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とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

舞台『星の降る時』を見ました。

2025-06-09 11:08:05 | 演劇
舞台『星の降る時』を見ました。家族の絆の強さと、そのもろさ危なさを同時に描く名作でした。

作者はベス・スティールというイギリスの劇作家のようです。演出は栗山民也。出演は江口のりこ / 那須凜 / 三浦透子 / 近藤公園 / 山崎大輝 / 八十田勇一 / 西田ひらり / 佐々木咲華 / / 秋山菜津子 / 段田安則。幅広い年代の役者がそれぞれ素晴らしい演技をしていました。

年老いた父親と三姉妹の家庭の物語です。ただし次女は一人で暮しています。長女は結婚し、夫と娘二人が一緒の家に住んでいます。きょうは三女の結婚式です。三女はポーランド出身の男と結婚するのです。三女以外の家族はポーランド人に対する偏見をもっているようです。

話が進む中、いろいろな家族の問題が見えてきます。長女の夫が次女と愛し合ってしまうのです。そこには長女夫婦の性的な関係、そして夫の仕事の問題が絡んでいます。次女は次女で何度も結婚と離婚を繰り返しています。そして三女は何か自信なさげです。

結婚式は途中から異様なものになり、最後はぶち壊されます。そこには登場人物たちの問題が集約されていたのです。

この作品にはポーランドからの移民との結婚という社会的な背景が描かれています。その背景のもと、家族の危なさが描かれて行きます。家族はとても密接な関係になります。その密接な関係が不倫を生み、憎しみを生みます。しかしそれでも密接な関係は離れがたいという宿命から逃れられません。脚本も演出も、そんな家族の関係を見事に描いています。

近年、日本でも海外の作品が上演される機会が増えているように感じられます。やはり舞台脚本の質は、海外のほうが高いのかもしれません。脚本家の地位が確立していることが大きな原因なのかもしれません。
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イプセンの『幽霊』を見ました。

2025-05-03 16:44:53 | 演劇

少し前の話になりますが、3月の下旬にハツビロコウという演劇ユニットが上演した、イプセン作の『幽霊』を見ました。とてもすばらしい舞台でした。

夏目漱石がイプセンを高く評価していることもあり、最近、イプセンの戯曲に興味をもっていました。これまでイプセンの作品は『人形の家』、『ヘッダ・ガブラー』、『人民の敵』を見た事があったのですが、そこまで好きではなかったのです。去年から、改めてイプセンを読み直して、実はすごい戯曲であったのだと感じる様になっていました。今回、これまで見た事がない『幽霊』が上演されると言うことで、わざわざ東京まで行き、見させていただきました。

すばらしい作品でした。イプセンの戯曲ももちろん見事です。さまざまな要素が絡み合い、単純な話ではありません。おそらく今で言えば発達障害の親子の話だったのではないかと思います。そんな親子の苦しみと、それに気づかない、あるいは知らない家族の苦しみ、そして、そんな中でも自分の生き方を探し求める姿が切実に伝わる戯曲でした。現代でもこれほど見事な構成の本はないのではないかと思います。

役者さんたちも見事でした。抑えながらもきちんと台本の意味を再現しようとしていました。演出もカギになるセリフの微妙な言い回しを丁寧に描いていました。言葉の裏に潜んだ真実をさりげなく気付かせるような演出であり、演技でした。

小さな劇場であり、観客はそれほど多くは入らないのですが、劇場の集中力が極限に達していたような感覚を憶えました。

本当にいい演劇に出会えてうれしかったです。
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シス・カンパニー公演『桜の園』を見ました。

2024-12-26 18:00:08 | 演劇
シス・カンパニー公演、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の『桜の園』を見ました。チェーホフの世界が見事に再現された舞台でした。

ロシアの富豪の家が舞台です。その家は「桜の園」と呼ばれる桜の木がたくさん植えられている大邸宅です。しかしその富豪は没落しています。もはや「桜の園」を売ってしまうしかない。その重大性が女主人ラネーフスカヤはわかっていません。なんとかなるんだろうと他人事のような反応しかしめせません。その家の住民はみんな事の重大性がわかっていないのです。このあたりの描写がケラの演出は見事です。そもそもケラの芝居はそういう作品ばかりです。事態が深刻になっても、登場人物の会話はその重大性とは別次元で進んでいくのです。

