決定的に「数」が苦手です。
いろいろな場面で計算する必要があるとき、私は完全に脳をシャットダウンしています。
誰かが計算するのを待っているのです。
だって、無理だもん。
繰り上がり、繰り下がりがあると、2桁でもただ頭の中を数字がグルグルするだけの状態に陥ります。
この状態は私にとってはドキドキするとても嫌な感覚なので、計算はしないに限ります。
もしくは、すぐに電卓を出す。
この夏、石窯を作るために資材の買出しに行きました。
何センチの鉄骨を半分にしたらとか、何センチずつにカットしたらどれ位余分が出るかとか。
砂とセメントの量とか、割合とか。
あっという間にグルグル状態です。
後半は、みんなから少し離れた所にいて参加しないようにしていました。
一人になってからテラスの塗料を買いに行きました。
間違えてはいけないと緊張して、テラスのサイズを計り、図まで描いて面積を導き出しました。
出てきた答えは一万7千いくつという数字。
単位は平方メートルです。
ここで、普通は「おかしい」と思うのでしょうね、普通は。
私は変な検算まで繰り広げて、その数字をメモして買い物に出かけました。
塗料売り場で、さすがの私も気づきましたよ。
だって、私の計算だと一万円近くする塗料を1000個位買わなくちゃなんないんです。
(この計算すら確信が持てない。)
もう、ホント落ち込みます
この「数」に関する違和感は小学校中学年位から感じ始めていました。
小学生までは一応しっかり者の感じの女の子だったのですが、「あれ?私できないかも。」という不安を感じ始めていました。
1回だけですが、放課後に50点以下の子が残されるという場面に参加したことがあります。
友だちにも「どうして?」っていう顔をされたのを覚えてます。
分からない、パッと答えが出ないという焦りを常に感じていました。
小5か小6の時、割合の単元でついに全く分からなくなってしまい、かなり焦りました。
でも、そのときたまたま「計算のやり方」が閃いちゃったんです。
ただの「やり方」だったんですよね、今思うと。
「分かった!こうすればいいんだ!」
その喜びはかなりのもので、全く分からなかった問題でも次々正解できるので、たくさん問題を解いたのを覚えています。
その単元の塾のテストがものすごく良い結果でした。
(いつも、算数がいかに足を引っ張っていたかということです。)
「自分で分かれば強い。」という結論を出して、自分なりの理解をしながら、やり方を駆使して、何とかくらいついていたのです。
「自分で…」の結論は決して間違いではないと思うのですが、「数」については「違和感」のほうが正しかったと思います。
中学で担任と面談しているとき、通りかかった数学の先生が私の偏差値を見て「えっ。そんなにいいのか!」と驚いてくれました。
たいした偏差値ではないけれど、常日頃数学がいかにパッとしなかったかということです。
因数分解の意味を理解した記憶は人生で1回もありません。
とにかく高校受験も何とか乗り切り、その後何を血迷ったか高2でも数学を選択。
数�ってやつです。
ところが、もうにっちもさっちもいかなくなって、高2の7月に数学の先生に履修取り消しをお願いに行きました。
おかっぱ頭の中年の女の先生でした。
「あぁそう。わかりました。」と、一言の慰留も無く…。
いちおう、おざなりにでも、「頑張れ」的なことを言わないか
ここで、私の数学人生は終了しました。
残るは、日常生活の計算程度ですから、シャットダウンして切り抜けたり、電卓出したり、実際にお店にいって実感しながら修正したり、「生きる知恵」みたいなもんです。
小さい失敗はちょくちょくありますけれど。
今の時代、生きにくい子が増えているけど、できないことやちょっと感覚が違うことを社会が認めないからかなぁ。
「生きにくい子」というレッテルを貼られて、ますます生きにくくなっている気がします。
私の「困ってる感」と同じにしたら申し訳ないのは十分理解していますが、困っていたら切り抜ける術を融通しあったり、「困ったねぇ、あはは」っていう余裕を持たないとやってられませんよ。
いろいろな場面で計算する必要があるとき、私は完全に脳をシャットダウンしています。
誰かが計算するのを待っているのです。
だって、無理だもん。
繰り上がり、繰り下がりがあると、2桁でもただ頭の中を数字がグルグルするだけの状態に陥ります。
この状態は私にとってはドキドキするとても嫌な感覚なので、計算はしないに限ります。
もしくは、すぐに電卓を出す。
この夏、石窯を作るために資材の買出しに行きました。
何センチの鉄骨を半分にしたらとか、何センチずつにカットしたらどれ位余分が出るかとか。
砂とセメントの量とか、割合とか。
あっという間にグルグル状態です。
後半は、みんなから少し離れた所にいて参加しないようにしていました。
一人になってからテラスの塗料を買いに行きました。
間違えてはいけないと緊張して、テラスのサイズを計り、図まで描いて面積を導き出しました。
出てきた答えは一万7千いくつという数字。
単位は平方メートルです。
ここで、普通は「おかしい」と思うのでしょうね、普通は。
私は変な検算まで繰り広げて、その数字をメモして買い物に出かけました。
塗料売り場で、さすがの私も気づきましたよ。
だって、私の計算だと一万円近くする塗料を1000個位買わなくちゃなんないんです。
(この計算すら確信が持てない。)
もう、ホント落ち込みます
この「数」に関する違和感は小学校中学年位から感じ始めていました。
小学生までは一応しっかり者の感じの女の子だったのですが、「あれ?私できないかも。」という不安を感じ始めていました。
1回だけですが、放課後に50点以下の子が残されるという場面に参加したことがあります。
友だちにも「どうして?」っていう顔をされたのを覚えてます。
分からない、パッと答えが出ないという焦りを常に感じていました。
小5か小6の時、割合の単元でついに全く分からなくなってしまい、かなり焦りました。
でも、そのときたまたま「計算のやり方」が閃いちゃったんです。
ただの「やり方」だったんですよね、今思うと。
「分かった!こうすればいいんだ!」
その喜びはかなりのもので、全く分からなかった問題でも次々正解できるので、たくさん問題を解いたのを覚えています。
その単元の塾のテストがものすごく良い結果でした。
(いつも、算数がいかに足を引っ張っていたかということです。)
「自分で分かれば強い。」という結論を出して、自分なりの理解をしながら、やり方を駆使して、何とかくらいついていたのです。
「自分で…」の結論は決して間違いではないと思うのですが、「数」については「違和感」のほうが正しかったと思います。
中学で担任と面談しているとき、通りかかった数学の先生が私の偏差値を見て「えっ。そんなにいいのか!」と驚いてくれました。
たいした偏差値ではないけれど、常日頃数学がいかにパッとしなかったかということです。
因数分解の意味を理解した記憶は人生で1回もありません。
とにかく高校受験も何とか乗り切り、その後何を血迷ったか高2でも数学を選択。
数�ってやつです。
ところが、もうにっちもさっちもいかなくなって、高2の7月に数学の先生に履修取り消しをお願いに行きました。
おかっぱ頭の中年の女の先生でした。
「あぁそう。わかりました。」と、一言の慰留も無く…。
いちおう、おざなりにでも、「頑張れ」的なことを言わないか
ここで、私の数学人生は終了しました。
残るは、日常生活の計算程度ですから、シャットダウンして切り抜けたり、電卓出したり、実際にお店にいって実感しながら修正したり、「生きる知恵」みたいなもんです。
小さい失敗はちょくちょくありますけれど。
今の時代、生きにくい子が増えているけど、できないことやちょっと感覚が違うことを社会が認めないからかなぁ。
「生きにくい子」というレッテルを貼られて、ますます生きにくくなっている気がします。
私の「困ってる感」と同じにしたら申し訳ないのは十分理解していますが、困っていたら切り抜ける術を融通しあったり、「困ったねぇ、あはは」っていう余裕を持たないとやってられませんよ。