クリスマスは宮城県釜石市にボランティアに行ってきました。
被災地へのボランティアはずっと行きたかったので、どこに行こうかと考えた時、8年ほど前、訪れた釜石を思い出しました。
その時は釜石橋上市場が壊されることになって、その前に見にこうということで訪れたのですが、すごく地元の方に親切にしてもらったことが記憶に残っていました。
被災地に行ったのは初めて。
地震から9ヶ月経ってもう復旧もかなり進んでいるのかと思いきや、まだまだ傷跡は深く、困っている多くの被災者の方たちがいらっしゃいました。
また同時に、一生懸命に頑張るボランティアの人たちにも出会えました。
今回、個人ボランティアという形で釜石市のボランティアセンターに登録して二日間で二つの現場に行ってきました。
ひとつは仮設住宅に行って支援物資を配る「青空市」のお手伝い。
もうひとつは、津波の被害に遭った印刷会社に行っての瓦礫の撤去でした。
まず青空市ですが、全国から届いた衣類や生活物資を配る活動です。
釜石市には12月現在で約60の仮設住宅群があり3000人以上の方が暮らしています。
そのひとつに行ったのですが、何とこうした配布は数ヶ月ぶりとのこと。
その為か、11時の配布開始前から多くの方が並んで今か今かとまっています。
お年寄りも多かったのですが、家族や若い方の姿も目に付きました。
配布前から整然と列が出来て、混乱もなく無事、配ることが出来ました。
それにしても、支援物資はもっと潤沢に分配されていると思っていたので、数ヶ月ぶりの配給と聞いて驚きました。
配布前は沢山あった物資があっという間になくなって、足りない人もいたりして、みなさん本当に喜んでもらえ、こちらも嬉しかった反面、微妙な気持ちにもなりました。
地域によって、必要な物資の状況も違うと思うので、その辺りのマッチングと不足物資のアナウンスがもう少しスムーズに出来たらいいのにと思った次第です。
その日の午後と翌日の午前と午後は瓦礫の撤去を行いました。
現場は港のそばの小さな印刷会社。
1階と2階が津波でやられ建物は立っているものの、中は本当にめちゃくちゃ。
紙資材だけでなく活版印刷用の活字の金属片が大量に散在していました。
既に前日から作業は始まっていたそうですが、とてもそうとは思えないくらいの混乱振り。
それでもボランティアスタッフ20名が集結しての人海戦術で、少しずつ土嚢に詰めて外に運び出し、最終日には1階部分は完璧にきれいにすることが出来ました。
でも2階部分は全く手付かず。
本当に気が遠くなるような作業です。
という訳で、二日間に渡り作業に参加したのですが、やはり現場に行かないと分からない事が沢山ありました。
大阪から飛行機と新幹線を乗り継いできた若い姉妹、夜行バスで1日だけ参加した株のトレーダーの方、数ヶ月に渡り参加している初老のおじさん、、、それぞれが出来る範囲で何とかしたいと全国から集まっていました。
でも、意外にも地元の方がほとんどいません。
釜石市は広く、海岸沿いは被害が大きかったものの内陸部では倒壊した建物もそれ程多くないそうで、市内のパチンコ屋さんは大繁盛の様子。
ずっと頑張っている地元ボランティアの方も、こうした無関心を嘆いていました。
あと、県外のボランティアがずっとこの地で頑張りたくても宿泊場所がホテルしかないため費用が嵩んで長く滞在するのが難しいそうです。
とは言え、それでも少しずつ状況は良くなっているし、ボランティアも絶えることなく集まってきているそうです。
僕たちも、これ一度ではなく、また行ってみようと思いました。
被災地へのボランティアはずっと行きたかったので、どこに行こうかと考えた時、8年ほど前、訪れた釜石を思い出しました。
その時は釜石橋上市場が壊されることになって、その前に見にこうということで訪れたのですが、すごく地元の方に親切にしてもらったことが記憶に残っていました。
被災地に行ったのは初めて。
地震から9ヶ月経ってもう復旧もかなり進んでいるのかと思いきや、まだまだ傷跡は深く、困っている多くの被災者の方たちがいらっしゃいました。
また同時に、一生懸命に頑張るボランティアの人たちにも出会えました。
今回、個人ボランティアという形で釜石市のボランティアセンターに登録して二日間で二つの現場に行ってきました。
ひとつは仮設住宅に行って支援物資を配る「青空市」のお手伝い。
もうひとつは、津波の被害に遭った印刷会社に行っての瓦礫の撤去でした。
まず青空市ですが、全国から届いた衣類や生活物資を配る活動です。
釜石市には12月現在で約60の仮設住宅群があり3000人以上の方が暮らしています。
そのひとつに行ったのですが、何とこうした配布は数ヶ月ぶりとのこと。
その為か、11時の配布開始前から多くの方が並んで今か今かとまっています。
お年寄りも多かったのですが、家族や若い方の姿も目に付きました。
配布前から整然と列が出来て、混乱もなく無事、配ることが出来ました。
それにしても、支援物資はもっと潤沢に分配されていると思っていたので、数ヶ月ぶりの配給と聞いて驚きました。
配布前は沢山あった物資があっという間になくなって、足りない人もいたりして、みなさん本当に喜んでもらえ、こちらも嬉しかった反面、微妙な気持ちにもなりました。
地域によって、必要な物資の状況も違うと思うので、その辺りのマッチングと不足物資のアナウンスがもう少しスムーズに出来たらいいのにと思った次第です。
その日の午後と翌日の午前と午後は瓦礫の撤去を行いました。
現場は港のそばの小さな印刷会社。
1階と2階が津波でやられ建物は立っているものの、中は本当にめちゃくちゃ。
紙資材だけでなく活版印刷用の活字の金属片が大量に散在していました。
既に前日から作業は始まっていたそうですが、とてもそうとは思えないくらいの混乱振り。
それでもボランティアスタッフ20名が集結しての人海戦術で、少しずつ土嚢に詰めて外に運び出し、最終日には1階部分は完璧にきれいにすることが出来ました。
でも2階部分は全く手付かず。
本当に気が遠くなるような作業です。
という訳で、二日間に渡り作業に参加したのですが、やはり現場に行かないと分からない事が沢山ありました。
大阪から飛行機と新幹線を乗り継いできた若い姉妹、夜行バスで1日だけ参加した株のトレーダーの方、数ヶ月に渡り参加している初老のおじさん、、、それぞれが出来る範囲で何とかしたいと全国から集まっていました。
でも、意外にも地元の方がほとんどいません。
釜石市は広く、海岸沿いは被害が大きかったものの内陸部では倒壊した建物もそれ程多くないそうで、市内のパチンコ屋さんは大繁盛の様子。
ずっと頑張っている地元ボランティアの方も、こうした無関心を嘆いていました。
あと、県外のボランティアがずっとこの地で頑張りたくても宿泊場所がホテルしかないため費用が嵩んで長く滞在するのが難しいそうです。
とは言え、それでも少しずつ状況は良くなっているし、ボランティアも絶えることなく集まってきているそうです。
僕たちも、これ一度ではなく、また行ってみようと思いました。