とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

受験生の立場での対応を(東北大学の「大学入学共通テスト」の対応に対して)

2018-12-06 08:38:10 | 教育
 東北大学が平成33年度入試(2021年入試)における「大学入学共通テスト」の対応を発表した。

 この「大学入学共通テスト」というのは、現在の「センター試験」に代わるものであり、新たな試みがなされる。大きな変化は以下の2点である。

・この試験とは別に英語に関しては「英検」や「TOEIC」などのような民間の検定試験を受験しなければならない(スピーキング、ライティングの試験が必須)
・国語と数学で記述式試験が加わる

 
 英語の民間試験に関しては話題については話題に上ることも多く、耳にしたことがある人も多いのではないかと思う。あまりに杜撰なものであり、今回の東北大学の「出願要件としない」という決断は現状では妥当なものである。

 国語の記述式については東北大学は次のように発表した

①国語の記述式問題の活用については,以下のとおり取り扱います。
1)段階別評価を点数化して合否判定に用いることはしません。
2)ただし、合否ラインに志願者が同点で並んだ場合,記述式問題の成績評価が高い
志願者を優先的に合格とします。
詳細については,大学入試センターによる成績表示方法の決定発表を待って改めて公
表します。
(補足説明)
・思考力・表現力は重要ですが,本学では新共通テストの記述式問題(80 字~120 字)程
度及びそれ以上の高度な問題が一般選抜の個別試験や AO 入試の筆記試験ですでに出題
されており,思考力・表現力等の評価は現状でも十分可能であると考えています。
・段階別評価を点数化すること自体が段階別評価の理念に整合しない恐れがあります。
・また点数化した場合の点数の開きが本来の成績差を合理的に反映したものとは考えられ
ず,受験生の不公平な扱いとなる恐れもあります。


 これもとてもまっとうなものです。

 しかし、まっとうであるがとても困るものです。もしこのようなことになってしまったら、ほとんどの受験生は記述式問題を一番後回しにして時間がたりなければやらずに終わらせることになります。東北大学だけしか考えていない受験生ならばそれでいいかもしれません。しかし多くの受験生は他の大学も考えざるをえません。すると記述式にどう対応するか。どれくらいの時間をかけるべきかなど、学力とは別のところで神経を使わざるをえなくなります。これは受験生に大きな心理的な負担と混乱を与えることになります。東北大学としては妥当でも、全体を見た場合はだとうではないのです。

 英語の検定試験だって同じだと思われるかもしれません。しかし、英語の検定試験は別日程で行われます。しかも東北大学を受験するレベルであれば英検準2級ぐらいはとれると思いますので、結局は受験しておくということで落ち着くことが予想されます。だからそんなに大きな混乱はないのではないかと思われるのです。

 それに対して国語の場合は「大学入試共通テスト」の「国語」の時間の中で記述式が行われるのです。従来「センター試験」では80分で「現代文評論」「小説」「古文」「漢文」それぞれ50点ずつの4問、計200点の問題が出題されていました。今回の変更で「大学入試共通テスト」では、「センター試験」とほぼ同じような試験に新たに記述式の問題が加わります。時間は100分になります。ところが記述式の問題は「点数化しない」と公表されています。「国語」の試験は、計200点のマーク式の問題と、点数化しない記述式の問題を100分の制限時間で行うのです。(この説明でほとんどの人は理解できないのではないかと心配しつつ、先に進めます)では、記述式の問題はどう扱われるのか。段階評価するという発表がなされ、段階についてのシミュレーションが公表されています。そしてその段階評価の扱い方は大学に任されているのです。

