とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

子どもの人生が小さいときに決まる

2018-03-06 16:10:19 | どう思いますか
 出生前診断についてきのうブログを書いた。その出生前診断とは直接関係ないのだが、この報道を聞いて連想したのは、現代は子供が本当に小さいころから自分の運命が決められるようになったということだ。小さいころから知能検査、運動能力検査が実施され、ごく一部のこどもがエリートとして育てられる。これは現実に起こりつつあることだ。

 絵空事のように思う方もいるかもしれないが、教育に関心のある一部の富裕層の人たちは、自分の子供にどのような能力があり、その能力を伸ばすためには何でもしてあげるという態度である。親自身も学歴があり教育に関する多くの知識を持っている。だから親が我が子の教育コーディネーターになって、自分の思う方向に子供を導いている。こういう人がモンスターペアレントになるのだ。理屈は正しいのでごもっともというほかはないのだが、現実の場面での実行の難しさがわからないからどうしても議論は平行線をたどらざるを得ない。だから教員は疲弊する。

 一方そういう世の中の流れにまったく関心を示さないタイプの大人もまだたくさんいる。こどもは自分の力で成長すべきだという考え方である。それはそれでいいが、あきらかに学力面では劣ってしまう。それでもいいと思ってくれていれば世の中は平和である。

 そして経済的に厳しい親がいる。経済的に厳しいので仕事が忙しく、親は子ども面倒をみることができない。今は塾に行くにも、スポーツをさせるにもお金がかかるので、何もさせてあげられない。子どもは家でゲームをしているだけになる。そういう子供も一方では増えている。

 可能性とか、夢という言葉はみんな平等だから成り立つ言葉だ。ところが今は可能性も夢もない。子どもの時から現実と戦うだけだ。むなしい世の中になってしまった。
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ムーミン

2018-01-18 07:53:07 | どう思いますか
 センター試験に「ムーミン」が出題されたことが話題になった。「ムーミン」がどこの国が舞台かを聞く問題であった。確かに「ムーミン谷」は架空の場所のなので、フィンランドが舞台だというのは無理がある。しかも今の高校生は「ムーミン」をほとんど知らない生徒が多い。常識の範囲外なので、いわゆる「知識」問題となってしまった。配慮の足りない問題であり、センターは反省すべきである。しかし問題として成立していないというほどのものでもない。だから「ちょっとした話題」の範囲内のことである。

 日本での「ムーミン」の最初のテレビ放送は1969年である。私はこどものころそれを見ていた。とても印象的なアニメであった。このアニメに井上ひさしや若き日の宮崎駿などがかかわっている。日本のアニメが世界に羽ばたく序章となる番組だったのかもしれない。その題材として「ムーミン」は適していたのであろう。ムーミンの声が岸田今日子だというのもおもしろい。

 原作者トーベヤンソンはこの「ムーミン」にクレームをつけたそうであるが、どういう意図なのかよくわからない。優れたアニメであり、おそらく今見てもおもしろい作品であることは間違いない。

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ベルリンの壁崩壊と「9.11」

2018-01-10 18:21:55 | どう思いますか
お題「平成で一番驚いたニュースは?」に参加中!
 平成で一番驚いたニュースという「お題」だったので、平成をインターネットで振り返ってみたら、大きなニュースがたくさんありました。中でもベルリンの壁の崩壊と「9.11」は大きな衝撃を受けました。それまでの常識が崩れていく事件だったからです。

 子どものころから私にとって「冷戦」が当たり前だったので、「ベルリンの壁」が崩れるなんてことはないと勝手に思い込んでいました。ところがいとも簡単に崩れていく。歴史というのは動いているんだと感じた事件でした。

 もうひとつの「9.11」は2機目の飛行機がぶつかる瞬間をテレビで生で見ていたのでました。こんな映画のようなことがおこるんだという意味でも衝撃的でしたが、それ以上に、アメリカ中心の世界の歴史の転換点のような気もしてきて、大きな事件であると感じました。

