東京ナイト

旅行、食事、映画にお芝居、日々のささやかな幸せを記録します

映画「白いリボン」

2010-12-31 08:16:13 | 映画
今年最後の映画は「白いリボン」。
2009年、カンヌでパルムドールを獲ったドイツ映画。



全編全てモノクロームのこの映画は、悪意と嫉妬と暴力、それに逃れられない運命の悲しさに満ちた映画でした。

1913年のドイツの田舎の村。
平凡で平和に見えた生活は、ある日、村のドクターが落馬事故によって重症を負うことによって変わっていきます。
この事故は、通り道に針金が張られていたことによって起きたのです。
「いったい誰が何のために?」・・・。

この事故に続いて、村を支配する男爵の畑が荒らされたり、男爵の息子が乱暴されたりといった事件が続発して、村の平和が乱されていきます。

神への信仰によってまとまっていたかに見えたこの村は、実は差別と格差によってどろどろとに煮詰まっていることが、こうした事件によって明らかになっていきます。

外部から来た村の教師の視点で物語が進んでいくので、事件の謎が全て明かされることは無く、映画を観ている私たちも、よく分からないままです。
しかしこれが逆に物語に集中するきっかけになりました。
テレビドラマやハリウッド映画のように説明過多でお約束の物語に慣れている私たちにとって逆に新鮮な気持ちになりました。

それに加え、モノクロームの画面の緊張感がすごかった。
特別なカメラワークがあるわけではないのですが、非常に力強いカメラでした。
画面の端のほうで小さく物語が起きていたりもするのですが、ここでもモノクロームにすることによって情報量を少なくして、観客の意識を集中させる効果が出ていました。

あと、映画で重要な要素である「音楽」もほとんどありません。
エンドロールまで無音なことに驚きました。
映画の中では、村の外とつながっている「教師」と「男爵夫人」しか音楽を楽しんでいないのは象徴的でした。

という訳で、年末の浮かれた気分を吹き飛ばすような怖い映画。
昔のドイツの地味な話でなんとなく「古臭い映画」なのかなと最初は思っていましたが、実は情報を少なくすることで観客の想像力をかき立てる「新しい映画」と感じました。

中華「龍圓」@浅草

2010-12-29 08:57:53 | グルメ
もう今年もわずか。
締めに美味しいものを食べようということで浅草で中華。
「龍圓」。

食べログでも評判のお店です。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1311/A131102/13003700/
ビューホテルの脇、なんだか普通の中華料理屋に毛が生えたような店構え。
それでも質素な店内は満席。
なんだか期待が高まります。

サービスはいまひとつ。
年の瀬なので太っ腹に好きなものをぜんぶ頼むことにしました。
写真の二種トマトの酢豚の他、蟹を使ったチャーハン、鶏肉と野菜の柚子胡椒炒めなど、かなりお腹いっぱいになりました。



どれもけっこう美味しかったですが、店構えの割りに強気な値段に見合うほどではなかったかな。
チャーハン(3500円)も、「まあ美味しいね」といった程度。
びっくりはしませんでした。

という訳で、今年最後のグルメ探検はそれ程印象に残るものでは無かったですが、「来年こそは」と決意を新たに出来た夜でした。

町田久美展@西村画廊

2010-12-22 22:21:01 | 展覧会
現代美術は全くの門外漢。
どんなアーティストがいるのかもほとんど知らないのですが、ずっと気になっている人が一人だけいます。

それが、町田久美さん。
この「東京ナイト」ブログの右側、プロフィール欄で使っている目の絵もそうなのですが、日本画をベースに色をほとんど使わず、シンプルでありながら力強い線が印象的な作品を描いています。
なんだかエロティックで不気味でかわいらしいのです。


数年前、朝日新聞で取り上げられた小さな記事で彼女の作品を見て以来、ずっと気になっています。
こんな作家さんに出会ったのは初めて。
以来、個展には必ず足を運んでいますし、トークイベントに行ったり、今、新国立美術館で開催中の「DOMANI・明日展2010」にも彼女の絵があるので行ってきました。
ちなみのこの展覧会、彼女の作品が他の参加アーティストを圧倒していました。

で、ホームの西村画廊で「Stories from a Cold Country」と題した個展が開かれています。
大きな作品も展示してあったのですが、気になったのが「散歩」と題された小さな絵。
珍しく色を使っていて、フードを被った男が描かれています。

なんだかとても気になります。
で、まだ売れていないのです・・・。
いわゆる「マチダクミ」風の絵とニュアンスが違うせいだと思うのですが、何故か売れ残っていて、僕を誘います。
怖くてかわいい絵です。どうしようかな~・・・。

という訳で、日本橋の西村画廊で来年2月11日まで個展が開催中。
他にも新宿高島屋での共同展など活躍中です。
興味のある方はぜひ!

