東京ナイト

旅行、食事、映画にお芝居、日々のささやかな幸せを記録します

おバカ映画2連発

2010-11-30 00:46:25 | 映画
今日は久し振りに映画に行きました。
早稲田松竹で二本立て。名画座なんて何年振りでしょうか。

選んだのはおバカ映画2連発。
全米コメディ映画史上歴代No.1の興行収入をあげた「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」と懐かしのテレビ映画の最新版「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」。

二日酔いという意味の「ハングオーバー」が面白かったです。


独身最後の夜を悪友たちとラスベガスで過ごしたバカ男たちの悪夢の様な2日間。
ベガスのスイートルームで朝を迎えた3人。
二日酔いの頭で周りを見回すとスイートの部屋はめちゃくちゃ。
みんな、ドラッグのせいで前夜の記憶は全く無し。
で、なぜか部屋には「虎」と「赤ん坊」がいて、さらに、2日後に結婚式がある花婿が行方不明・・・、というシチュエーション。

さらに、前歯が抜けていたり、ソファーが焼け焦げていたり、最後は何故かマイク・タイソンが登場したり・・・、としつこいほど、「何で?」という事になるのですが、よく分からないけど、すごいことになってる、というこの状況が一番、面白かったです。

「酔っ払って起きて、こんな事になったらすごくない?」というバカな話を、きっちりお金をかけてきちんと映像にするところが、やはりアメリカ映画のパワーだと思いました。

という訳で、名画座に期待もせずに行って、意外に拾い物の映画を見つけるという経験も久々でしたがなかなか良いものでした。

改めて御礼申し上げます

2010-11-25 22:35:58 | Weblog
忌引きも終わったので、昨日から会社にも出社しています。

今回の父の一件をブログに書いたことで、お通夜に来てくれた方や、お線香を送ってくれた方(そんな作法があることも知りませんでした)、ブログにコメントを書いてくれたりメールを送ってくださったりと、様々な方から反応がありました。

皆様、いろいろ元気付けられました。
改めて御礼申し上げます。

父が亡くなってからお通夜まで時間があったのでいろいろと本を読みました。
あまり難しいものは読みたくなかったので、家にある小さな頃読んだ本を中心に選びました。
「トムソーヤの冒険」や「赤毛のアン」などです。
特に「赤毛のアン」は、久し振りに読みましたが実に面白く、アンが大人になる続編の5巻までずっと読んでしまいました。
アンの快活で利発、そして純粋でまっすぐな姿は、いつ読んでも心が洗われます。
少し教訓的な部分が多いのは気になりますが、時代を超えて読み継がれるべき素晴らしい一冊です。

もうひとつ、家に引きこもっていた時にはまっていたのが「AKB48」。
先日も日記ではまったきっかけを書きましたが、youtubeにアップされた彼女たちの膨大な映像を見て、ずいぶん元気付けられました。

彼女たちも、元気に踊って歌う一方で、様々なプレッシャーと戦い、懸命に努力しているのがだんだん分かってきました。
今では主要メンバーの顔と名前はほとんど判別できるようになってきたので、最初は気がつかなかったドラマ(前のPVでは後ろだったのに、だんだん人気が出て新しいPVでは前で目立っている、とか、その逆とか・・・)も理解できるようになりました。

という訳で、ようやく日常生活に復帰です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

父のお通夜と告別式

2010-11-22 07:36:29 | Weblog
この週末は父のお通夜と告別式でした。
我が家では初めての出来事。
非常に疲れましたが、なんとか滞りなく無事、父を送ることが出来たと思います。

お呼びする参列者への連絡、葬儀に使う花の選定、お坊さんとのやり取り、、、それぞれ家族みんなの意見を聞いて決めなければいけないので、決定まで時間がかかるし、なによりやらなければいけないことが実に沢山あるので、心身ともにくたくたでした。