 平和の象徴のような事件と、根深い憎悪の象徴のような事件。このふたつは歴史に刻まれる大事件です。

 阪神大震災や東日本大震災も大きな事件です。ただし、阪神大震災の時は家にテレビがなかったので、実感としてとらえにくかったし、東日本大震災は私もその揺れの中にいたのでニュースというより、体験となってしまったので「ニュース」というくくりにはいれないでおきたいと思います。
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「良心の命令に従って」(『こころ』シリーズ⑧)

2017-12-18 19:16:54 | どう思いますか
 こころの授業をしていて生徒からの指摘を受けて考えていることがあります。Kの「お嬢さん」への恋心の告白を受けて、「先生」のこころは乱れていきます。疑心暗鬼がつのり、とうとう「奥さん」に「お嬢さんをください。」と願い出ます。Kに追い詰められての告白なのだから、どう考えてもこの後Kに対する罪悪感を感じないわけがないと思うのですが、その後、すっかりとKのことが頭から消えてなくなります。「奥さん」が「お嬢さん」に話をしている間、「先生」は散歩にでかけ、「奥さん」と「お嬢さん」のことだけを考えて、Kのことをすっかり忘れているのです。なぜなのでしょうか。以上の疑問を生徒に投げかけました。
 
 下の46章から引用します。

 私はこの長い散歩の間ほとんどKのことを考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分にきいてみてもいっこうわかりません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
 Kに対する私の良心が復活したのは、私がうちの格子を開けて、玄関から座敷へ通る時、すなわち例のごとく彼の部屋を抜けようとした瞬間でした。彼はいつものとおり机に向かって書見をしていました。彼はいつものとおり書物から目を放して、私を見ました。しかし彼はいつものとおり今帰ったのかとは言いませんでした。彼は「病気はもういいのか、医者へでも行ったのか。」とききました。私はその刹那に、彼の前に手を突いて、謝りたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野のまん中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い止められてしまったのです。そうして悲しいことに永久に復活しなかったのです。


 その時にある生徒が言いました。

 「私はきっと良心の命令に従って」という記述がひっかかる。普通の表現ならば「私は良心にしたがって」でいいではないか。それなのにこのような表現をしているということは、「良心」がカギカッコつきの「良心」であるような気がする。つまり本当の良心ではなく、理屈の上の「良心」なのではないか。そう考えると、その時、「先生」はまだ本当の意味でKに対する罪悪感を感じていなかったのではないか。「先生」の自殺の原因は、Kに対する罪悪感というよりも、自然な良心もなくなっていた過去の自分が許せなかったからなのではないだろうか。

 なるほどと思いました。Kに対する罪悪感を感じないはずがない場面で、罪悪感を感じられなかった自分が、未来の自分を苦しめているという解釈です。これはいい読み取りです。
 
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「解党的出直し」よりも「解党」

2017-12-15 17:24:05 | どう思いますか


 民進党が「解党的出直し」をするやら、しないやらでもめている。「またかよ。」というのが正直な感想である。いくら出直したって、民進党には根本がないのだからしょうがない。単純に「解党」して、どっかに拾ってもらったほうがいい。

 そもそも根本がない理由は自民党が根本がないからである。自民党は権力が欲しい政治家があつまった党だから、なんでもOKなのだ。どのような政策でも受け入れてしまう。自民党が受け入れないのはアメリカとの関係を悪くするようなことだけで、それ以外はわりとバランスよくやろうとしている。だから野党が対案を示すことが困難なのだ。だとしたら、逆にみんな自民党に入ってしまって、自民党内での権力争いをしていたほうがいいのではないか。

 共産党や、立憲民主党などは健全なる野党として頑張ればいい。しっかりと筋を通すℜ政治を見せてほしい。しかし民進党は「政権交代」だけを目的にしている党だ。「交代」は「後退」でしかなかったという現実に国民は直面してしまった。もはや存在意義をなくしている。

 もしそれが嫌ならば、少子高齢化社会における具体的な打開策をきちんと示すことをまずはやってもらいたい。奇をてらったものではなく、現実的な耳がいたくなるようなこともしっかりと言える党になってもらうしかない。そしてそこから議論のできる政党に成長していくしかない。
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