とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

美術・文芸・音楽著作権、30日から死後70年に延長

2018-12-26 13:27:51 | 著作権
 朝日新聞の記事より引用する。

 日本の美術・文芸・音楽作品の著作権の保護期間=キーワード=が30日、環太平洋経済連携協定(TPP)発効に合わせ、欧米並みの死後70年に延びる。延長は約半世紀ぶり。過去の作品を利用した新たな創作がしにくくなるなど、文化の発展を妨げるのではないか、という懸念の声も上がる。(木村尚貴)

 「生涯をかけて描いた作品で、子々孫々まで養える安心感がある」。「銀河鉄道999」の漫画家松本零士(れいじ)さんは、延長を歓迎する。欧米との差をかねて疑問に思っており「日本もやっと世界の潮流に合わせた形になった」と話す。

 TPP発効で、1968年に亡くなった作者の著作権はぎりぎり消滅を回避した。68年没の画家藤田嗣治(つぐはる)の著作権を管理する仏の「フジタ財団」の担当者も、「非常に満足している」という。「作品の使用料で、藤田の仕事を保護したり、藤田の妻の遺志だった、若者支援の芸術プロジェクトを続けたりすることができる」

 一方、著作権が消滅した「パブリックドメイン」(PD)の書籍をテキストファイルにし、ネット上でフリー公開してきた「青空文庫」の管理人、大久保ゆうさんは「新しく社会の公共財産になる作家が、2039年までいなくなる」と残念がる。未公開のPD作品はまだ膨大にあるため、年500点程度の公開ペースは維持するつもりだという。

 文化は、過去の作品を利用することで新たな作品が生まれたり、逆に元の作品が再評価されたりする面もある。強い著作権は作品の利用をちゅうちょさせる。

 あるベテラン演出家は、かつて三島由紀夫の戯曲を遺族の許可を得て上演した際、セリフや設定を変えてはならないという条件がついたことを思い出す。「縛りは相当きつかった。時代にあわせた設定変更などは柔軟に認めないと、作品自体が使われなくなるかもしれないと思った」。自ら脚本も書くこの演出家は体験を踏まえて言う。「自分の死後も、作品は上演してほしい。自分の芸術を理解しない縁者などに権利が渡った場合にどう扱われるか分からない以上、臓器移植カードのように、著作権をどう扱うのかという意思表示を準備しなくては」

 延長すると、著作権を継いだ人間を追跡できず、使われなくなる「孤児著作物」が増える恐れもある。作品の利用で経済的な価値を生む著作権は、分割や譲渡もできることが拍車をかける。

 青空文庫は、保護期間内にある作品も、作者や著作権継承者の申し入れがあれば公開を進める方針だ。実際に存命中の作家から申し入れが増えているという。

 ■見送りが一転、TPP合わせ 「手続き、国内議論を回避」批判も

 保護期間は、著作権の国際ルールを定めるベルヌ条約の1948年改正で、作者の孫世代までカバーできる50年を基準として義務化された。だが「平均寿命が延びている」などとして、90年代以降EU諸国や米国が相次いで70年にした。

 コンテンツ大国は、輸出先の国の保護期間が延びれば、使用料収入が増えるため、米国は日本に繰り返し延長を求めていた。TPP交渉では、米国が途中離脱し、延長は加盟国の義務にならなかった。加盟国で50年だったニュージーランドなどは見送る一方、日本は欧米の動向や一部権利者の声を踏まえ、延長に踏み切った。

 延長を巡っては、文化政策の方向性を決める2010年の国の委員会などで賛否の議論を尽くし、見送られた経緯がある。だが今回、政府はTPP関連法案の一項目に延長を盛り込み国会に提出。国会では大きな議論にならないまま、可決成立した。延長に反対してきた福井健策弁護士は「義務ではなかったのに、政府はするっと通した。国外で合意し、国内議論を回避したポリシーロンダリング(政策洗浄)的な手続きだ」と批判する。


 もちろん私も著作権は保護されるべきものであるとは思う。しかし、70年というのはあまりにも保護期間が長すぎる。著作権は創作した人物に与えられるものである。子孫にその権利を残したいという気持ちもわからなくもないが、せいぜい、まだ生まれたばかりの子供が成人になるまでの20年程度で十分である。

 著作権が長すぎると、新たな文化を生み出すエネルギーにブレーキがかかる。そもそも人間の創作活動は伝統の上に成り立っており、どんな斬新な創作物も伝統からのなんらかの影響があるのは当然なのである。だからまるっきりのパクリならば論外であるが、影響はみられるものの、まったくのパクリではないというグレーゾーンの場合が多い。そのグレーのケースでも訴えられるケースがあるので、若い創造者はどうしても創作活動に躊躇せざるをなくなる。もし70年も著作権が保護されるのならば、どんな創作物もどっかににたようなものがあり、それによって訴えられるのではないかという恐怖感が生まれてしまう。実際にはそんなことはないと思われるかもしれないが、このためらいは自由な創作活動を制限してしまうのは明らかである。実際に創作活動をしたものならば、多くの人が感じる不自由さなのだ。

 著作権の期間がどれくらいがいいのかということについて、しっかりとした根拠があるわけではない。今回70年に延長されたのも、アメリカの利益の確保のために行っているのはあきらかである。ディズニーやアメリカ映画の著作権を守ろうとしているだけだ。つまり国家的な利益のために行われているだけなのだ。本末転倒している。

 さらに付け加えれば、こんなにアメリカがごり押ししてきたものであるにも関わらず、アメリカはTPPに参加していない。こんな国のために他の国が「忖度」しているというのもおかしな話であろう。正義なんかどこにもない。あるのは「力」の論理だけだ。

 政治的な「力」の論理によって、若い創造者たちが委縮しているこれが今の世の中だ。いやな思いをするくらいならば政治には無関心で、日常が楽しければそれでいいという生活をしていればいい。そうやってみんながやる気を失い、国家は沈没していく。たかが「著作権」の問題ではありながら、実は大きな問題の「氷山の一角」でなのである。
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坂本龍一さんJASRACに苦言

2017-11-15 08:51:59 | 著作権
 インターネットのBuzzFeed Japanの記事に坂本龍一さんがJASRACに苦言を呈しているという記事があった。坂本さんの主張は、著作権は大切だがJASRACの今のやり方は独善的で一方的すぎるというものであった。私は坂本氏の考えを全面的に支持したい。坂本氏の主張が常識的な見方であるのはあきらかだ。

 坂本氏の発言を引用する。

ネットが普及して、著作権について心配される場面も増えてきました。しかし、JASRACは時代とかけ離れている、時代が見えていない、というイメージが強いですね。

一方はタダで(安く)使いたい、もう一方はいや著作権は大事だという。反対の価値を主張しているわけですから、お互いに話し合い、理解し合う必要があります。

そのためには、JASRACが公共的に信用されていないといけません。なぜJASRACの主張は批判を浴びるのか。世間のイメージも含めて、自分自身を問い直す必要があるのではないでしょうか。

襟を正して、透明性を高めていってほしいですね。

 著作権料というのは全体のバランスの中で決められていくものであり、それはそれぞれの地域の歴史の中に位置づけられる。欧米の真似をすればよいというものではない。権利だけ主張してもうまくいくはずがない。
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著作権保護期間の凍結

2017-11-04 05:51:44 | 著作権
 朝日新聞によると、TPP交渉で、著作権保護期間を作者の死後70年にする項目などを凍結する方向での議論がなされたようだ。もちろんこれはアメリカがTPPから抜けたからであるが、しかし常識的な判断である。

 現代において著作権は認められるべきものである。しかし作者の死後50年の保護というのは長すぎる。それがさらに70年になるというのでは論外である。著作権という名のマネーゲームが行われているだけである。

 どんな新しい表現でも模倣から始まっている。模倣ができないような状況を作ってしまっては芸術は停滞する。著作権意識の薄かった時代のほうが自分勝手に模倣し、そこからたくさんの新しいものが生まれたはずだ。ビートルズもストーンズも模倣からスタートしているのだ。

 著作権はその模倣意欲を大きくそいでしまっている。まじめな人ほど「著作権」に脅迫され、創造的分野から遠ざる。この状況は文かの衰退である。

 アメリカは個別交渉で再度主張してくるであろうが、そんな議論に与しないことを願う。
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がんばれヤマハ

2017-05-16 06:51:51 | 著作権
 次のようなニュースが出ていた。

 日本音楽著作権協会(JASRAC)が音楽教室から著作権料を徴収する方針を決めたことに対し、音楽教室大手・ヤマハ音楽振興会(東京都目黒区)が7月にも、「教室での演奏には著作権は及ばない」として、JASRACへの支払い義務がないことの確認を求める訴訟を東京地裁に起こす方針を固めた。

 私は現在の著作権のあり方自体に異論を持っている。著作者の権利は認めるべきである。しかし没後何十年もその権利が守られるというのは新しいものを生み出すことを阻害していると私は思っている。音楽教室から著作権料を徴収するというのも論外であろう。このような主張をするJASRACに対しては怒りさえ覚えている。

 スポーツの世界は真似をおおいに奨励している。優れた選手の真似をすることでその競技に魅力を感じて競技人口が増えていくのである。ロナウドのゴールパフォーマンスの真似をしたからといって著作権料をとろうとは思わないはずだ。それに対して音楽はどうか。なにかというと著作権、著作権とうるさく、もはや単純に楽しめなくなっている。

 「JASRACさん、あなたたちがこれ以上面倒くさいことを言うんだったら、音楽なんか世の中からなくなってもいいよ。」とだんだん本気で思うようになってきてしまった。
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著作権者はだれ?

2016-08-27 15:05:31 | 著作権
 著作権に関する問題の一つに著作権者がだれかわからないというものがあります。例えば時々戯曲を書いているのですが、ある作品をもとにして戯曲を書いてみたことがあります。ところがその作者がそれほど有名でもなく、しかもすでに亡くなっている場合、その著作権者が誰なのかわからないということがありました。結局、発表できなくお蔵入りです。とても有名な作品ならばともかく、多くの作品は作者が死んでしまえば著作権者を探すのもほとんど無理な状態になっているのです。著作権管理会社に委託していればいいのですが、ほとんどの場合そこまでしてません。

 著作権者も権利を主張する以上、著作権者がだれなのかを明確にしておく必要があるのではないかというのが私の意見です。著作権者がだれになるのかわからない状態の場合はすでに著作権を放棄していると考えていい。

 文化は模倣から始まります。模倣に新たな発想をすこし加えることによって新しい作品が生まれてくるのです。それは決して著作権の侵害を意図したものではありません。模倣から新しいものを作り出すのも私たち人間の権利だと思います。

 もちろん今ベストセラーになっている作品とか、いまだに売れ続けている作品の模倣をして著作権裁判を起こす気持ちはありません。しかし、過去の作品でいまやだれも忘れていいるような作品であり、なおかつ著作権者がわからないような状態の作品であり、その作品に対する敬意のある使用ならば、著作権に縛られる必要はないと思います。
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