とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

多忙とラグビーアイルランド戦

2019-09-30 22:12:55 | どう思いますか
 4月に以前より忙しい職場に移った。4月当初も慣れないせいかとても忙しくつらかったのだが、何とか乗り切った。しかし8月後半からもめちゃくちゃ忙しい日々が続いている。この忙しさはあと半月ほど続く予定だ。ブログの更新もやめてしまおうかと思うくらい忙しいが、週3回更新すると自分に課していたので何とか続けている。

 さて、この忙しさのために大変残念な選択をした。何かというとラグビーワールドカップのアイルランド戦のチケットを持っていたのだが、それをあきらめてしまったのである。チケットは去年のうちに確保していたので、こんなに忙しくなるとは予想していなかったのだ。1か月ほど前には予定が確定していくと、この忙しさでは行くのは無理だとリセールに出してしまったのだ。テレビ観戦していたのだが、歴史に残る試合だった。本当にもったいないことをした。

 さて、こういう経験をすると、もし私がそこに行っていたら歴史は変わったのだろうかと、変な思いが生まれてくる。私一人で歴史が変わるはずがないが、それでも私一人の行動が何らかの影響を与えるかもしれない。果たしてどうなっていたのだろう。無意味な問いであるが、何となくぼーっとそんなことを考えてしまう。

 とにかく日本チームにはぜひ1位でグループリーグを突破してもらいたい。

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『なつぞら』は草刈正雄だった

2019-09-29 07:41:45 | TV
 『なつぞら』はそれなりにおもしろかったので最後まで見ることができたが、北海道の話と東京の話が完全に分離しているので、「なつ」が東京に来てからは興味が半減した。岡田将生や山口智子、比嘉愛実などの演技に無理があり、無理な台本をなんとかこなしているという演技だった。

 この原因はモデルになったアニメーターの実際のエピソードを、製作者側が作り出した「なつ」というキャラクターに無理矢理に当てはめようとしたためである。例えば東京に来てからアニメ制作会社で「なつ」が毎日違う服を着ていったというエピソードがあった。これはモデルになった奥山玲子さんの実際のエピソードのようなのだが、北海道から来た木訥な娘には似合わない。このような無理な設定の時に、無理なつじつま合わせを見せられなければならない。東京編はこのような視聴者にとってつらい展開が多かった。

 そもそも「なつ」のモデルは仙台出身でどちらかというとお嬢さん育ちだったようである。東北大学にも在籍するほどのインテリだし、北海道で木訥に育った「なつ」とは違いすぎる。

 また、北海道の大自然でのびのびと生きてきた「なつ」がアニメに強い興味を持ったというのも無理があった。どうしてもつじつま合わせのプロットを考えなくてはならない。それがドラマの無理矢理感につながってしまったのだ。

 そんな中、最初から最後まで変わらずにいてくれたのが草刈正雄だった。草刈正雄に戻れは『なつぞら』は『なつぞら』になる。そんな貴重な存在だった。高畑淳子とのふたりの場面はプロの仕事を見せつけられた。

 考えてみれば朝ドラは週90分、それが6か月続くのだ。これを作るのは大変なことなのだろう。その苦労を考えると一視聴者が偉そうなことは言えないよな。十分楽しませていただきました。
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長いものに巻かれる時代

2019-09-28 07:00:12 | 社会
  「あいちトリエンナーレ」の展示の一部「表現の不自由展・その後」が中止になった問題をめぐり、文化庁は採択を決めていた補助金の全額を交付しないと発表した。文化庁は展示内容とは関係がないと主張しているが、これは明らかに屁理屈である。最近日本政府には、屁理屈でありながら無理矢理通そうとする姿勢が見受けられる。そして一方ではそれを攻撃する力も野党にない。

 「この国では長いものに巻かれながら生きていくしかないのか」、という思いが国民の中に生まれているような気がする。北朝鮮のような独裁政治の中にいるような気がする。もちろん北朝鮮ほどの制約があるわけではない。しかし自由に発言をすると、ネットの世界でつるし上げに会い、政府はそれを後ろ盾に無理を通してしまうもはやこの国では表現の自由は制限されてしまっているのだ。

