とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「『平成』最後の」

2018-12-31 04:38:36 | 社会
 最近「『平成』最後の」という言葉を頻繁に耳にする。きょうは「『平成』最後の大晦日」だし、明日は「『平成』最後のお正月」である。「『平成』最後のクリスマス」なんていうのもあった。軽い気持ちで言っているだけなので、目くじらをたてるほどのことではないのはわかるけれども、あまりに頻繁に聞くのでさすがにうんざりしてしまう。

 最近今上天皇を振り返るテレビ番組があるが、陛下は「平和」を最大のテーマに活動していた。「平和」になるためには、謙虚になることが大切だと行動でしめしていたような気がする。そしてお互いを理解し、お互いを助け合う、それを自ら実践していた。天皇として自由のない忙しい生活を過ごす中で、必死に「象徴」としての役割を果たしてきた。尊敬できる人である。

 最近耳にする「『平成』最後の」という言葉は、『平成』最後だから盛り上がろうぜ」という意味にしか聞こえない。中身なんかどうでもいい。気分が高揚すればそれでいい。そんな世相を表していることばである。ちょっと浮かれすぎているような気がする。

 天皇の交代はお祭りではない。謙虚にまじめに受け止めるべきことのように思う。
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猫中心だから

2018-12-28 08:12:55 | お題
 年末年始にどっかに遊びにいきたいのですが、家には高齢になってきた猫がいるので、遠出できません。だから家でテレビを見ているぐらいしかありません。

 以前は近くに母が住んでいたので、猫の世話を頼んでかなり長い旅行ができたのですが、一昨年その母が亡くなり、頼める人がいなくなってしまいました。1泊ならば、なんとかなるようですが、それ以上は家をあけるわけにはいきません。しかも猫も高齢になったいるので、1泊でも気になってしまい、旅行が楽しめなくなっています。

 高齢といっても見た目は若い時と変わりがありません。しかし高いところから降りるときは「よっこいしょ」という感じで、慎重にゆっくりとなっています。しかも最近はマッサージをしてもらいたくて、私の膝の上にあがってくるようになりました。マッサージをしないと、私をにらみつけて鳴きだします。自分勝手な猫です。

 何もない正月ではありますが、日頃読めないような本でも読んでみたいと思っています。
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美術・文芸・音楽著作権、30日から死後70年に延長

2018-12-26 13:27:51 | 著作権
 朝日新聞の記事より引用する。

 日本の美術・文芸・音楽作品の著作権の保護期間=キーワード=が30日、環太平洋経済連携協定(TPP)発効に合わせ、欧米並みの死後70年に延びる。延長は約半世紀ぶり。過去の作品を利用した新たな創作がしにくくなるなど、文化の発展を妨げるのではないか、という懸念の声も上がる。(木村尚貴)

 「生涯をかけて描いた作品で、子々孫々まで養える安心感がある」。「銀河鉄道999」の漫画家松本零士(れいじ)さんは、延長を歓迎する。欧米との差をかねて疑問に思っており「日本もやっと世界の潮流に合わせた形になった」と話す。

 TPP発効で、1968年に亡くなった作者の著作権はぎりぎり消滅を回避した。68年没の画家藤田嗣治(つぐはる)の著作権を管理する仏の「フジタ財団」の担当者も、「非常に満足している」という。「作品の使用料で、藤田の仕事を保護したり、藤田の妻の遺志だった、若者支援の芸術プロジェクトを続けたりすることができる」

 一方、著作権が消滅した「パブリックドメイン」(PD)の書籍をテキストファイルにし、ネット上でフリー公開してきた「青空文庫」の管理人、大久保ゆうさんは「新しく社会の公共財産になる作家が、2039年までいなくなる」と残念がる。未公開のPD作品はまだ膨大にあるため、年500点程度の公開ペースは維持するつもりだという。

 文化は、過去の作品を利用することで新たな作品が生まれたり、逆に元の作品が再評価されたりする面もある。強い著作権は作品の利用をちゅうちょさせる。

 あるベテラン演出家は、かつて三島由紀夫の戯曲を遺族の許可を得て上演した際、セリフや設定を変えてはならないという条件がついたことを思い出す。「縛りは相当きつかった。時代にあわせた設定変更などは柔軟に認めないと、作品自体が使われなくなるかもしれないと思った」。自ら脚本も書くこの演出家は体験を踏まえて言う。「自分の死後も、作品は上演してほしい。自分の芸術を理解しない縁者などに権利が渡った場合にどう扱われるか分からない以上、臓器移植カードのように、著作権をどう扱うのかという意思表示を準備しなくては」

 延長すると、著作権を継いだ人間を追跡できず、使われなくなる「孤児著作物」が増える恐れもある。作品の利用で経済的な価値を生む著作権は、分割や譲渡もできることが拍車をかける。

 青空文庫は、保護期間内にある作品も、作者や著作権継承者の申し入れがあれば公開を進める方針だ。実際に存命中の作家から申し入れが増えているという。

 ■見送りが一転、TPP合わせ 「手続き、国内議論を回避」批判も

 保護期間は、著作権の国際ルールを定めるベルヌ条約の1948年改正で、作者の孫世代までカバーできる50年を基準として義務化された。だが「平均寿命が延びている」などとして、90年代以降EU諸国や米国が相次いで70年にした。

 コンテンツ大国は、輸出先の国の保護期間が延びれば、使用料収入が増えるため、米国は日本に繰り返し延長を求めていた。TPP交渉では、米国が途中離脱し、延長は加盟国の義務にならなかった。加盟国で50年だったニュージーランドなどは見送る一方、日本は欧米の動向や一部権利者の声を踏まえ、延長に踏み切った。

 延長を巡っては、文化政策の方向性を決める2010年の国の委員会などで賛否の議論を尽くし、見送られた経緯がある。だが今回、政府はTPP関連法案の一項目に延長を盛り込み国会に提出。国会では大きな議論にならないまま、可決成立した。延長に反対してきた福井健策弁護士は「義務ではなかったのに、政府はするっと通した。国外で合意し、国内議論を回避したポリシーロンダリング(政策洗浄)的な手続きだ」と批判する。


 もちろん私も著作権は保護されるべきものであるとは思う。しかし、70年というのはあまりにも保護期間が長すぎる。著作権は創作した人物に与えられるものである。子孫にその権利を残したいという気持ちもわからなくもないが、せいぜい、まだ生まれたばかりの子供が成人になるまでの20年程度で十分である。

 著作権が長すぎると、新たな文化を生み出すエネルギーにブレーキがかかる。そもそも人間の創作活動は伝統の上に成り立っており、どんな斬新な創作物も伝統からのなんらかの影響があるのは当然なのである。だからまるっきりのパクリならば論外であるが、影響はみられるものの、まったくのパクリではないというグレーゾーンの場合が多い。そのグレーのケースでも訴えられるケースがあるので、若い創造者はどうしても創作活動に躊躇せざるをなくなる。もし70年も著作権が保護されるのならば、どんな創作物もどっかににたようなものがあり、それによって訴えられるのではないかという恐怖感が生まれてしまう。実際にはそんなことはないと思われるかもしれないが、このためらいは自由な創作活動を制限してしまうのは明らかである。実際に創作活動をしたものならば、多くの人が感じる不自由さなのだ。

 著作権の期間がどれくらいがいいのかということについて、しっかりとした根拠があるわけではない。今回70年に延長されたのも、アメリカの利益の確保のために行っているのはあきらかである。ディズニーやアメリカ映画の著作権を守ろうとしているだけだ。つまり国家的な利益のために行われているだけなのだ。本末転倒している。

 さらに付け加えれば、こんなにアメリカがごり押ししてきたものであるにも関わらず、アメリカはTPPに参加していない。こんな国のために他の国が「忖度」しているというのもおかしな話であろう。正義なんかどこにもない。あるのは「力」の論理だけだ。

 政治的な「力」の論理によって、若い創造者たちが委縮しているこれが今の世の中だ。いやな思いをするくらいならば政治には無関心で、日常が楽しければそれでいいという生活をしていればいい。そうやってみんながやる気を失い、国家は沈没していく。たかが「著作権」の問題ではありながら、実は大きな問題の「氷山の一角」でなのである。
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「TBSプライド」はどこにいったのか?(『下町ロケット』最終回)

2018-12-25 13:53:04 | TV
 『下町ロケット』はとてもいいドラマで、毎回楽しみにしていた。12月23日(日)は最終回であり、もちろん楽しみに待っていた。しかし期待外れであった。間に合わせの手抜き感がいたるところに出ていたからだ。

