とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

自己責任

2016-07-24 08:13:38 | 社会
 「ポケモンGO」が配信された。さまざまな危険性が話題になりながらみんなが大騒ぎしている。かつての日本ならばもっと反対意見が大きく出て規制すべきだという声があがっていたと思う。しかし、ほとんどそんな声は上がらない。昔と何が変わったのか。「自己責任」という言葉がうごめき始めたのである。

 自己責任。これは「『ポケモンGO』で何か事故、事件があった場合でもそれで遊んでいた人が悪いのである。その人が損害賠償をする。それでいいじゃないか。企業も、政府や自治体も責任はとりません。取り扱い説明書にすべて書いているから私たちは悪くありません。」という発想である。こういう自己責任の発想はとてもアメリカ的なものと考える。何か問題が生じたときは裁判をすればいい。とても合理的な考え方ではある。

 しかしアメリカと違い日本は地域とのつながりによって成立する社会である。だから裁判になるだけでも白い目で見られ地域社会の中からは排除される危険性が高い。「ポケモンGO」で事件事故が起きてしまえば、当然任天堂に対するものすごいバッシングが生じるだろう。都知事選における鳥越候補に対する週刊文春の報道も疑惑であるだけでも大きなダメージを与えることになる。

 言葉は社会の中でほとんどの人がほとんど同じ意味で使うということはない。しかし、ある程度の定位置にいなければコミュニケーションは成立しない。まあここまで定着すればいいかなという程度で辞書にのることになる。「自己責任」という言葉はいまのところみんなが同じような意味合いで同じような感覚で使われてはいない。まだ揺れている段階である。定位置を占めていなかった言葉が、まだ落としどころがないまま居場所を求めているところである。

 言葉は一部の権力者の思惑の通りにしてはいけないし、そうはならないはずである。アメリカ的な「自己責任」が日本では成立しないだろうし、成立させてはならない。
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