 そもそもこの制度がどれだけおろかなものか。多くの人は指摘していましたが、当局は後にはひけないと突っ走ってしまています。でたらめすぎます。

 しかしそれでも私はこの段階評価を結局は点数化していくのではないかと思っていました。そうでもしなければ試験が試験として成り立たなくなるかれです。

 今回東北大学の見解は、「記述式の部分はほとんど見ませんよ。」というものです。これはこれで筋は通っていてすがすがしいものです。しかし、受験生の身になって考えてみたら、混乱させられるだけです。いくら大人としての筋を通しても、犠牲になるのが受験生ならば賛成することはできません。だれが悪いのかは判然としませんが、あきらかに「大人」が悪いのです。そのつけを「子ども」に払わせるわけにはいきません。私の理解不足による勘違いかもしれませんが、東北大学の方にはもう少し丁寧に説明していただきたいと思います。

 この混乱の責任はしっかりと「大人」がとらなければいけません。受験生の立場に立った改革にしていただくように強く要望します。
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鏡の中の右と左が逆転するのはなぜ? 「探求」ブームへの懸念

2018-10-20 08:16:05 | 教育
 『チコちゃんに叱られる』を見ていたら、「鏡の中の右と左が逆転するのはなぜ」という問題が出題されていた。実はこの問題は20年くらい前に私が進学校に勤務していた時に夏休みの宿題として出したものである。提出は自由だったのだが、実際に解答を提出した生徒が2人いた。一人はほぼ正解といっていい詳しい解答を書いてきた。その解答にはさすがに感動した。

 近年「探求型」という言葉が教育界のブームになっている。「鏡の中の右と左が逆転するのはなぜ」というような問題に取り組むことは探求心を刺激し、探求意欲を高めることができる。しかし当時と現在は大きく違う。インターネットの普及である。20年前はインターネットがないから、問題を考えるためには図書館に行き、資料をさがすことから始まった。その資料もほとんどが読み込むのがむずかしいものだった。だから必然的に自分で考えなければいけなかった。本当に探究心がなければいけなかった。しかし現在はインターネットを検索すればほとんど答えが出てくる。インターネット内の解説を理解する力は必要であるが、自分で考えて答えを見つけるという力は必要ない。本当の意味での探求心なんて必要ないのである。

 果たして今教育界で求めている「探求」とは何なのか。わからないまま進む姿はかつての「ゆとり」と同じではないだろうか。
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教師の「働き方改革」は無理だ

2018-10-07 09:53:10 | 教育
 日本の教員は働き過ぎである。時間外に月50時間以上働いている人がほとんどである。これではまともな生活が送れない。

 時間外労働は授業の準備などのためではない。逆に授業の準備は自転車操業状態であり、まともに準備できないまま授業に臨まなければならない。これが教師のストレスになっている。では教師は何に時間を使わされているのか。主に部活動と事務仕事である。

 部活動はやりたい人にとってはいいかもしれない。しかしやりたくない人にとっては苦痛でしかない。とは言えやりたくないという態度をとれば、周りから白い目で見られる。あるいは部活動派と、アンチ部活動派の目に見えない対立が常に緊張感を生みストレスを生み出すことになる。

 事務仕事はどんどん増えている。特に会計処理は面倒くさい。主たる仕事以外にしなければいけないのにもかかわらず、正確さを要求されるので、いつもあたまのどこかにひっかかりが残っている。これもストレスを生み出す。

 さてこのような状況を問題視して、最近の職場で「働き方改革」のアイディアを募集した。それはそれで悪いことではないのかもしれないが、それは小手先の改革でしかいない。仕事量がどんどん増えているということのほうが問題なのであり、それをこなすためには、仕事量を減らすか学校職員を増やすしかないのだ。根本が違うのだ。

 部活動は地域に移すしかない。事務的な仕事は学校職員を増やすしかない。教師が授業に集中する状況を作らない限り日本の教育は衰退するか、教員が過労死するしかない。しかし財源不足のため、結局は政府は現状の教員にすべてをまかせる方策しか考えられないのだ。小手先の改革は馬鹿にされているようにも感じる。政府はもっと真剣に改革に取り組んでほしい。