 本来最終回であったのにも関わらずお正月にスペシャル版が放送されるという話がネットで出ていた。おそらくこれがいけなかったのであろう。最終回なのにそれまでよりもドラマのつくりが雑になっていた。とってつけたようなセリフが多くなり、しかもセリフだけで話を進めて、展開がとぼしい。例えば第3者機関での性能テストにおけるトラック便の到着の場面はカットしてもいい。とってつけたようなものでしかなかった。あとから台本を変更したために、むりやり付け足した場面のような気がする。逆にトランスミッションの改良策を発見する場面はもっと丁寧に描いてよかったはずだ。しかし取り直す時間がなかったのであろう。だから段取りだけの演技になってしまっていた。そもそも23日で終わらせるはずのドラマをむりやり1回増やしたがために、さまざまな不具合が生じてしまったのだ。

 佃製作所はものづくりにプライドを持ち、命がけでものづくりをおこなっていた会社だった。だからこそみんな佃製作所を応援し、このドラマをみていたのである。ところが今回TBSは、視聴率稼ぎのためにものづくりの精神をおろそかにしてしまった。目先の利益のために本当に大切なものを見失ってしまったのである。どうせ人気のドラマだからみんな見るに決まっていると、視聴者を侮って、ばかにしているとしか思えない。これではドラマの中の帝国重工の神田正輝と同じではないか。

 これまでもさまざまな場面で感じていたのだが、TBSというテレビ局は視聴率のために自分勝手なことをしてしまう傾向があるような気がしてならない。プライドを持って番組作りをしてもらいたい。
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劇評『スカイライト』(12月15日 新国立劇場小劇場)

2018-12-23 10:42:30 | 演劇
[作]デイヴィッド・ヘア
[翻訳]浦辺千鶴
[演出]小川絵梨子
[出演]蒼井優 / 葉山奨之 / 浅野雅博

 さまざまなことを感じさせる舞台である。そんなにむずかしい話ではない。しかしこの作品の意図は一度ではつかみきれない。もう一度見たくなる作品である。またNTの舞台を映画館で見られるそうだが、それも見てみたかった。演出家の意図も知りたいと思った。

 あらすじを新国立劇場のホームページより引用する。

 ロンドン中心部から離れた質素なアパートに住むキラの元に、かつての不倫相手の息子であるエドワードがやってくる。妻アリスを亡くして以来、不安定なままの父親トムを助けてほしいと言い残し、彼は去る。

 同じ日の夜、期せずしてトムもまたキラの元を訪れる。三年ほど前、不倫関係が明るみになった日以来、初めて再会した二人は、夜更けまでこれまでのことを語り合う。お互いへのいまだ消えぬ想いと、解けない不信感、共有する罪の意識の間で大きく揺れ動く二人の会話は、やがてそれぞれの価値観の違いへと触れて行く。相手の急所を射抜く言葉を知っている二人の駆け引きがたどり着く先は……。


 いくつか気になっている点をあげる。

 その1。最初の場面でエドワードのしゃべりはどもったり、イントネーションがおかしかったり、不思議なしゃべりをしている。まるで素人の演劇のようなしゃべりなのである。こういう個性なのかと思っていると、最後の場面では普通にしゃべっている。この意図はなんだったのだろう。台本通りなのか。それとも演出家の意図なのか。そしてそれによって何を表そうとしているのか。あきなかに何かの意図はある。そこがまだつかめない。この変化はプラスの変化である。だとすればこのプラスは何なのか。そこを確かめたい。

 その2.前半キラはパスタを作る。野菜を切り、炒め、トマト缶をいれる。一方でパスタをゆでる。パスタはゆですぎる。それをざるで湯切りしたところで、前半が終わる。前半と後半の間にキラとトムがベッドに入る。後半が始まると、かなりの時間が過ぎている。パスタはざるの中でかたまっている。後半はキラはそれらのかたずけをしつづける。この演劇でこのパスタづくりと片づけはどうしても気になるところである。そこには日常がある。一方トムはレストランを経営している。トムの店で食べることは非日常である。キラのつくる日常のパスタとトムのレストランの食事の対比を描いているのかと思っていた。しかし、最後にエドワードが持ってくる朝食はホテルの朝食である。これは非日常の朝食である。それを満足そうに食べるエドワードとキラ。これはなんだったのだろう。

 いくつかのひっかかりがあり、それは心にひっかかり印象を残す。その意図を知りたいと感じる舞台であった。
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