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“Diary 135” ’18-4-3

2018-04-02 23:44:11 | Massy's Opinion

★Massy’s  Opinion

3・1港法務局、都税事務所、豊川稲荷、うおがし銘茶

年度末で必要な書類もあり、久しぶりに港法務局と都税事務所に行ってきた。今までは大体、長い付き合いの司法事務所に依頼をしていたのだが、電子化に伴い、役所関係も随分と変わってきているので、自ら体験だ。所員の応対も柔らかくなったしあのバブル時代の喧騒はすっかり無くなってしまった。昔は、月末は自動車屋の名儀変更や何かでごった返して居たものだ。司法書士も仕事は減って厳しくなっている筈だ。その後、恒例の豊川詣り、ここも静か、菊屋のお母さんが、「どうしたんでしょうね?今日は...本当に静かなのよ」いったい世の中どうなっているんだろう?銀座の「うおがし銘茶」は混んでいた。

3・2Jazz Live “Yoko & 浜田均“ 新宿Someday

Yokoの新宿Someday でのライブ、バックがヴァイブの浜田さん。ピアノ、ベース、ドラムのカルテット。僕はヴァイブが大好き。増田一郎さんの影響か?松崎龍生さんも居なくなるし、浜田さん昔若手できれいな音を出すので2~3度聞いたことがあった。確か、仲宗根かおるちゃんとのCDもあったと思う。Yokoの歌は歌いなれているナンバーの2ステージ、ここもお客は少なかった。Yokoは、初めてのバック・メンバーだと言っていたが、さすがプロ手慣れたステージだった。バックのベース、ドラムが若々しく新鮮な感じの良い組み合わせだった。

3・6 慶応読書会 講師 堀 啓子東海大教授

演題は「筆の魔術師 黒岩涙香」恥ずかしながら黒岩涙香って女性かと思っていた。大学同級の三浦君を新入会員で紹介したので、行ってみた。涙香と言うのは明治時代世界文学を色々と日本語に訳したり、自分で著作を書いたり、相当の量を残した人のようだった。でも先生の仕事は、沢山の本を読んでそれを後世に伝えて行く事なのかな。と言う感じもした。

3・13 シーボニア 懇親会

恒例の昼食会今日は女性が3人、参加今話題の陛下のご親友明石さんも来られたし。‘80年代にハワイ日産の社長をしていた真野さんも初参加。総勢10名。盛り上がったな。平均年齢78歳位かな。あまり日産の話は出ない。人の話、酒飲みの話、で「良い時代だったな」いつもこの会は尽きない話で、「ラストオーダーの時間です」と追い出されて目出度く再会を期してお開き。

3・15東京日産ネット裏懇親会 於 パンダ

第17回目の恒例の食事会。年々参加者が減ってきて今年は15名。冒頭、同期の無口な信さんに「マッサン 文章上手いね...」と褒められた。野球をやっていたのは、R 大黒沢君、W大渡辺君黒岩君だけ、あとは応援組。それでもお昼から4時ごろまで、今年の春の6大学リーグ戦の予想、ドラフトされた選手の予想、慶応高校どの辺まで行けるの?と話題は豊富。熱海から来てくれる人もいて、「神宮には行かないけれど、この会は絶対に来るよ」と言ってくれる人もいる。もう大分年を重ねて「幹事の交代」を提案して快く若い人と交代できた。

この会の案内状は、起句に「沈丁花」を入れているので、通称「沈丁花の会」と言われている。これは、僕の高校の頃、期末試験が終わり、野球の練習が始まる時期、グラウンドのゆきみちで「沈丁花」の香りがして、それが忘れられなくて僕は「沈丁花」が大好きになったので、これを起句にしたのだ。多分来年も案内状は僕が書くことになるだろう。これだけ野球ファンが多いということ。 