これまで、いろいろな葬儀に参列してきて、たいてい「うるっ」となる場合が多かったのですが、いざ自分が遺族として参加してみると、「参列者の方の椅子が足りないよ」とか「料理は行き渡っているだろうか?」など、父を送ることよりも、そうしたことが気になってしまって、悲しむどころではなかった気もします。
でも、葬儀を経ることによって日常に戻る、という意味合いで言えば、忙しい葬儀の準備と本番は社会的な意義だけでなく、遺族の心理状態にも効果があるのかもしれません。

それにしても式には多くの方が参列してくださいました。
今回は会社関係など義理で出席するような方は敢えてお呼びせず、父と面識があって親しくさせてもらった方だけにお声を掛けたのですが、想定していたより多くご参列いただき、椅子が足りなくなるほどでした。

ただ、残念だったのは、そうした方、それぞれが父のエピソードをお持ちのはずなのに、ちゃんとお伺いする時間がほとんどなかったこと。
家族の知らない父の姿を知る貴重な機会だったのに、式の進行に追われ、きちんと時間を取る事ができませんでした。

最初は、そうしたことが嫌だったので、お坊さんはお呼びせず、無宗教で送るつもりでした。
ただ、やはりお墓のこととか親戚の手前などの、しがらみで呼ばざるを得なくなってしまいましたが、個人的には、お坊さんにお経を読んでもらうより、父と生前、親しかった方から心のこもった送る言葉やエピソードを聞かせてもらう方がはるかに良かったと思います。

これまで何度も結婚式の司会をやってきて、こうした行事はあまり「型」にはめない方が、心のこもった式に出来たと言う実感があるのに、いざ自分の父のお葬式になると体面を考えて、型通りのことしか出来なかったことを後悔しています。
今回のお葬式は、葬儀社の人も頑張ってくれたし、とても良い式だったとは思うのですが、無宗教でやった方が、もっと良い式になったと言う気がします。
まあ、「次」がないのがお葬式なので、この教訓も生かせそうにありませんが、、、。

父が亡くなりました

2010-11-18 08:25:01 | Weblog
(この日記は、全くの個人的な日記です。)

2010年11月16日4時31分、僕の父が亡くなりました。
73歳でした。

3年前、大病を患い、その病気は克服したのですが、治療の過程で別の病気に罹ってしまい、結局それが原因で息を引き取りました。
それでも、ここ2年以上は自宅で過ごしており、僕たち家族はこのまま穏やかに暮らしていけると素直に信じていたので、10日ほど前、急に容態が急変したことには非常に驚きました。

入院してからは酸素マスクを常に付けてなくてはならず、本人も苦しかったと思いますが、一切、泣き言は言わず、家族や病院スタッフへのユーモア溢れる気遣いには本当に驚かされました。
最後の数日は、口の中が乾ききってしまい、つばを飲み込むのも、口を開くのもつらい状態でしたが、家族の問いかけに、面白い変な顔をして笑わせてくれたりしました。
例えば、病室に僕と妹がいて、妹が用事でいったん席を外す時、「お父さん、少し席を外すよ。お兄ちゃんだけで不安だと思うけど、すぐに戻ってくるからね」と言ったら、ものすごく顔をしかめ、その後、ひょうきんな笑顔を見せてくれて、家族で大笑いしました。
日ごろから穏やかでひょうきんな人だとは思っていましたが、あんな状況の中でも、それを維持できる精神力には、尊敬の念を覚えました。

また、お見舞いに来てくれた人だけでなく、病院スタッフにも細やかな気遣いをして、彼女たちも父のファンになってくれました。
家族も一丸となってサポートしたのですが、いつも病室は賑やかで、楽しいことの好きな父は嬉しかったと思います。

最後の1週間は、家族が総出で24時間、泊り込みの介護を続けたのですが、その間、目にした父の精神力の強さには驚くことばかりでした。
悲しい出来事でしたが、父は最期まで強く闘ったと思うし、僕たちもちゃんとサポートできたと思うので、不思議と気持ちは穏やかです。
むしろ、父の強い姿と家族の絆を再確認できた気がします。

