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‘23-2-14 “日産・ルノー問題”

2023-02-13 22:48:23 | Massy's Opinion
★Massy’sOpiion
自動車界も何か、すっかり元気がない。トヨタ一強で、そのトヨタもあまり元気のよい話も聞かない。半導体不足とか納期が掛かるとか...中古車の市場では、高値が続いているとか...断片的なニュースしか解らない。
昨年、日野市のモーニング?・フォーラムで与えられた議題は、「自動車業界の真実...」と言うテーマだった。ゴーン問題も事務局から言われたが、極く簡単な事しか、喋らなかった。
今、朝日新聞でこの問題を連載しているが、何か僕には、迫力が感じられない。丁度、僕が日産特販の社長を遣らせて頂いた、‘91年から’99年迄、「日産の最後の戦い」と思って、8年の長きに亙り、陣頭指揮を遣って、対トヨタの失地回復を考えて来た。限られたスペースで深みのない文章に成るだろう。しかし、将来貴重な物に成るかも知れない。

企業は。何の業界でも戦いだ。勝敗はシェアーで決する。いい例がトヨタのジャパンタクシーだ。いま、タクシー業界では殆どこの車に成っている。しかも、価格は20年前の2倍の価格である。正にトヨタはタクシー車が収益車種に成っているだろう。1957年この社会に足を踏み入れ、様々な業界を見て来た。そしていつも僕の回りには野球が付いて回る。一番初めに後楽園でプロ野球を見たのが、巨人・阪急戦何となく阪急が好きになり、ネット裏で見ていたのだが、隣りのお兄さんが阪急の良いプレーにすると拍手をする。大体、後楽園で関西のチームを応援するなんて少ない訳だ。何となく話をするようになった。「阪急フアンですね...」「僕も江戸っ子なのに、ヘソ伝(山田 伝センターハワイから)が好きで...」なんて言う会話だ。「僕は、日産なんです...」「へっ、僕の兄貴日産ですよ...研究所に居るんです」(確か、布施さんと言ったかな)色んな話が弾んだ。その中で「僕は伊勢丹の企画室に居るんです...新規店舗の開設をやって居るんです。だからその土地の不動産の新規申請をいつも見て居るんですよ。」と言う話をして呉れた。この話は、今でもよく覚えて居る。先行指標だ。これは、中古車部長時代には、販売所造りにとても役にたった。僕は、昔は日産が圧倒的に強かった頃から、クラウンが出始めてブルーバード、セドリックがドンドン負けて行く様を目の当たりにして居たので、何とかトヨタに取られたシェアーを取り戻そうと、マツダを使って居るユーザーをターゲットにした。幸い以前は日産を使って呉れた会社なので顔の繋がりは在った。業界の組合や会は色々あるが皆顔出しをした。営業マンには、週1回の曜日と時間を決めて顔出しをするようにと、当時は、タクシ―会社でも従業員対策費野球が盛んだったので、月1回の野球試合と、ゲームが終わったら相手チームと「握手する事」を指示した。勿論、僕も出場する。これは、業界では評判が良かった。代替えは車の調子、耐用年数等で代替えが起きる。一斉代替何て言うのは中々出来るものでは無い。この商売は時間が掛かるのである。3年で100台規模の会社を3社しか受注出来なかった。1度失ったシェアーを取り返すのは本当に時間が掛かる物である。 

香港は、1990年代タクシーが2万台あった。その昔は、日本から中型車の中古を買って使っていた。殆ど日産セドリックである。それが95年位からトヨタのクラウンに変わってしまった。香港政庁が排気ガス対策でLpg化をしようと30台のテストをすることに成った。何とかそのシェアーを取り返そうとして、営業活動をして、この内15台は受注する事が出来た。当時、香港のLpgスタンドはオーストラリア製の注入バルブを使っていた。 トヨタは新車でオーストラリア製のバルブに合わせたが、日産はメーカーが純正に固執した。最終的には全部、トヨタ車に成ってしまった。

1950年代日本のメーカーはヨーロッパのメーカーから製造技術を学ぶ為、日産はワーゲン、いすずはヒルマン、日野はルノーと提携した。その時のルノーは主力が4CVと言う小型車だったが良い車だった。後発の日野はタクシーに売り込もうとしたが、小型車の料金に全長が足りず、前後のバンパーとボデイーの間にエプロンを付けて寸法を間に合わせたが、ユーザーに受け入れられず、早々に撤収して、トラック専門メーカーに成った。

日産は小型車料金に合わせる為に、クルーと言う小型車を作ったが、此の売込みにはタクシー会社の主だった所を工場に招待し、試作の段階で試乗させたり、かってない売り込みを遣った。この車は後部座席のドアーの幅が左右で異なる、後部左側のドアーは右側より5cm幅の広い車だった。今のトヨタのタクシーキャブは此れを取り上げて左側の後部ドアーはスライド式、右側は従来通りのドアーである。これは、それまでの自動車では無かった車だった。

ルノーは日本では良い販売店が見つからず、タバカレラ貿易、三井物産、キャピタル、日英と10年毎にデイ―ラーが変わっている。日本との関係の上では、日産の株主は願ってもない話だった筈だ。しかし、ルノー自体がフランスの自動車メーカーが経営不振で再編成されて、「公団」になった訳で、官僚的な体質だった。今度の持ち株比率の対等は、ルノー自体が経営不振で日産の株の保有が出来なくなった為だろう。ルノー―保有の日産株28%がどこに持たれるかに依って日産の将来は左右されるだろう。日本が世界と競争して行くうえで産業の形が如何言うものが良いか、政府の態度が明確に解らない。通産省も運輸省も外国の状況は良く解って居ない。企業の再建も国家の再建も同じ...ゴーンのコストカットは不動産の売却と簡素化した組織の作り直し、要するに縮小しかなかった。アメリカ、カリフォルニアのガソリン車規制は2035年と言われているが、産業用車両を含めた原動機の実態を良く見つめ直す事が必要だと思う。今この原稿を書いて居る時、「ルノー・日産・三菱連合でインドに進出」と言う記事が知らされた。2045年と言う。カリフォルニア規制のガソリン車禁止が2035年一体自動車業界はどうなるのだろう?人口の多い国、輸出の為に海の近い国、が発展するのは間違いないだろう。

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