 「教育は国家百年の計」という言葉がある。この言葉を百年後に改革が成就すればいいみたいに勘違いしている人がいるのではないか。今しっかりと改革してこそ百年後にその効果が現れるという意味である。改革を先送りしてはいけない。
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書評『たった一つを変えるだけ』(新評論社)

2018-09-17 13:47:24 | 教育
 副題「クラスも教師も自立する『質問づくり』」
 著者:ダン・ロススタイン、ルース・サンタナ
 訳者:吉田新一郎

 先日、野矢茂樹さんの小論文の講演に行った。その時野矢さんが紹介していたので、さっそく購入して読んでみた。とてもおもしろい本である。

 従来の教育は、教師が答えのある問題を質問して生徒はその答えを求めていた。それは発展性に乏しい。生徒は結局は教師の「正解」を待つことになるし、教師も指導書通りの結論に満足してしまう。教師にしてみれば答えがわからないという不安から逃げることになるのでそのほうが楽なのである。結局教師も生徒も「考える」という行為から逃げていただかなのだ。

 探究的に「考える」力を育てるためには、生徒は「質問する」ことができることが必要なのであり、「質問する力」を引き出すことが教師の行うべき仕事だということをこの本は主張している。現代の教育において重要なことを教えてくれる。

 ここ数年「探究型」という言葉が独り歩きし、授業がイベント的になってきている。もっと基礎的な部分での形の見える実践例を教師は学ぶべきであり、この本はそのヒントとなると私は感じている。私自身もさっそく実践してみたい。
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「入社試験が公平ではない」という理由で大学入試が公平でなくてもいい?

2018-08-20 09:48:13 | 教育
 現在戦後最大の教育改革が進行中である。今回の改革の大きな特徴は大学入試が大きく変わるということである。さまざまな改革が行われても高校の教育が微動だにしなかったのは大学入試が詰め込み教育によって点数があがるようにできていたからであり、大学入試が変わらなければ高校の授業がかわるはずがなかったのである。だから今回大学入試を変えようとしているのである。

 その一環として英語の4技能の問題が浮上した。「4技能」というとなんだかわからなくなるのであるが、結局はスピーキング力のことであり、スピーキング力をつけるためにはスピーキング力を測る大学入試にならなければならない。ところがそれをつくる能力が大学入試センターにはない。だから民間試験を活用しようという話が浮上したわけだ。受験生はセンター試験以外に民間の英語検定試験を受験しなければならない。それは一見よさそうであるが、大きな問題ばかりだった。

 問題の一つ目は経費がかかりすぎること。問題のふたつめは受験場所が限られるということ。そして最大の問題となるのは、公平性が保たれないことである。民間の英語検定試験は何種類かがあり、その検定試験はもちろんそれぞれ違った尺度で点数がつけられている。それを公平に見ることなど不可能なのである。

 さて困った。

 最近、こんな話を改革派の人が言い始めた。
 「入社試験が公平ですか。違いますよね。社会に出れば公平でないことなんかたくさんある。『公平、公平』と言いすぎるのはおかしいのではないですか。大切なのは改革を止めないことです。」

 改革の必要性は多くの人が認めていることである。しかし、それと公平性の話はまるで次元の違う話だ。こういう意見は論点ずらしでしかない。ふざけた発言は慎んでもらいたい。もっと冷静になって解決策を考えべきである。

 改革派の人たちはこれまで必死にがんばってきたのであり、この改革を成功させたいという気持ちはよくわかる。しかし尊敬していた先生たちがこういう発言をしているのを聞くと、ショックである。
 
 私は教育改革の方向には賛成である。この改革は成功させるべきである。しかし様々な問題が出てきている以上、一度立ち止まるべきだと考えている。急ぐ必要はない。犠牲になるのは受験生なのだ。子どもたちを実験台にするような改革はあってはならない。

 この改革のウラに大きな利権のにおいがしてきたため、反対派も賛成派もけんか腰になり始めている。冷静になればきっといい案が生まれる。消費税が簡単に延期になったのだから、大学入試の変更が2、3年先送りになっても問題あるまい。
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