とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

現代文の参考書シリーズ こども論2

2016-07-13 12:25:38 | 現代文の参考書
【経済主義と子どもの関係】
 「巨人の星」と「タッチ」のような子どもに対する認識の変化はどうして起こってきたのでしょう。

 近代の大きな特徴は経済主義です。お金のあることが正しくお金がないことが間違っています。間違っていると言うとしっくりこない人もいるかもしれませんが、いい年をした大人が働かずぐだぐだしていれば、世間から白い目で見られると思います。お金もうけばかり考えている人は強欲であまりよく見られないという傾向はありますが、それは日本人独特の横並び意識というもうひとつの価値観のためで、現代人のだれもがお金を必要としているのは明らかです。

 お金を座標軸として見ますから、労働力にならないものは「一人前」として扱われません。

 子どもは大人になる前の段階ですので労働力として計算できません。「働かざるもの食うべからず」という表現がありますが、子どもはまだお金を生み出していませんので、一人前の人間になる前の存在としてとらえられてきました。労働力として計算できるようになると一人の人間としての権利が得られる、そう社会は(無意識のうちに)見ていたのです。その意味で、近代に子どもに「人権」はなかったのです。
だから、子どもはよりよい大人になるために、「教育」されました。ここでいう「教育」は大人になるためのしつけという意味も強くあったと思われます。だから体罰もある程度は容認されてきたといっていいでしょう。

 しかし、「ポストモダン」になり、経済的な豊かさに対する疑念が生まれてきました。
経済的にいくら豊かになっても、朝から晩まで働きづめで幸せと言えるのか。もっと家族との時間を大切にすべきではないか、と家族のために一生懸命がんばってきたお父さんは非難の対象となってしまいました。

 子どもは子どもで、いい大学に入ればいい就職があり、そうすれば経済的に安定すると教えられ、詰め込み教育が行われ、常軌を逸した受験勉強を強いられました。

 このような近代に対するアンチテーゼとして、「心の豊かさ」が叫ばれ、家族の大切さが繰り返しドラマで描かれました。子どもたちには「ゆとり」が与えられ、そして少子化という事情もあいまって、子ども一人ひとりを大切にし、さらに子ども一人ひとりにお金をかけるようになりました。

 こうして子どもは本当に「宝」となってのです。

 これはいいことだと思います。昔の子どもたちに比べて今の子どもたちは素直で明るくあんりました。物怖じせず、自分の意見をしっかり言います。しかし、いくつかの点で気になることがあります。

 つづきます。
コメント
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