とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

現代文の参考書シリーズ こども論1

2016-07-12 17:15:02 | 現代文の参考書
【子ども論】
 「子ども論」という分野があります。それについて解説します。

 この分野は、誰もが自分の体験として感じることができるものなので、わりと理解しやすいものではないでしょうか。
 
【「巨人の星」と「タッチ」】
 子ども論を考える上で、象徴的な例が「巨人の星」と「タッチ」です。アニメにもなったマンガで、知っている人も多いのではないでしょうか。野球を題材にした漫画で、大ブームになりました。

 「巨人の星」は梶原一騎、川崎のぼるという人の作品で、星飛雄馬という主人公が、父親である星一徹に小さいころからスパルタ教育を受けて、巨人軍のエースに成長していくというお話です。父親は息子を当然のように殴ります。それに時には反発しながらも飛雄馬はそれに耐え、逆にそれをバネとして成長していきます。

 わたしは小学生のころそのアニメを見ていました。当時、「アタックNO.1」「サインはV」「エースをねらえ」など、そういういわゆる「スポ根」ものが多くありました。私の世代に人は成功のためには努力と根性が必要である(?)と教えられたわけです。そしてそれを実践していた人もかなりいたのではないでしょうか。私世代の根っこには、スポ根精神が存在しているのです。

 「タッチ」は、私が大学生のころ連載が始まったと記憶しています。あだち充という人の作品で、上杉達也という主人公が、双子の兄の死を乗り越え甲子園で活躍する姿を描いています。

 ただし、同じ野球を題材といていながら、こっちはぜんぜん雰囲気が違います。高校野球を題材にしながら、恋愛や友情をテーマとしていて、根性なんて無縁の世界です。もちろんスポーツですから時にはがんばるわけですが、それもほどほどと言ったところで終わってしまいます。それよりも主人公の達也と幼馴染の南との恋愛のほうが物語全体の主軸になっていたと思います。マンガもアニメも大ヒットしました。

 さて、「巨人の星」では子どもである星飛雄馬君は、半人前であるからこそ、親が一人前の大人にしようと厳しく接しました。子どもを大人になる前の未成熟な存在として教育していたわけです。

 一方、「タッチ」では上杉達也も、その周りの高校生たちも、ひとりの立派な人格として描かれています。時には高校生らしい無邪気さもあるのですが、それはそれでひとりの人間の個性として認められているのです。大人たちは時にはアドバイスらしきことを言うこともあるのですが、押し付けになりません。相手を高校生という半人前の存在としてではなく、あくまで一人の人間として接しています。

 つまり、「巨人の星」は近代の作品で、子どもは、大人になる前の未成熟な、半人前の存在として描かれていますが、「タッチ」は子どもも大人と同じように一人前の人間として描かれているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする