とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。

2022-10-30 17:43:55 | 読書
 今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。近代小説の大きな特徴である「語り手」の存在が前面に出てくる二重構造の小説です。その構造が不思議な世界をつくりあげます。

 語り手はだれなのでしょう。主人公と思われる「むらさきのスカートの女」は確かに変わった人です。しかしすぐにその「むらさきのスカートの女」に、ストーカーのように固執する語り手のほうが異常であることに読者は気がつきます。しかし語り手はそれに気が付いていないようです。

 読者は「語り手」を観察し始めます。しかしその「語り手」の書いていることは本当に信じていいのでしょうか。どうもあやしい。同じ職場にいながらこんなに「むらさきのスカートの女」に近づけるはずがありません。それなのに無理な行動がさも普通の行動のように語られるのです。だんだん「語り手」が信じられる存在なのかもあやしくなってきます。

 このテクニカルな小説が本当に小説として優れているのかは私にはすぐにはわかりません。芥川賞に値するほどのものなのかは、他の小説も読んでみることによって見えてきそうです。今、私が考えているテーマに大きなヒントを与えてくれる小説であることは確かです。
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日本のプロ野球が変わるべきこと

2022-10-29 07:23:27 | スポーツ
 プロ野球をよく見ていた。とは言え、最近はそれほどでもなくなった。なぜと言われてもわからない。とは言え、たまには見る。今年の日本シリーズもチョコチョコ見ている。すごい試合をしている。やはり野球はおもしろい。

 ただし、日本のプロ野球も変わらなければならないことがある。

 一つ目は、DH制だ。セ・リーグはDH制を採っていない。しかしDH制を採用したほうが、打撃専門の選手が生かされる。これは多様な選手を受け入れることになる。大谷翔平が生かされたのもDH製のおかがなのだ。もうこだわる理由がないのにこだわるセ・リーグの考え方は理解しがたい。

 二つ目は4番打者がエースバッターだという考え方だ。もはやアメリカの野球はそんな古い迷信的な常識は捨てている。1,2,3番に打力の高い選手を集めている。このほうが理にかなっているのだ。

 三つめはプロとアマの壁だ。いまだにプロ選手やプロ経験者がアマチュア選手に指導するのに大きな壁がある。改善されているのはわかるが改善のスピードが遅すぎる。

 アメリカの常識が正しいとは限らない。日本の野球の伝統がすべて悪いわけではない。日本の野球は日本の風土が育ててきたのだから尊重すべきことは尊重しなければならない。しかし日本は理論よりも慣習を大切にしすぎている。もっと柔軟に考えていかなければいつか世界に置いて行かれる。これは野球に限ったことではない。教育でも同じだし、政治だって同じだ。

 
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著作権についての問い

2022-10-28 07:49:57 | どう思いますか
 10月24日、音楽教室のレッスンでの演奏で、曲の使用料を払う必要があるかどうか争われた裁判で、最高裁は生徒の演奏については曲の使用料を払う義務がない判断しました。当然といえば当然の判決です。ただし、著作権については改めて考える必要があります。

 そもそも著作権というのは、「近代」の産物です。「近代」というのは「個人」が重要視される時代です。だから個人の権利が大幅に認められました。著作権もそのひとつです。

 様々な著作物は個人のものなのでしょうか。小説だって映画だって伝統の上に立ってできているものです。完全に個人のものとは言えないはずです。それでも「近代」という時代は個人を優遇してきました。

 しかし「近代」は行き詰っています。「個人」の時代はもう終わりつつあるのです。その時代に「著作権」は生き残れるのでしょうか。

 私は「著作権」を完全に否定するつもりはありません。「著作権」があるからこそ、文化が発展したのは事実です。しかし、著作権が死後70年保護されるなんてありえない話です。著作権が茶作者と別な次元で売買されるのもおかしな話です。「著作権」がマネーゲーム化している現状はおかしいのです。

 「著作権」はもっとしっかりと考えていかなければならない、哲学的な問題です。

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「結果として」という言葉

2022-10-24 21:08:59 | 社会
 山際大臣が辞職した。当然の結末であり、いつ辞めるのかという状態だった。ここに来ての辞職は完全に山際大臣のウソのためであり、国民誰もがそう思っていた。だからここで「結果として」という言い訳をしている山際氏を許すわけにはいくはずがない。

 もしこれが許されるとしらら、山際氏が袋叩きに会おうと、国会や記者会見で弁明しなければならない。そんな勇気があるはずがない。なぜなら国会答弁がごまかしだったからだ。もしそうでないならば、きちんと対応しなさい。

 最近、「結果として」という言葉が軽く使われすぎている。「結果として」というのは自分の意図とはまったく違う方向にいってしまった場合に限られる。しかしそうではない場合で簡単に「結果として」という言葉が使われてしまう。許すわけにはいかない。


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春風亭一之輔独演会に行きました。

2022-10-22 18:25:38 | 落語
 山形市遊学館ホールで開催された「春風亭一之輔独演会」に行きました。

 若手落語家ナンバーワンといっていい春風亭一之輔師匠は山形によく来てくれます。今回は遊学館ホールという狭いホールでの落語会です。広さが寄席の雰囲気に似ているので、落語にはよく合うホールです。そこでの落語会。とても楽しめました。

 最初はダブルブッキングして日程が変更になったことを語ります。一之輔師匠のミスです。これがおもしろい。普段は少し生意気さを演じることが多い一之輔師匠ですが、さすがに恐縮して笑いを生みます。

 今回の演目は「味噌蔵」と「猫の災難」。どちらも酒の失敗話です。飲まなきゃやってられないということなのでしょうか。

 疲れがたまっていて厳しい日が続いていたのですが、いい気分転換になりました。
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