西村画廊HP
http://www.nishimura-gallery.com/exhibition/2010/machida/machida.html



「全聚徳」@新宿

2010-12-21 00:55:13 | グルメ
日曜日は家族で食事会。

新宿にある北京ダックの専門店「全聚徳」で。
ずっと昔、北京の本店でご馳走してもらったことがあった事を思い出しながら、久し振りに食べた北京ダック。
美味しかった~~!



北京ダックってちょっと単調なところがあると思いますが、お腹の皮をぱりぱりに焼いて砂糖をまぶして食べたり、胡麻パイに包んで食べたりと、いろいろなバリエーションで食べさせてくれたので飽きずに楽しめました。
サービスも中華にしてはしっかりしていて満足だったし、夜景の見える個室も天井がすごく高くてゴージャス。
紹興酒のバリエーションがもう少しあると呑み助には嬉しいのですが、まあけっこう満足できました。

ここ数ヶ月、いろいろあって大変でしたが、今回みんなで大笑いして美味しいものが食べれて良かったです。
やっぱり美味しいものを食べるとパワーが出ますね。

こういう食事会、前は時々、開いていたのに、なんだか最近ご無沙汰でした。
これを機に定期的に開催していこうと思いました。

週末は木こり仲間との忘年会

2010-12-20 23:18:25 | Weblog
週末は木こり仲間との忘年会でした。



毎年恒例の忘年会も今年で何回目でしょうか?
手作りの心温まるイベントで毎年楽しみなのですが、今年思ったのが、「時は過ぎていくな」ということ。
今回も、美味しい料理が揃い、サプライズイベントがあり、大笑いしたのですが、ふと参加したメンバーの顔ぶれを見回すと、新しい顔がだいぶ増えていました。

もちろん新しいメンバーが増えるのは嬉しいことで良いことなのですが、その一方で、古参メンバーの出席率が減っているような気もしました。
いろいろ忙しい人たちが多いので、なかなか参加も難しかったんだと思います。
でも、やはり寂しい話。

毎年同じようなイベントですが、やはり一期一会なんですね。
なんだか、5年後のこととかを考えてしまいました。
みんなどうしているんだろう・・・。
笑顔でメンバーたちが勢揃いできれば、と思います。

30年振りの出来事

2010-12-11 22:40:32 | Weblog
今日は歯医者に行きました。
2ヶ月前、ずっと乳歯のまま残っていた前歯が抜けてしまい、しばらく放って置いたのですが、さすがに気になって治療することに。

実は歯医者に行くのは30年振り。
歯は丈夫で虫歯にもならないので行く事もなかったのです。
だから「虫歯は子どもの時になるもので、大人は歯医者に行かないのが普通」と思っていたのですが、今日、先生には「30年も歯医者に来ないなんてすごく珍しい」と驚かれました。
先生によれば、もともと歯並びが良く虫歯になりにくいそうなのです。

それにしても30年振りの歯医者。
すごく設備が立派でびっくり。
治療のため椅子が自由自在に動いたり、レントゲン室も最新式できれいでした。
進歩しているんですね。

小学生の頃は、あの「キーーー」という歯を削る音が待合室に鳴り響いて、恐怖に身を縮ませたものでしたが、なぜか今回、その音は聞こえませんでした。
治療は始まったばかり。
設備だけじゃなく、痛くないように技術も進歩していると良いのですが・・・。

「空白の5マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」

2010-12-09 22:40:13 | 
本は「空白の5マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」角幡 唯介。



今年の開高健ノンフィクション賞の受賞作品。

チベット奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。
近づくことも困難なこの渓谷は、複雑な曲線を描いて流れており、下流がどの川に合流するのか確かめることが出来なかったため「謎の川」と呼ばれていた。

