とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

SNS誹謗中傷と批判とは違う(平井文夫氏の炎上商法)

2020-05-31 07:37:00 | 平井文夫 
 木村花さんの死について、SNSでの誹謗中傷に対する批判が大きくなっている。たしかにSNSでの誹謗中傷は悪い。しかしそれは理不尽に「死ね」とか「消えろ」とか誰が見てもありえない言動に対しての批判であり、健全な批判とは質が違う。マスメディアの取り上げ方は、誹謗中傷と批判をごっちゃにしているように感じられる。

 SNSでの投稿は不特定の少数の人に対する発信である。政治やマスメディアに対する批判を行っても、巨大なコンクリートの壁に竹やりでつついているようなものである。それでも言わなければならないことを言うのだ。それだけ今の政治やマスメディアが自分勝手でおかしくなっているからなのだ。

 フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏がコラムをネットに出していた。「暗闇でひたすらブン殴られているような恐怖 『表現の自由』を錦の御旗にして人を殺すな」というタイトルで、次のような文章が載っていた。

ネットでの匿名の誹謗中傷がなぜつらいのか。これをやられたことのない人はわからないと思う。僕のように大して有名でなく、従ってフォロワーも少ない人間のところにも、ちょっと変わった発言や文章に対する匿名の誹謗中傷はたくさん来る。

最近では新潟の会社員(もちろん匿名)から「どう転んでも底辺ネトウヨと同じ発信しかできないおじさんがいまだに解説委員をやっているフジテレビがかわいそう」という投稿があった。「なんだ大したことないじゃないか」と思われるかもしれないが、僕のようなオジサンだってこういう発言にへこむのだ。

 自分勝手な文章である。まず、テレビに出て発言する人が「大して有名でない」なんてことはない。まるで「大して有名でない」から何を話しても許されるのだとでも言いたいような口ぶりである。そんなことはありえない。テレビに出ている人の発言は影響力が大きい。そんなこともわかっていないのか。

 「新潟の会社員」の投稿も誹謗中傷というほどのものではない。なぜならこの投稿は、おそらく平井氏の『バイキング』での「テンピンマージャンは違法ではない」という発言に対して行われたものだと思われるからだ。この平井氏の発言に対してこの程度の批判をして悪いと考えるほうがおかしい。

 このあと平井文夫氏は、木村花さんの死について言及し、

 『表現の自由』を錦の御旗にして人を殺すのはもうやめた方がいいのではないか。

と文章を結んでいる。論理のすり替えもいい加減にしてほしい。そもそも木村さんの死の原因もわからないのに、すべてをSNSの誹謗中傷のせいにしているのがおかしい。フジテレビの番組の責任はどうなるのか。フジテレビの上席解説委員ならば、その検証を真っ先にしてもらいたい。

 しかも誹謗中傷と批判をごっちゃにして、自分の身勝手な発言は許されて、自分に対しての批判は許されないと言う自分勝手な結論に無理矢理持ち込んでしまっている。高校生の小論文でもこれだけ非論理的な文章はない。

 フジテレビはこんな人を番組に登場させ、炎上させて視聴率を上げようとしているのだろうか。これこそ問題にすべきことであろう。

 言論統制に向かおうといしている政治やマスコミを許しておくわけにはいかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇場型いじめと『テラスハウス』

2020-05-29 19:21:58 | 社会
 「イジリ」という言葉がある。ある特定の人物をからかい、それを笑いにする行為である。日常でよく行われており、イジられることが大好きな人もいる。自分が話題の中心になるのがうれしいのだろう、わざとイジられるような言動をしてからかわれることを喜んでいる。

 多くの御笑い芸はイジリをもとにしている。日常でもよく見る光景である。だから普通はそれは問題になるようなものではない。

 しかし、「いじめ」の実例を見ていると、「イジリ」のように見えて実は「いじめ」だったということがよくある。「いじめ」られているほうも楽しんでいるように見えるので、みんなでよってたかってその人をからかう。しかし実はその人はそのからかいが嫌でたまらなかったのだ。いやだということを気づかれたくなくて、笑うしかない状況に追い込まれるのだ。これは劇場的な「いじめ」になる。よく学校の先生も「いじめ」に加わっていたということがあるが、これはこういう劇場型の「イジリ」が発展した「いじめ」が多いのではないかと考えられる。

 なぜいやだということに気づかれたくなかったのか。気づかれた瞬間に自分が失われてしまうからである。イジられキャラとして生きている自分が、それを拒絶した瞬間に自分はこのコミュニティで生きていけなくなる、そういう強迫観念に襲われるのだ。そういう劇場世界で生きているのだ。

 『テラスハウス』という番組は、そういう劇場の中にある。自分に与えられてたキャラを壊すことはできない。キャラを演じ続けなければならない。自分を生かすためにはこの苦痛に耐えるしかない。

 私はこの『テラスハウス』の問題を単にSNSの問題に歪曲しようとしているマスコミと世の中を許すわけにはいかない。もっとしっかりと検証し、本当に今後こんな愚かなことが起きないように考えていかなければならない問題なのだ。検証をフジテレビにまかせておいてもいけない。第三者の検証が必要である。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一番責任を問われなければいけないのは『テラスハウス』ではないのか?(木村花さんの死について)