重大性を理解しているのは、この家の元農奴の息子で、今は商人となったロパーヒンです。結局、この家を買うことになります。その時、初めてラネースカヤは事の重大性に理解できるのです。とは言え理解できたからと言って変わるわけではありません。やはり、何とかなるという雰囲気なのです。

事態の現実を人間は頭では理解できても、心では理解できないのかもしれません。それは不幸なことでもあり、幸福なことなのかもしれません。

いい芝居でした。
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マクミラン作『モンスター』を見ました。

2024-12-23 08:36:15 | 演劇
ダンカン・マクミラン作『モンスター』を見ました。見ている人間が追いつめられる作品でした。

登場するのは、家庭が安定しなく社会では問題児とのレッテルをはられたADHDの傾向が強くあらわれる少年と、その少年を担当することになった自分自身も深い問題を抱える新人教師、そして少年を育てる祖母と、教師の恋人の4人。教師は少年との関係をなんとかうまくいくように努力するのですが、うまく行かずに、対立の度を高めて行ってしまいます。それはそれぞれの家族に波及し、みんなが生きづらくなってきます。

少年を苦しめているのはなんなのだろうか。そして関係で苦しんでいる周りの人たちは救われないのか。見ていて本当に苦しくなっていきます。

学校はここまで極端ではないとしても、似ている状況と常に接しています。昔は教師側の威圧で対処していたのですが、それによって人権を奪われた子どもたちはたくさんいたののだと想像されます。現在はそれぞれの子どもたちを尊重するために、教師は追い詰められています。かかえきれないものを抱えて仕事をしなければなりません。

この劇は八方ふさがりの教育状況が、描かれています。それでも前を向かなければいかない。踏み出す力はどこから生まれるのか。考えさせられる演劇です。

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『ハムレット』を見ました。

2024-06-08 07:26:58 | 演劇
彩の国さいたま芸術劇場開館30周年記念 彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』を見ました。役者の熱演により、迫力のある素晴らしい舞台でした。

演出は吉田鋼太郎。キャストはハムレットが柿澤勇人、オフィーリア役に北香那。ハムレットの亡き父と、その弟のクローディアス役を吉田鋼太郎、ハムレットの母ガートルード役に高橋ひとみなどが演じます。

舞台は満足したのですが、なんど見てもハムレットはよくわからなくてしっくりきません。今回はそのことについて書きます。

ハムレットの父であるデンマーク王が急死します。王の弟クローディアスが王妃と結婚し、後継者としてデンマーク王の座に就きます。つまりハムレットの母は、ハムレットの伯父とすぐに再婚してしまうのです。そこにハムレットの父の亡霊が現れ、自分はクローディアスの毒殺されたのだとハムレットが告げます。ハムレットは復讐を誓います。

ここまでの筋はわかりやすいのですが、ここからがよくわからなくなります。ハムレットの「暴走」が始まるのです。

復讐を誓ったハムレットは狂い始めます。狂気を装っているようでもあるのですが、それにしては行き過ぎです。ハムレットは愛するオフェーリアを無下に扱います。さらには、母である王妃と会話しているところを隠れて盗み聞きしていたオフェーリアの父である宰相ポローニアスを、クローディアスと誤って刺し殺してしまうのです。かわいそうなのはオフェーリアです。愛するハムレットから冷たくののしられ、父親もハムレットに殺されてしまうのです。オフェーリアは気が狂い、溺死します。

ハムレットの行為はどう見てもやりすぎです。観客はここまでくるとハムレットと同化できなくなります。

宰相ポローニアスの息子であり、オフェーリアの兄であるレアティーズは、父と妹の仇をとろうとします。ハムレットと剣術の試合を行い、毒を塗った件でハムレットを殺そうとするのです。しかし結果として、ハムレットもレアティーズも剣の毒のために死んでしまいます。さらにはクローディアスもガードルードも死んでしまいます。

最後のシーンは味方によってはドタバタ劇のようでもあるのです。そもそこハムレットはクローディアスに対して復讐をすればそれでよかったはずです。その機会もありました。しかし、事を面倒にしてしまって、みんな死んでしまうのです。これは何を意図した作品だったのでしょう。

しかし、実はこの不思議さに最近は実ははまってきているのです。なぜこうなるのか、なぜこうする必要があるのか、それを考えるとおもしろくなってきます。その解釈をつくりあげることも、観客の創造でもあるのです。

芸術作品とは、受け手の想像力を活性化し、受け手自身があらたなものを作り上げることも含めて存在するものなのではないかという気もしてきます。「ハムレット」はそういうことを考えさせてくれる作品です。
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