massy-academy

advice for consumer

‘23-12-5 “Diary 203” 

2023-12-04 22:09:17 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
* 11/2     riha
如何も足の調子が良くない。足首が突然痛む。右足は70年前の後遺症らしかったが、左足は右足をかばっての原因か? 加齢のウエイトが多いのだろう。保険を使って理学療法士に訪問介護をして貰うことにした。とてもよい青年。青森出身だそうだ。サッカーをやって居たが、膝の靱帯を切って、プレーをあきらめてこの道を選んだとか...僕の見方から若い子を眺める目は、余り狂っていない筈だが、良い性格の青年。安心して任せることにした。早速、僕の主治医           MeguとSkype で打ち合わせ...キット同じ様な患者のお役に立てるようになるだろう。2本ステッキでウォーキング 足の踏み出しとか、背骨の角度とか悪い癖が附いている様...skypeの限られた画面では解らない部分だ。

*11/21    福岡教授 お別れ会 華山会館
慶応読書会の校長先生こと福岡先生のお別れ会。場所は樫の会の例会場。福岡先生は僕が大学1年の時経済原論の講義を持っていた。僕も経済へ入ったのだから「原論」はシッカリ勉強しておこうと思って取った時の先生。当時、アメリカから帰ってきて直ぐだった先生、ツイードの背広に変えズボン学校の中ではひときわ目立つ服装だった。当時は「サミエルソン」
と言うアメリカの学者の原論で、非常に難解で有った。それでも「A」をとれた。不思議...
会社を退任してから読書会に入ったが、事務局の先生が丸山教授で野球部長だった。生徒の代表が秋山譲介君こんな縁でこの会自体が秋山君の父上が浄財を集めて当時の若い先生方が洋書を買って勉強するようにと言うのが読書会の発足だとか...野球部が塾の中で「特殊部落の様にならない様に...」と言う思いが学生当時からあったので、故前田裕吉監督,故榊原監督、柴田君らをメンバーに入れた時代もある。お別れの会は歴代の秘書のお嬢様方も来て居たし、いいお別れの会だった。コロナ過は矢張り非常に大きな禍根を残しているな」来ているメンバーも随分年を取った人も見られた。

*11/ 27吉祥寺 
東京日産時代の吉祥寺近くの友人が食事をしようと誘って来た。明大自動車部の元キャプテン、立大の競争部の100mの選手、慶大の同期、僕の4人、吉祥寺の素敵なイタリアンレストラン皆、同じように腰椎、肩甲骨、耳、不具合を抱えている連中。「いい時代に会社勤めが出来て幸せだったな...」と言う事で、昔話に花を咲かせた。本当に「日産」の全盛期に大過なく勤められた幸せを話しあって、楽しかった。吉祥寺は僕も成蹊の3年間悪い事を覚え始めた場所であり、懐かしい思い出も一塩。来春の再開を期して別れた。                                                 
*11/29 日吉倶楽部 75週年記念パーテイー
日吉倶楽部の創立75週年を祝う記念パーテイーが開催された。1部は現役甲子園メンバーを中心にアルコール抜き、2部は現役退席してOBの宴会。1回生から10回生までは、テーブル席が用意されて、心配りの在る会場。兎に角、大学からは加藤新部長、堀井監督が参加。
本当にいい会だった。会場の設定、進行、塾高のOBはマスコミの現役アナウンサーも数人いるし、全部、本格的、大学の秋優勝、 神宮大会優勝、高校の“日本一“75年掛かったと言う事。杉並三田会の会報に寄稿を頼まれたので、付記して置こう。

*“杉並三田会会報” 寄稿
”祝う! 日本一...“(‘23-9-2)
先日の甲子園大会で、慶応高校が見事、優勝をした。正直な所、神奈川予選では籤運に恵まれた所もあったが、甲子園では、強豪校ばかりで何とか2回勝って欲しいなァと思って居た。神奈川の県予選では好調な試合ぶりで安心はしていたが甲子園ではそうは行くまいと...特に初戦の沖縄尚学戦は好投手東恩納君なのでロースコアーの試合を予想していた。その内に勝ち進み、これは、仙台育英と当たると良いな、春のタイブレークは何か物足りなかった思いも強かった。まあ、順当に勝ち進み予想を超えた夢みたいな「育英」戦による決勝戦に成り、既に、皆さまご承知の様な107年ぶりの2度目の全国優勝となった。全く後輩たちよ、「良くやったな...」と言う感じである。
*さて、新聞、テレビ、戦況については、十分すぎる報道がされて居るので、ここに至るまでの慶応野球の今まで100年に喃々とする歴史を振り返って、三田会皆様の記憶の中にとどめて置かれれば幸いである。先ず、大会から言へば、森林監督に注目が当たる。然し,ここまでくるまでに100年を超える月日が過ぎているのだから色んな人が影に成り日向に成りご尽力を頂いているわけだ。皆さんも余り行く機会は少ないと思うが、綱町のグランドで慶応野球は始まっている。狭いグラウンドである。僕は慶応高校の4回生であるが、今の矢上キャンパス用地に高校のグラウンドが出来たのである。通称「嵐が丘」と呼ばれいた。給水設備はないし、練習前には小石拾いが下級生の日課であった。その後、日吉の大改築の一貫でマムシ谷に今のグラウンドが出来たのである。両翼90m位しかない狭い球場である。それでも上田監督の希望もあり、外野に高いネットを張り黄色いラインを超えたらホームランと言う事にしたり、トレーニング場や、雨天ピッチング場を作ったりして、最大限の整備をした。狭いグランドで上田監督も知恵をしぼった指導をされて居た。ライト側の外野のネットに「keio 日本一」と言う横断幕が張られている。もう可なり以前から貼られている。初めて、見た時、「現実離れしているな...」と感じたのである。これは七條部長先生が昔57回生が甲子園に出て2回戦で「神戸国際付属」に大敗した時に「これではいけない...もっと高い理想を持たなくては...」と言う事で、作られたそうだ。大分色あせて来ているが、見事今回は高い理想通りに成った訳である。この次、どんな理想を掲げるのか、楽しみでる。もう一つ今年の特徴は,小宅始め、推薦で入学した選手も、「慶応で野球が遣りたい」と言って勉強をしたそうだ。他校はいろんな推薦推薦方法がある様だが、慶応の推薦は、難しい。文武両道を究める事が大事だ。[Enjoy Baseball ]は、故前田監督が監督時代に言われたことである。何か、髪の毛だとか、楽しんでやる...と言う事とは違う。もっと深い「独立自尊」
を根幹とする前田さんの発想の中から生まれた物である。本当に「いいチームが出来た」指導者のご努力を感謝し、来年も頑張ってほしい。      (日吉倶楽部4回生、三田倶楽部32年卒増田 弘)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