これから、葬儀の準備で、いきなり現実に引き戻されそうです。
気が重いですが、父のためにもしっかりやらなければと思います。

箱根温泉旅行

2010-11-09 00:33:23 | 旅行
箱根に行ってきました。
温泉旅行は久し振りです。

泊まったのは、芦之湯温泉にある創業350年と箱根で2番目に歴史の古い宿、松坂屋本店。
珍しいエメラルドグリーン色の温泉ということで決めました。
建物もきれいにリニューアルされていてとても快適。



いつもは東北とかの鄙びた宿を選ぶことが多いのですが、たまにはこういう贅沢な時間も良いですね。
残念ながら、温泉はエメラルドグリーン色にはならなかったのですが、白濁していて、とても温泉度が濃い感じでお肌もつるつるに。
かなり良い泉質です。
料理も手が込んでいてとても美味しく満足できました。朝食も美味しかったし。

翌日は、箱根の紅葉を楽しみながらバスで仙石原に移動。
ちょうどこの時期、草原一面にススキが広がり、素晴らしい光景を見ることが出来ました。



最後は、御殿場のアウトレットモールでお買い物。
御殿場の居酒屋で遅い夕食を取って帰宅したら、12時近く。
けっこうぐったりです・・・。

でも、温泉旅行はやっぱり楽しいです。
箱根も、思った以上に泉質が良かったので、なかなか侮れませんね。

「ミニヤコンカ奇跡の生還」

2010-11-07 07:16:05 | 
本は「ミニヤコンカ奇跡の生還」



この前、読んだ「処女峰アンナプルナ」は1950年の話だったけれど、こちらは1982年の物語。
どちらも同じヒマラヤ登山で、それぞれ登頂に成功し、下山中に遭難するという話だけど、だいぶ印象が違う。
「アンナプルナ」は下山後すぐに仲間やシェルパたちに助けられ、凍傷に罹った指を切断しながらという究極の脱出行だったものの、とにかくサポートはあった。

でもこの「ミニヤコンカ」は7556メートルの頂上付近で天候悪化のため何日もアタック隊員ふたりだけで閉じ込められ、ようやくサポートが待っているはずのキャンプにたどり着くと、そのキャンプは既に撤収され、ただ「アタック隊員二人の冥福を祈ります」という手紙だけが残されていた。
サポート隊は、アタック隊が遭難したと早合点し、撤収してしまっていたのだ!

ここから飢えと凍傷に苦しみながら、19日間に及ぶ戦いが始まる。
それは手足の指を全て失い、重度の内臓疾患に罹り、62キロあった体重が32キロにまで減ってしまうという本当に過酷なものだった。
たまたま薬草採りに来ていた現地の人に見つかるのが、あと一日遅かったら、間違いなく死んでいたそうだ。

最後は死力を尽くして這って下山するような壮絶な記録だけれど、読後は不思議と明るい印象がある。
それは著者の松田宏也さんがとても楽天的で明るい性格だからかもしれない。
頂上直下で閉じ込められている時も、演歌の替え歌でその時の状況を歌ってみたり、極限状況の中でも、著者のひょうきんな性格が出てしまう。
でも、だからこそ下山できたんだろうと思う。
楽天的な性格じゃなければ、サポート隊が撤収してしまったと分かった時点で、気持ちがめげてしまったはず。

という訳で、「奇跡の生還」を描いた迫真のドキュメントなんだけれど、なんだか明るい印象の不思議な本。
ちなみに著者はその後、社会復帰し、登山も再開し、今は大企業の役員にまでなっているそうだ。

地酒屋「こだま」@大塚

2010-11-04 23:52:19 | グルメ
今日は以前、このブログでも紹介した友人が大塚で営んでいる日本酒専門店「こだま」に行ってきました。



ここは会津のお酒を中心に、店主が選び抜いたものすご~く美味しいお酒がずらりと揃った素晴らしいお店。
久し振りに行ったのですが、試飲だけでなくおつまみも充実しているので、ちゃんと食べながら日本酒も有料試飲できるのです。

