とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

ドキュメンタリー映画『ナワリヌイ』を見ました。

2022-07-30 07:36:00 | 映画

     ロシアの反体制派、反プーチンの急先鋒アレクセイ・ナワリヌイを追うドキュメンタリー映画『ナワリヌイ』を見ました。どこまでが本当なのかと疑いたくなるような不条理極まるプーチン体制を暴きだします。

 

ナワリヌイはプーチン政権への批判で国内外から注目を集め、2020年に毒殺されそうになります。なんとか生き延びることだでき、その後、逃亡先でその首謀者がロシア当局だと突き止め、その事実をを全世界に発信します。

 

ナワリヌイは翌年モスクワにもどります。もちろん殺されることも覚悟してです。ロシアはナワリヌイを逮捕し、今ナワリヌイは牢獄にいます。

 

あまりにロシアの策略だったということがあっさりと判明してしまうので、ナワリヌイのほうが胡散臭く見えてしまうのですが、それこそがロシアっぽい。なんとなくドストエフスキーの作品のように感じてしまいます。

 

この事件があって、ウクライナ侵攻があったことを考えれば、やはりプーチンが怪しい。この人物は世界を不幸にする。プーチン体制のできるだけはやい崩壊を願ってやみません。

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ジョニ・ミッチェルがステージに

2022-07-28 07:45:10 | 音楽
 ジョニ・ミッチェルがステージに立ったというニュースが流れていた。感動的な出来事だ。

 ジョニ・ミッチェルは2015年に脳動脈瘤により倒れ、かなりの重病だと報道されていた。再びステージで歌うことはないだろうと思っていた。しかし7月24日、ニューポート・フォーク・フェスティバルにサプライズ出演し、13曲パフォーマンスした。その模様はユーチューブで見ることができる。

 ジョニ・ミッチェルの名曲「Both Sides Now」は様々な場で聞くことができる。日本では「青春の光と影」という曲名で有名な曲である。最近では今年のアカデミー作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」で主人公が歌っていた。

 この曲、最初はいわゆるフォークソングのような印象の曲だった。この曲を2000年に本人がセルフカバーしている。それがいい。もはやジョニミッチェルというジャンルにしか入れることができない曲になっている。

 今回もジョニ・ミッチェルは「Both Sides Now」を歌っている。人生の歌声だった。
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統一教会の実態の徹底究明を

2022-07-24 17:18:14 | 社会
 安倍総理の暗殺をきっかけとして統一教会が大きな問題となってきている。徹底的に統一教会の実態と政治とのつながりを究明する必要がある。

 霊感商法で統一教会が問題になったのはかなり前のことである。その後騒ぎは収まり、統一教会も影響力も縮小したのではないかと思っていた。しかし今回実はその力はまだ大きく、そしてその力を政治が利用していたことが分かってきた。

 自民党は「反共」という共通目的で統一教会と手を組んだ。韓国ぎらいの多い自民党は統一教会と手を組むはずはないというのが第一印象であったが、実はそこが自民党のしたたかさで票になるものは何でも受け入れる。選挙に勝つことが最優先なのだ。

 統一教会や日本会議など「反共」の組織と手を結び、強力な組織を作り上げてきたというのが今の自民党の実態なのだ。

 そしてその「反共」をネットを通じて言論統制につなげていく。共産党や朝日新聞、関口宏氏など自民党に対峙するものはすべて「反共」という意味で攻撃される。暴力的な言論状況を作り上げてきたように見える。

 今こそジャーナリズムはその力を見せてほしい。統一教会にかかわる問題点をあばき、同時に政治家と統一教会の関係を明確にしてほしい。日本は情報公開がなされていない国家だと世界から評価されている。その評価が覆されるよう、ジャーナリズムは今こそ戦うべきである。
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映画『わたし達はおとな』を見ました。

2022-07-23 07:45:26 | 映画
 新進の劇作家、加藤拓也氏の監督した『わたし達はおとな』を見ました。リアルな会話が心にせまる佳作です。二重の時間が区別なく並べられる映画の時間進行も斬新でした。

監督・脚本 加藤拓也
出演者   木竜麻生 藤原季節

 この映画では出演者は自然な日常的な会話をしています。台本がありながら日常的なしゃべり方をするのはかなり難しいことです。しかし役者の演技は見事に日常的です。その結果、人間の良さもみにくさもはっきりと見て取れます。

 最後に主人公とその彼が喧嘩になります。主人公の彼氏は冷静で論理的であろうとしながら、冷静さを失い、論理的に破綻していきます。主人公も感情的に自分勝手に論理を作っていきます。ふたりの気持ちは理解できるのですが、表に出てくる言葉は「おとな」のふりをしていながら「おとな」になっていません。そこにリアルな人間が見えてきます。

 この作品では時間の描き方も独特です。主人公の妊娠が判明してからの時間軸と、主人公が妊娠にいたるまでの時間軸が明確な区切りもなく並べられています。そのため一瞬「アレッ」と思うのですが、その場面がどちらの時間軸にあるのかはすぐにわかります。関係がうまくいくときと、もはやうまくいかなくなったときの人間の違いが対比的に描かれます。おもしろい表現方法を発明しています。

 若手表現者の表現を意欲的に追究する映画でした。
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「骨太」の教育方針を

2022-07-20 08:26:11 | 教育
 「『82歳の講師』が教壇に立つ深刻すぎる教員不足、教員の自己犠牲で成り立つ公立学校は崩壊寸前」というタイトルの東洋経済オンラインの記事がネットに出ていた。衝撃的なタイトルではあるが、誇張がすぎるわけではない。私もここで何度か書いてきたが、教育現場はもはや崩壊しつつあるのだ。学校によってはすでに崩壊していると言ってもいい。教員不足は喫緊の問題となっている。

 政治家の教育に対する無理解の根本は、教育に対する過信である。「教師が不足するという事態が起こるはずがない。教師はやりがいのある安定した職業であり、教師になった人間はいくらでも無休で残業する。休日出勤だって苦と思わない。」 政治家たちはそう思い込んでいた。だからいくら教員が騒いでも小手先の改革をしてアリバイ作りをしながらごまかしてきた。教育界の多忙化は一向に解決せず、むしろひどくなっているのだ。

 繰り返し申し上げるが、教員はもはや疲弊している。やめたくてしかたがない人間がたくさんいる。そういう状況を改善するには、教育予算の大幅な増額しかない。これは給料をあげろと言うのではない。事務職員や部活動指導員などの職員数を増やし、教職員の仕事を授業に専念させるということだ。小手先の改革でどうにかなると思っていては手遅れになる。いや、すでに手遅れだ。

 教育改革はすぐに結果があらわれるものではない。将来を見据えての改革である。最近の政治は目の前のことしか見えていない。だから教育はつねに後回しにされてきた。その政治の在り方を変えていかないと本当におかしくなってしまう。この国には本当の意味での「骨太の方針」がないのだ。
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