今日の朝日新聞の「折々のことば」。
生きているそのあいだ、なるたけ多くの「終わり」に触れておく。そのことが、人間の生を、いっそう引きしめ、切実に整える……(いしいしんじ)
人は自分という存在の始点も終点も知らないし、知りえもしない。自分がどこから来てどこへ行くのか。いずれも霧の中だ。でも、人の生が「終わり」を孕(はら)んでいるのは確か。だとすれば、旅にせよ、茶事にせよ、小さな「終わり」をくり返し「からだの芯へ収める」ことで、中途としての人生にも光が射(さ)す。作家の『且坐(しゃざ)喫茶』から。(鷲田清一)
昔は「終わり」は「ウザイ」ものだった。しだいに「いや」なものに変化してきた。そして今「終わり」に恐怖を感じている。いずれにしてもいつも「終わり」を避けてきた。そろそろ「終わり」を受け入れる準備をしなければいけないのかもしれない。「終わり」をしっかりと見つめることができた時、心が豊かになるような気がする。
生きているそのあいだ、なるたけ多くの「終わり」に触れておく。そのことが、人間の生を、いっそう引きしめ、切実に整える……(いしいしんじ)
人は自分という存在の始点も終点も知らないし、知りえもしない。自分がどこから来てどこへ行くのか。いずれも霧の中だ。でも、人の生が「終わり」を孕(はら)んでいるのは確か。だとすれば、旅にせよ、茶事にせよ、小さな「終わり」をくり返し「からだの芯へ収める」ことで、中途としての人生にも光が射(さ)す。作家の『且坐(しゃざ)喫茶』から。(鷲田清一)
昔は「終わり」は「ウザイ」ものだった。しだいに「いや」なものに変化してきた。そして今「終わり」に恐怖を感じている。いずれにしてもいつも「終わり」を避けてきた。そろそろ「終わり」を受け入れる準備をしなければいけないのかもしれない。「終わり」をしっかりと見つめることができた時、心が豊かになるような気がする。