店主のこだまさんに、「乾杯にふさわしいお酒」とか「お米ががっつり感じられるお酒」などのリクエストを出すと、ちゃんとそれに合ったお酒を選んで出してくれるので、感激です。
それにしても日本酒の多様性に驚きます。
全然性格の違うお酒が次々と出てきて、それがみんな美味しいので、今夜はホントに幸せでした。
今回購入したのは、華やかでほんのり甘い「十ロ万」と14年物の古酒「太陽」の二本。

という訳で、美味しい日本酒を飲みたいなら大塚に行く価値ありです。オススメ!

地酒屋こだまのHP
http://sake-kodama.jimdo.com/

二次会は大塚の名店「江戸一」に。
頑固で少し怖い女将さんも健在で、背筋が伸びるようなきりっとした雰囲気の中、一杯だけ飲ませてもらいました。
常連のお客さんも筋がよい感じで、久し振りに「大人のお店」でした。
大塚、侮れませんね。

あ、そう言えば、友人からのメールによると大阪・阿倍野の名店「明治屋」がいよいよ閉店のようです。
再開発にずっと抵抗して頑張っていましたが、ほんとうに残念。
再開発のビルで来春、オープンらしいですが、骨董的なあの雰囲気があってこそのお店。
またひとつ街が味気なくなってしまいました。

「処女峰アンナプルナ」

2010-11-02 21:09:59 | 
本は「処女峰アンナプルナ」。



1950年、人類史上初となる8000メートルの高峰への登頂が成功しました。
ネパールにあるアンナプルナ8078mにフランスの登山隊が登頂。
この本は、その登山隊の隊長で、自身、登頂にも成功したモーリス・エルゾーグが書いた迫真のドキュメントです。

本当にすごい本です。
本は2部構成で、登頂に至るドキュメントと、登頂後、ひどい凍傷に罹り手足を少しずつ切断しながら撤退する壮絶な下山部分に分かれています。

著者のエルゾーグは、結局、手足のほとんどを失うのですが、その入院中に書かれたこの本は不思議と陰惨な印象はありません。
近藤等の爽やかな翻訳もあるのでしょうが、31歳と若くもあった彼自身の性格に寄るものかも知れません。
この遠征自体、典型的な極地法登山でありながら日本の登山記録の様なややこしい上下関係をあまり感じさせず、9人の登山メンバーがそれぞれ考え、ベストを尽くした末に勝ち取った「登頂成功」だったと思います。

1950年当時、アンナプルナ周辺の地理はほとんど知られておらず、唯一あったインド測量部の地図も重大な過ちがありました。
登山隊は、当初、登頂の目標をアンナプルナだけでなく、隣のダウラギリにも置き、それぞれの麓にまで至るルートの探索から始めています。
そのルートを探るために、いくつもの偵察隊を出して、麓までのコースを探り、さらにその山で登山が出来そうなルートも選ばなければいけません。

まさに「登山」だけでなく「探検」的要素も濃厚な遠征だったのです。
遠征には、ガストン・レビュファら当時最高の登山家が参加しています。
つまり、上意下達的な登山ではなく、より柔軟に、参加した登山家それぞれの能力をフルに発揮できるような組織が必要だったのでしょう。

登頂成功後の壮絶な記録も興味深かったですが、やはりフロンティアスピリット溢れるヒマラヤ探検部分が一番印象に残りました。

実はアンナプルナのベースキャンプに10年以上前に行ったことがあるのですが、もうすっかり登山道が整備され多くのトレッカーが各国から集まっていて探検的要素はまったくありませんでした(ものすごく美しく素晴らしかったですが)。

著者は最後に「アンナプルナは、自分の生涯の残りを生きる宝なのだ」と書いていますが、ヒマラヤ黄金時代の幕開けとなったこの登山が出来たこの時代は、まさに良い時代だったのでしょう。