その為、19世紀から数々の探検家により、秘密のベールに挑む試みがなされてきた。
その過程で、「ツアンポー峡谷の奥深くには巨大な滝が隠されている」という伝説が生まれたりもして、ますます探検家の征服欲が駆り立てられることとなった。

結局、1924年、イギリスの探検家の手により、峡谷のほとんど部分が解明された。
ただ、どうしてもたどり着けなかった部分が5マイルあり、それが「空白の5マイル」として地図の空白部分として残され、幻の大滝もここにあるのではないかと推測された。
その後のチベットの政治的混乱によりこの「空白の5マイル」だけが手付かずの課題として残される事となった。
また昔からチベット仏教で「ベユル・ペマコ」と呼ばれる桃源郷のような場所がこの峡谷にあるのではないかともされていた。

と、ワクワクするようなこの地理的空白地帯は、1990年代に入り、中国政府の改革開放政策により再度、探険家の注目を集めることになった。
アメリカの著名登山家やNHKのテレビ取材チームなどに混じり、日本の大学探検部の部員もこの探検競争に加わった。
それがこの本の著者、角幡 唯介。

大学時代の探検に続き、大手新聞社を辞めて2度目の探検を行った記録がこの本にまとめられている。

読んでいてとても興奮した。
文章も簡潔で、状況がよく分かるし、なにより「21世紀の地球上にまだこんな空白が残されていたのか」という新鮮な驚きがある。
その空白に挑む過程は、一歩間違えれば命を落とすような危ういものだった。

著者は、「死の危険があるから冒険は意味があり、そのリスクの中にこそ、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在する」と書く。
かっこいい・・・。

実は、著者は同じ探検部の後輩。
僕のほうが3コ上なので一緒の活動はあまりしていないが、当時から不思議な大きさのある後輩だった。

この本を読み終わって、やはり今の自分の生活を考えさせられた。
今の自分に、「生きている意味を感じさせてくれる瞬間」は存在するだろうか。

大学時代の僕も大きな遠征を計画して、すごく充実した「生きている意味を感じさせてくれる瞬間」を過ごしていたと思う。
でも今は・・・.
YouTubeでAKB48の映像を見ているだけじゃね・・・。

うーむ、本当に頑張らねば!!
という訳で、読む人、ひとりひとりに「生きる意味とは?」とナイフを突きつけるような渾身の一冊。
もちろん大オススメ!!

ありがとう角幡。
俺も頑張るぜ!

『宮古島の神歌と古謡2010』@法政大学 市ヶ谷キャンパス

2010-12-04 23:13:47 | ライブ、芝居、演芸など
今日は久し振りにライブ。
『宮古島の神歌と古謡2010』@法政大学 市ヶ谷キャンパス



沖縄や奄美の島唄を聞く機会はけっこうあると思いますが、宮古島、しかも「神歌」となるとめったにないチャンスだと思いチケットを取りました。

神歌とは、御嶽(現地で信仰されている祭祀の聖域)で歌われる歌のこと。
ゲストスピーカーとして少しだけ講演してくれた民俗学者の谷川健一さんによると、沖縄や八重山諸島では「神歌」が絶えてしまっている所が多く、宮古島ほど、そういった祭祀の「根が残っている」島はないとの事。

ただ、やはり宮古でもだんだん下火になっていることは確かのようで、今回ステージで歌ってくれたおばあにもちょっと覚束ない感じのところもあったりしました。

でも、今回、もっとも素晴らしかった狩俣ヒデさんの神歌は圧巻。
宮古島狩俣地区の冬祭りの際、山篭りする女性たちだけで歌われる「マァズマラヌフサ」という歌なのですが、20分以上延々と単調なリズムが繰り返されます。

これが本当にはまる。
もちろん宮古の言葉は分からないので、歌詞の内容は全く理解できないのですが、淡々と繰り返されるリズムにじっと耳を傾けていると、古代から続く祈りの螺旋に立ち会っているような不思議な感覚を覚えました。
シベリアの少数民族とか、南米やアフリカの人たちもきっと同じような祈りの歌を歌っているんだと思います。
本当はもっともっと長い歌だと思うので、もっと聞いていたかった。