 「お上は国民の利益のために正しいことをやっているのだから、黙ってお上の言う通りに働きなさい。国のためには多少のことはがまんしなさい。」そんなプレッシャーの中に今、我々は生きているようにしか思えないのだ。

 「表現の不自由展」は結果的に「表現の不自由」な状況をよく示すことになってしまった。この状況がなぜ生まれてしまったのか。原因を検証し、自由を取り戻さなければならない。
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新教育課程の高校国語の変更は最悪だが、高校の国語教師も偉そうなことを言えない

2019-09-24 17:24:33 | 高校国語改革
 新教育課程の高校の国語が大きく変わる。一番大きいのは2年生以降に勉強するこれまでの「現代文」と言っていた分野が「論理国語」と「文学国語」に分かれるということである。「論理国語」は主に評論文を学び。「文学国語」は小説や詩歌などの文学作品を主に学ぶことになる。以前にもこのブログに詳しく書いたのだが、おそらくほとんどの進学校は「論理国語」を選ぶことになる。これは一概に小説軽視というわけではない。授業時数の関係でどちらも選ぶわけにはいかず、だとすれば入試のためには評論を重視せざるをないからだ。
 この変更はありえない。自国の文化を教えることを軽視している国はない。ヨーロッパなどでは、分厚い教科書に自国の有名な文学作品がまるごと載っているそうである。自国の文化を教えることはその国の教育にとっての核心である。だから国語教師のほとんどがこの変更に反対であるはずだ。

 しかし、現在の高校の国語教師はほとんどが何も考えずに、自分が教わった通りに授業を行っているだけだ。なんの勉強もしていない。そんな国語教師がいまさら偉そうに言っても説得力がない。本当にくそみたいな国語教師が多いのだ。この原因は教員が忙しすぎることにあるのも確かなので同情すべき点もあるが、解説で読解力があがるはずがない。生徒は解釈例を身につけるだけで、創造性は全く生まれない。これは現代の教育ではない。

 もちろん少数ではあるが、すばらしい国語教師もいる。しかし現実は寂しい状況だ。

 大学教授などで変更案を批判する人は多い。しかし、それならば高校の国語の実態も批判しなければ片手落ちだ。そもそも国語教育をリードすべきだった大学の国語教育の専門の教授陣こそが批判されるべきだ。

 犯人探しをしても意味がない。みんなでもう一度この国の国語教育がどうあるべきか考える必要がある。
 
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ラグビーワールドカップ開幕

2019-09-23 07:19:06 | スポーツ
 ラグビーワールドカップが開幕した。日本でも急激に盛り上がってきた。ぜひこの盛り上がりを受けて日本代表に大活躍してもらいたい。

 私の世代はラグビーファンが多いのだが、現在の若い世代ではラグビーは関心が低いスポーツである。今では信じられないだろうが、私が学生のころはサッカーはまったく人気がなかった。まだJリーグは始まっていなく、当時の一番上のリーグである日本リーグの試合を見に行っても、閑散としていて痛々しかった。それに対して大学ラグビーは大人気で、実業団もラグビーも日本選手権での釜石や神戸製鋼の活躍があり、そこそこの人気があった。当時国立競技場を満員にできたのはラグビーぐらいだったのである。しかし、その後サッカー人気が高まり、ラグビー人気は相対的に落ちていった。もちろんトップリーグは人気が出てきて、観客動員を見れば昔よりも多い。だから人気が落ちたわけではないだろうが、他のスポーツに比べれれば地味な存在になってしまった。日本人の多くはルールもよくわからなく、何をしているのかよくわからないという状況である。テレビの紹介の仕方もラグビー入門的なものが多いのだ。

 ラグビーのチームが15人であることも競技人口が増えない理由かもしれない。今、学校の部活動で15人を集めるのはむずかしい。チームが組めないのである。しかもケガのイメージが付きまとう。子供のラグビー人口は増える要素がない。

 日本で開催されるという気分の高揚に加え、ここでラグビーの魅力を広めなければ日本のラグビーは絶滅するという危機感によって、選手は緊張の極致にいたのだろう。初戦、ロシア戦の序盤はミスが目立った。しかしその後は強さを見せつけてくれた。すばらしい試合だった。

 ぜひ日本代表には決勝トーナメントに進んでもらいたい。そしてラグビーがもう一度日本で輝く時代を作ってほしい。 
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