2020-05-26 18:23:11 | TV
 木村花さんが亡くなった。私はこの方を知らなかったので、この問題に発言することもおこがましく感じてはいる。しかし若い、しかも意欲にあふれた方が、誹謗中傷によって傷つき、命を失ったことに心を痛めている。ご冥福を心からお祈りしたい。

 さてこの出来事についてSNSのひどい書き込みに対する批判が目立つ。その通りである。異論はない。しかし、わたしはそれ以上に、番組の責任が大きいのではないかと思っている。

 『テラスハウス』というのは虚実入り混じった番組である。本人が実名で登場し、現実の出来事として進行していく。しかしそこにテレビカメラがあり、しかもテレビ的に展開させていくには演出があるはずだとも考えられる。だからこれを見ている人は、大きく分けて3種類いる。
①本当に事実だと思っている人
②台本があってその通りに演じていると思っている人
③その中間で、台本や演出はあるだろうが、そこに本心も混じっていると思っている人
以上の3種類である

 ①の本当に事実だと思っている人は、それこそ人間のありえない姿を見せられて、正義心からSNSに投稿してしまうだろう。

 ②のただの演出だと思っている人は、ドラマに対する書き込みと同じような感覚で投稿してしまうだろう。

 ③のその中間だと思っている人は、これが新しい形のテレビ番組であり、SNSに投稿することによってこの番組を盛り上げようとするだろう。

 もちろん誹謗中傷はあってはならないし、心ない書き込みは絶対にしてはいけない。しかしこの番組はそういうSNSの書き込みを容認していた、というよりもSNSでの盛り上がりを期待していたとしか思えないのだ。

 もし番組側がそういう書き込みを想定していなかったと主張するのならば、ひどい書き込みをされた出演者を助けるのは使命であるはずだ。そういう心身のフォローをやっていた形跡はない。

 フジテレビや、芸能人はSNS批判に世論を向かわせたいようで、それが一見成功しているようだが、それこそSNSを見てほしい。多くの人は問題の本質に気が付いている。番組の責任を問う声がどんどん大きくなっているのだ。

 まずは番組の検証が必要だ。BPOはこの番組を真っ先に検証しなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうとう安倍晋三氏はフジテレビでさえ干されている平井文夫上席解説委員しか頼る人がいなくなったらしい

2020-05-25 21:38:09 | 平井文夫 
 フジテレビに上席解説委員という役職があるようである。その職にいるのが平井文夫という方である。少し前には多少番組に出ていたが、出るたびに自分勝手な安倍晋三氏を露骨に擁護する無理な理屈をつける方であった。あまりに無理なためにフジテレビでさえ番組から姿を消してしまった。

 その平井文夫氏が今日の昼のフジテレビの番組に突然出てきて、とんでもないことを言った。平井氏は「日本は法治国家なので、法律に基づいていかないといけない。それに基づくと、実はテンピンはセーフって言うのは昔からある話」と言い出したというのだ。

 それに私が気が付いたのは、私のかつて書いた平井文夫氏に対する批判ブログが突然閲覧数が増えていたからである。「また、あいつやってしまったのか。」と思って検索してみたら、案の上、無理な安倍晋三氏の擁護を始めていたわけである。

 平井文夫氏が出てくると安倍晋三氏を守ろうとするあまり、あまりに無理が理屈を言うために、安倍晋三の支持率が下がるようなことしか言わない。しかもフジテレビの印象も悪くなる。よくこんな人が解説委員なんてやってられるものだと、誰もが驚くのである。それにも関わらず番組に出てきたというのは、よほど安倍晋三氏が頼る人がいなく、平井文夫氏が局内での権力を使って無理矢理に番組に出たからであろう。

 もはや、安倍晋三氏は閣内からも、党内からも相手にされなくなったのだろう。

 安倍さん、緊急事態宣言も解除したし、このタイミングで無理をしないでお辞めになったほうがよろしいのではないでしょうか。田崎史郎氏と平井文夫氏と世耕ちゃんと楽しい老後をおすごしください。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒井邦嘉著『チョムスキーと言語脳科学』を読みました。

2020-05-24 11:09:05 | 読書
 人間がどうして言葉を話すことになったのかというのは、人間にとっての一番大きな問題のひとつです。チョムスキーは『統辞構造論』で、人間の脳には文法能力が備わっていていて、それによって言語を習得するのだと唱えました。その『統辞構造論』を解説し、そしてその正しさを説明している本です。一部わかりにくい部分もありますが、チョムスキーの入門書としてはとてもいい本です。

 筆者が本来物理学者であることもあり、科学的な知見から解説していますし、脳のニューロンの実験によって実証的に解説しているところも説得力があります。

 人間は言葉があるからこそ、人間としての社会を作り上げてきました。一方では言葉によって「死」をおそれ、人間の醜さも生まれてきます。根本の言葉に対する興味は人類の最大のテーマです。その謎は解決できることはないのかもしれませんが、科学に力によって人類の謎にせまることは知的な興奮を与えてくれます。

 勉強になりましたし、今後とも勉強していきたいと思わせてくれる本でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする