1000年経っても変わらないんだなぁと実感します。

 

 

 

 

 

 

 

 時計を見るとお昼過ぎ。朝、ホテルでコーヒーを飲んだだけでしたが、午前中目一杯目の保養をしたせいか満腹気分です。細見美術館にはお洒落なイタリアンレストランが併設されていますが、満席行列待ち状態。お腹すいてないし時間ももったいないと思い、そのまま次の目的地・相国寺承天閣美術館へ向かいました。

 

 

 前夜、高麗美術館の片山さんたちと食事をしたとき、ソウル大学大学院韓国絵画史研究所の李源珍(リ・ウォンジン)さんとお会いし、李さんがぜひ観るべきだとイチオシしてくれたのが相国寺承天閣美術館でした。李さんは京都大学留学時に高麗美術館のファンになって、留学生の身ながら年会費1万円の美術館賛助会員になったほど。帰国後も交流が続き、今回は卒業論文で取り上げる一休宗純のことを調べに来日されたそうです。…高麗美術館には再三お世話になっているのに、入館料も払わずにいつも見せてもらったりしている自分が恥ずかしくなりました(苦笑)。

 

 

 

2009070513110000  それはさておき、室町足利将軍家の菩提寺で、臨済宗相国寺派本山として、金閣・銀閣を塔頭とする相国寺。寺宝もハンパじゃありません。

 

 

 9月6日まで開催中の『相国寺 金閣 銀閣名宝展』では、創建者である室町3代将軍足利義満、開山の夢窓疎石の関連はもちろん、絶海中津の「十牛図」、狩野探幽、円山応挙、池大雅、与謝蕪村、伊藤若冲ら日本絵画の黄金期を築いたビッグネームの名品がぞろぞろ。なかでも伊藤若冲は、相国寺の僧・大典顕常に目をかけられ、鹿苑寺(金閣)大書院の障壁画を任されたほど。若冲といえば、まずは、静岡県立美術館の樹花鳥獣図屏風やプライスコレクションに見るような“キワモノ”的な作風をイメージしますが、今回初めて観た「釈迦三尊像」や鹿苑寺大書院障壁画「松鶴図襖絵」からは、品格あるまっとうな画風を感じます。大典との出会いによって、画檀的活動をしていなかった市井の絵師・若冲の評価は高まったそうで、相国寺では絵師・若冲のさまざまな足跡がうかがえます。

 

 

 ほか、千利休の書や竹茶杓、白隠禅師の「動中工夫勝静中」の墨蹟など、興味深い蔵品がたっぷり鑑賞できました。「動中工夫勝静中」って、じっと座ってるだけが修行じゃない、日常の行いや動作すべてが修行であるという意味。一から十まですべての作業に手を抜くなという静岡吟醸の酒造りそのものだ…と実感しました。

 

 

 

 

 

 

2009070516070001  目と頭だけでフルコースディナーをごっそりいただいたような贅沢感を味わい、繁華街へ戻ったら15時前。ビールとパスタで腹を満たした後、建仁寺、相国寺と来たら、ついでに東福寺の庭を観て締めくくろうかと思い立ち、バスに乗って東福寺へ。

 

 

 紅葉の時期に一度訪れて、人ごみでウンザリした経験のある東福寺。この時期はさすがに静かで、開山の聖一国師を祀る開山堂や、近代庭園の傑作の一つ・方丈庭園(八相の庭)をじっくり堪能しました。

 シンプルな中にも巧みに石を配置した枯山水庭園や、目に鮮2009070516010000やかな市松模様の北庭、北斗七星に見立てたユニークな東庭を眺めていたら、近代作家(作庭家重森三玲・1896~1975)の感性を取り入れた禅寺の柔軟性に、心癒されました。

 

 

 

 

 思えば、聖一国師は静岡市葵区栃沢の生まれ。白隠禅師は沼津市原の生まれ。京都五山の禅文化の要所で、静岡ゆかりの高僧が確かな足跡を残していることも、なんだか誇らしく思えてきます。

 

 

 

 

 

 駆け足でたどった中国・朝鮮・日本の文化交流史。テレビや映画や教科書だけでなく、当時の人々が生きていた場所で、ホンモノを観て、空気や光や匂いを感じることも大事な学習方法です。静岡に空港が出来て、韓国や中国への距離が縮まったことは、大きな前進に違いない…。こうして歴史に触れることで、その思いが一層強く感じられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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1 コメント

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教えて下さい。NHKを見て すっかり 朝鮮通信使... (桜ノ宮)
2010-01-09 01:34:21
教えて下さい。NHKを見て すっかり 朝鮮通信使の 詩のとりこ になりました。有る 寺で月夜 に 住職に 贈った詩でした。一瞬でしたので お寺の名前も 覚えてません。もし、詩がお解りでしたら 教えて頂け無いでしょうか?
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