3・21 浅草公会堂 Jazz Vocal Jamboree

1年に一度くらい開かれるのかな?総勢男女50名のJazz歌手が出るJamboree。 親球飲友の「下町のナポレオン」君が「木津ジョウジに誘われたから浅草まで来てよ...」と誘われる。ジョウジ本人からもチケットを送ってきた。「お金は当日で良いから...」チョット遠いいけれど面白そうだから、生憎の雨の中久しぶりで浅草まで出向いた。1~2部の構成で延べ4時間。バックは青木弘武、ジャンボ小野、中村由紀夫にテナー近藤和彦とペットいせ秀一郎。マーサ三宅は欠席、後藤芳子とか凄い年齢の人が出ている。兎に角、最近女性が強い。もちろん最盛期の声は出ないがジャズは自分の歌い方が出来るからいい。勿論、素面で帰るわけはない。住吉町まで遠征して安い飲み屋で一杯...と言うわけ。女将さんが65歳で始めたという。下町風の気取らないカウンターだけ6人の店で、ご近所の人と友達になり楽しかった。

3・22 樫の会 霞山会館 茅 陽一名誉教授

演題「長期的にみた温暖化対策」 Co2ゼロミッションを目指して

たっぷりと時間をかけた講演だった。久しく、「自動運転」の陰に隠れていた問題だが、これも大きな問題で、茅先生は「原子力の平和利用を30%位必要だ」と力説されていた。小泉元総理の最近の発言を「あの人は何にも知らない...」と言っていたのが印象的だった。学者と言うのは、自説を曲げたら駄目なんだなと痛感した。

 3・30 吾郎さんの会  於 銀座8丁目 かに道楽 

慶応高校の体育会系の仲間に吾郎ちゃんと言う番長がいる。新橋の生まれ高校3年の時に同じクラスになった。慶応商工の連中は泰明小学校出が多い。お金持ちで銀座の親分、昔の仲間を集めて全部ご馳走してくれる。約20名いつもは「新橋亭」、社長が同級だった関係である。今度は、「偶には変わったところ」と言うことで、「かに道楽」になった。大分亡くなったやつもいるし、かっての日本代表クラスの奴もいる会だ。吾郎ちゃん自身がレスリングの全日本ウエルター級のchだったかな。やんちゃばっかりしていたが意外と心の優しい番長である。今日は、「銀座ラプソデイ」と言う古本をお礼に持っていった。これは、前記した薄君が「マスさん 読みなよ」と教えてくれた本である。昔の銀座の話、僕らのやっていたことと同じことが書いてある。きっと、吾郎ちゃんも喜んでいるだろうな。こうやってみると、この3月は忙しかったな。明日は韓国から金君が来るらしい。

3・31 Se Jin Kim来宅

3年前、「日吉野球部4回生」の集まりの帰り、新宿の西口の飲み屋へ明浦君と二人で二次会に行った。その時、お店は二人だけ、そこへ一人の若い子が入って来た。一人で寂しそうだったので、明浦君が声をかけた。韓国人で日本語全然解らない様子...兵役に入るのでその前に一度日本へ行きたかったので、福岡へ来て、深夜バスで北海道まで行くという。そんなことで知り合って、メールアドレスを教えた。その後、2年の兵役が終わって、兄貴と二人で東京に来て、8か月程前に、僕の家へ来たいと言う。「場所、解るかい?」「スマホがあるから解る」と言って我が家へ無事に来た。今度は、一昨日、メールがあり「会いたい」という「土曜、日曜はいるよ」と言ったが、日曜は用事が出来たので、その旨、メールをしたら玄関のベルが鳴りもう本人が家の前にいる。用件は日本語を習いに東京へ来て、アルバイトをしながら一年のビザで日本語学校に行きたいという。丁度、食事時、焼酎を飲みながら、「年間300万は掛かるよ」「まず韓国の大使館かそういう相談場所があるから、そこへ行きなさい」と教える。100万円は貯金したそうだ。兎に角、これからは英語、日本語、母国語は大事だよと教える。「おじいさん、おばあさん有難うございます」「バカ!俺のことお爺さんと言うのは君だけだぞ」「僕の爺さんはもう死んでしまったから、お爺さんと言ってみたかった」兎に角、World is Growing smaller. 驚いた一日だった。25時間の東京滞在。なんで俺の話をそんなに聞きたいの...?


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