杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

白隠フォーラムin沼津2014(その2)~延命十句観音経

2014-11-22 20:53:44 | 白隠禅師

 11月9日の白隠フォーラムin沼津2014 続きです。

 お2人目の講師は臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺氏です。鎌倉の円覚寺といえば日本を代表する禅の名刹。その老師様と聞いて、勝手ながら高齢の方を想像していたら、自分より若い方だったのでビックリしました。1964年和歌山県新宮市のお生まれで、筑波大学在学中に出家。ご実家はお寺ではなく、身近な死をきっかけに小学生の頃から坐禅会に通ったり本を読んだり、ラジオで法話を聞いて仏教に親しみ、松原泰道氏に直接手紙を書いて教えを受け、仏道に入られたそうです。そういう経歴の方が40代で宗派のトップに就いたというのは、政治の世界より民主的だなあと感心しました(・・・エラそうな物言いですみません)。

 

 横田氏のお話は、白隠禅師が熱心に広めた『延命十句観音経』という、わずか42文字の短いお経について。

 

 観世音 かんぜーおん

 南無仏 なーむーぶつ

 与仏有因 よーぶつうーいん

 与仏有縁 よーぶつうーえん

 仏法僧縁 ぶっぽうそうえん

 常楽我常 じょうらくがーじょう

 朝念観世音 ちょうねんかんぜーおん

 暮念観世音 ぼーねんかんぜーおん

 念念従心起 ねんねんじゅうしんきー

 念念不離心 ねんねんふーりーしん

 

 漢字だけでもなんとなく意味がわかる、やさしいお経ですね。円覚寺では幼稚園児が毎朝唱えているそうです。

 白隠さんが59歳のとき、のちに筆頭弟子となる東嶺さんと出会い、後継者が出来て安心したのか61歳ぐらいから外の世界に視野を広げ、庶民に向けてこのお経をさかんに説くようになりました。「松蔭寺が山奥ではなく、東海道宿場町の街道沿いにあった町のお寺で、庶民の暮らしに身近に接していたから」と横田氏。白隠さんの功績からしたら、大伽藍を擁する大寺院の管首になってもおかしくないのに、白隠さんは生まれ故郷の町のお寺で生涯を送ったのです。おかげで原の町には全国から白隠さんを慕って修行僧や一般参禅者が大挙して押し寄せたんだとか。約250年後のこのフォーラムに700人集まったのですから、十分想像できます。

 白隠さんは75歳のとき、九州のさる藩主に宛て、このお経の功徳を紹介した手紙を書きます。それが「延命十句観音経霊験記」として伝わっています。


 大名は自身の日記で、白隠さんの手紙に、

 「この経を読んで瀕死の重病人が治癒した」

 「さる武将が敵に処刑されそうになったとき、このお経を読んだら敵将の夢に観音が現われ、処刑するなと諌めたため、命拾いした」

 「薄島(すきじま)のお蝶という娘が死んで地獄の閻魔大王に一生の罪科を調べられた。そのとき10歳位の小僧が現れ、たちまち観音様に変身し、“この娘は延命十句観音経を護念して未だに寿命が尽きないから、娑婆へ返して観音経の功徳を衆生に知らせる方が良い”とアドバイス。娘は生き返り、延命十句観音経の功徳を白隠に物語った」

 という摩訶不思議なエピソードが紹介されていたと書き残しています。いくらお経を勧めるためとはいえ、白隠さんが大名に奇跡話の類を説くのかなあと首をかしげたくなりますが、とにかくその大名の日記には、江戸でも白隠さんが説く延命十句観音経が大流行していると書いてあった。庶民がこの手の話を聞きつければ、間違いなくブームになるでしょう。

 

 横田氏は「このお経を、丹田に力を込めて何度も唱える。その繰り返しの中で、己の心を検証させる。それが白隠さんの言う真の功徳です」と解説されました。霊験記は、このお経に関心を持ってもらうためのきっかけ、という位置づけなのかな。同等で語っちゃぁ申し訳ないんですが、私なんかも地酒の講座で、「この酒は皇室献上酒です」「有名人の○○さんが大量買いしました」なんて“盛ったハナシ”で関心を引いたりします。自分が心底自信を持って勧める酒ならば、きっかけなんてその程度でも十分アリだと思っています。

 

 東日本大震災の後、被災地のお寺の支援に入られた横田氏は、僧侶が何をすべきか真剣に悩まれたそうです。炊き出しや瓦礫の片付に汗をかく中で、物資以外に届けられるものはないだろうかと。そして、ある人の助言で、延命十句観音経と観音様の絵を色紙に書いて被災寺院に届けたら、たいそう喜ばれた。「避難所で色紙を本尊に見立てて読経したら涙を流して感謝された」「大勢の檀家が亡くなり、本堂も流され、絶望の底にいたときにこの色紙が届けられ、力が湧いてきた」という声も寄せられたそうです。現地の和尚さん方の何よりの励みになったんですね。

 このお話を聞きながら、2011年4月17日に歩いた福島県いわき市の久ノ浜海岸を思い出しました。空襲にでも遭ったかのように、瓦礫一面だった海岸沿いの町・・・そこで出会った男性に「家はすべて流され、これだけがめっかった(見つかった)」と見せてもらったのが、この小さな額絵でした。

 

 横田氏が経験されたこととは比べ物にもなりませんが、見ず知らずの自分に写真まで撮らせてくれたからには、この、ささいな言葉が家族の思い出として手元に残ったことを、この男性は本当に心の糧にされているんだと胸に迫ってくるものがありました。

 

 当日配られた延命十句観音経のプリントに意訳が書かれていました。とても丁寧な意訳でしたが、42文字のシンプルなお経ですから、私なりにシンプルに要訳してみました。

 観音さま、

 苦しいときに寄り添い、救おうとしてくださる仏さまの心。それは私たちが本来持って生まれたものなんですね。いろいろなご縁によって、そのことに気づかされます。

 人のために尽くす。それこそが楽しみであり、己を清める生き方です。毎朝、毎晩、仏さまの心に従い、離れないと念じます。

 

 観音さま(観世音菩薩)は数ある仏や菩薩の中でも、人の声を観る=心で聴くという力を持っていて、何かにすがりたいとき、聞いてもらいたいことがあるときに呼びかけるキーコードのような存在だと解釈しています。でもキリスト教のお祈りで天に向かって「主よ」と呼びかけることとは少し違う。救いとなる仏心は、実は自分の中にあって、自分の心を呼び覚ます、という意味もあるのです。

 世は無常=常にあらず。すべてのものがうつろいゆく世では、人は、ひとりでは生きられない。出合った人とつながり、慈しみ、支え合って生きるしかない。でも人は本来、この世で起き得るどんなことも受け容れる力を持っている。耐えられない試練は与えられない、とも言える。・・・そのことに気づかせてくれるお経だと、私は解釈しています。 

 

 フォーラム終了後、一緒に聴講した友人2人と行きつけの居酒屋で3時間熱く語りました。友人の一人は家族全員を相次いで病気で亡くして孤独になり、自分自身もガン闘病中。横田氏の講演中、涙がとまらなくなったそうで、「ずっと下を向いていたんだけど、最前列だったから横田先生に居眠りしていると思われたかも」と苦笑いしていました。

 お経を唱えるだけで病気が治る、命が助かるという白隠流のプレゼンテーション、本当にそうかもしれないと信じて懸命に唱えていくうちに、心が浄化されていく作用が確かにあったのでしょう。250年経ってもその作用は十分効くようです。

 

 こちらの著書に横田氏の思いが丁寧につづられていますのでぜひご参考に。円覚寺のHPはこちら