この狩俣ヒデさんは出色でしたが、あとは「なるほど」という感じ。
というか、演出が練れていないし、会場が広すぎて演者が乗れず、ただ「神歌を都会の皆様の前で披露します」というだけになってしまったんだと思います。
主催の久保田麻琴という人が、一曲終わるたびに、つまらない話でリズムを壊してしまい、これが白けました。

という訳で、6000円のチケット代は少し高い気がしましたが、狩俣ヒデさんの神歌を聞けたのが収穫でした。

<出演者>
神歌:
ハ―ニーズ佐良浜 [伊良部島佐良浜地区]
濱川美代(元大司)、長崎国枝(元カカラ)、上原敏美(元カカラ)、与儀千代美(元カカラ)、
仲間八重子(元ナカンマ)
宮国マツ [宮古島上野地区]
狩俣ヒデ [宮古島狩俣地区] 

古謡:
仲本光正  [在東京、宮古島西原地区出身](歌、三線、クイチャーパラダイス代表)
浜川春子  [多良間島](歌)

ナビゲーター:
久保田麻琴 (音楽プロデューサー・音楽家)
ゲスト・スピーカー:
谷川健一 (民俗学・地名学・作家・歌人)
サラーム海上 (よろずエキゾ風物ライター・DJ・和光大学オープンカレッジぱいでぃあ講師)

「芸術闘争論」

2010-12-02 22:18:22 | 
本は「芸術闘争論」。



この村上隆の本を本屋で見かけたときは、偽物っぽいこの表紙にうんざりして、そのまま立ち去ろうとしたけれど、帯に書いてあったコピーに目が行き購入。
帯には「闘いもしないで、闘う僕の事を嘲っていたい人は嘲っていればいい」と書いてある。
この中島みゆき的コピーに惹かれ購入。帯のコピーで買うなんて久し振りかも。

で、読んでみたら、なるほど面白かった。
著者は「世界で通用する現代芸術家になるための方法を、ラーメン屋の主人が秘伝のタレのレシピを明かすように公開する」と書いているけれど、かなり具体的実践的に書いている。

まず、世界のアートシーンにはルールがある、ということがポイント。
具体的には、「現代芸術は、英米の芸術である」というポイントをまず押さえ、ここに戦後のアートの文脈を押さえたコンテクストを挿入し、さらに自国の問題をトッピングする事がルール。
このルールを踏まえないと、そもそもゲームに参加できない。
世界で闘う芸術家になるには、まずその闘いのルールを理解して、そのルールに則り闘わなくてはいけないと言うこと。

著者は再三、日本の美術教育の弊害を語るが、一番の問題はこのルールを知らず、ただ「個性=自由=芸術」という信仰を教えてしまうことだと言う。
これはけっこうびっくり。
確かになかなか受け入れられないかも。

でも、著者が世界で闘っているのも事実。
小説にたとえるなら、ハリウッドで映画化されるようなメジャー小説家を目指しているのが村上隆で、彼が批判する日本のアートシーンの大部分は私小説をしこしこ書いている同人誌的小説家なのかもしれない。

でも、どっちが良いかというのは、当然の事ながら好みの問題なので難しいところ。
例えば、著者の教えるルールには、「作品は大きいほどいい」というものがある。
理由は、欧米のリッチなコレクターはみんな大きな家に住んでいて、その家の壁を埋めるには、大きな作品の方が喜ばれるから、だって。
うーむ・・・。

とは言え、同人誌にしか書かない小説家でも、メジャー小説は読んでおくべきだし、その手の内を晒した村上隆はちょっとすごいかも。
という訳で、現代芸術に縁遠くても、現代芸術の最前線の状況が少し分かって、意外に楽しめた一冊。



あ、そう言えば村上隆絡みでエピソードがひとつ。
毎年、あるギャラリーで日本の骨董を集めた展覧会が開催されていて、いつも僕は行くようにしていたんだけど、その展覧会の優良顧客の一人が村上隆で、そこに出品している美術品の多くを買い占めていた。
ある年、僕のほうが早くその展覧会に行ってある神像を買ったんだけど、その後に来た村上隆が、会場に入るなりその神像の前に立ち、真っ先に「これが欲しい」と言ったものの、既に僕に買われてしまっていたので彼はかなり悔しがった、という話。
いや、単なる自慢話ですが・・・。