国語(日本語)文法についてまとめていきたいと考えている。国語(日本語)文法そのものの解説ではなく、今後国語国文法はどのように指導していくべきものなのかをまとめていきたいと考えている。国語文法の扱いがはっきりしないまま国語の指導がすすめられており、さまざまな面で行き詰っていると思われるからだ。
いくつかのトピックを上げる。
①古典文法
国文法と言えば一番最初に思い浮かべるのは古典文法であろう。近年、古典文法の指導が古典ぎらいを作っているということから、古典文法をあまりしないような風潮が出現している。しかし古典文法は古典の読解解釈のためには必要である。センター試験などでも古典文法の知識がなければ正解にたどりつかない問題が多く出題されていた。だから古典文法をしっかり学ばないわけにはいかない。それでは古典の指導をやらないという方向に話が進むのであろうか。大きな流れではその方向に向かっているようにも思われる。今後、大学入試の動向も踏まえながらも、今後の古典教育の指導を考え、そして古典文法の指導についての考えていきたい。
②英文法と日本語文法
学校で教えている日本語文法と英語の文法は基本的な考え方がずれている。誤解しないように申し上げておくと、英語と日本語の文法が違うのは当たり前のことである。その文法を解説するための考え方がずれているのである。一番わかりやすいのは用語が統一されていないということである。例えば英語の「目的語」にあたる用語が日本語の学校文法にはない。言うとすれば「連用修飾語」である。このような事態が学校教育において混乱を生じさせている。もっと怖いのはこの混乱を教師が意識していないということである。学校教育における文法の統一ができるのかを考えていきたい。そしてここには当然、外国人に日本語を教える日本語教育のノウハウが重要な役割を果たすことになろう。
③モダリティ
言葉には客観的な認識を示す部分と話者の意志をしめす部分に分けることができる。話者の意志を示す部分は「モダリティ」と呼ばれている。これまで高校の教育の中ではここまで踏み込んだことを学ぶことはなかった。しかし、これは文学教育とも関連した、また事実と意見を意識するという論理力とも関連した面白いテーマである。国語教育の新たなテーマとならないか考えていきたい。
ほかにもいろいろありそうであるが、とりあえず思いつくまま書いてみた。これらを今後考えていきたい。
ただし、今現在忙しい状況が続いており、なかなか進まないのは予想される。とにかく気持ちだけはあるので頑張りたい。