とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

現代文の参考書シリーズ こども論5

2016-07-20 09:11:38 | 現代文の参考書
3.時代の変化についてけない

 子どもに対する対応が大きく変化したように、様々な分野で時代は大きく変化しています。世の中が変化するのは当たり前です。しかし近年はその変化があまりに大きく、急激です。するとどうなるのか、大人は自分が子ども時代に一生懸命努力して見につけてきた価値観が、大人になって時代遅れとなってしまって、とまどってしまうようになります。誰もが自分の価値観を信じられなくなり、自己分裂を起こすことになってしまいます。

 体罰の問題もそうです。

 体罰が大きな問題になることがよくあります。体罰によって肉体に後に残るようなダメージを負ったり、自殺に追い込まれたり、このようなことがおこる以上、体罰はあってはならないとのは当然です。しかし、以前は体罰もある程度容認されてきたことも事実です 私が子どものときは体罰は当たり前のように行われていました。「当たり前のように」というと実は少しおおげさなのですが、しかし、体罰がなされたからと言って、大きな問題になるわけではありませんでした。親の中には、子どもに体罰をする教師を熱心な教師ととらえている人もいました。特に運動部の指導においては、親のほうから、「言うこと聞かなかったら殴ってやってください。」
ということがありました。

 今はそんなことはありません。ここ2,30年の間で流れはまったく変わってしまいました。

 昔の教育を受けて、それを信じていた親や教師は、ある程度子どもは厳しく育てるものだと考えています。特に最近のわがままなことを平気でする子ども、人の迷惑を顧みず非常識な行動をとる子どもなどを見ていると、さすがにもっと厳しくしつけるべきではないかと思って当然だと思います。だから、行き過ぎはよくないのは当然として、ある程度の体罰を認めるべきだという考え方もよく理解できます。そして、そのような考え方は過去は否定されなかったわけです。

 子どもたちの中にも厳しい指導のもと実績を上げてきた人は多く、行き過ぎは悪いが、厳しい指導はあってもいいと考えている生徒は多いのです。

 体罰による自殺があり、あるいは度が過ぎる体罰があったりして、世の中の雰囲気は体罰は絶対にダメという風潮になりました。それと同時に厳しい指導はダメというような風潮も生じてきました。もちろんこの背景にはポストモダン的な子ども観があるのは明らかです。

 そしてそれに異を唱えることは「空気」が許さなくなってしまいました。

(この「空気支配」はいつか人類を滅亡に導くような気がします。)

 この結果、体罰はだめとしても、子どもには厳しく指導すべきだと信じ続けてきた大人や、厳しい指導のおかげで成長していると考えている子どもは、自分の信条を否定せざるを得なくなり、いったい自分は何を信じていいのかわからなくなってしまうという事態に直面してしまっています。

 この大きな混乱は徐々に日本社会を苦しめる結果となってしまうのではないかと心配されます。

 つづきます。
コメント
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