とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『羊をめぐる冒険(下)』を読みました。

2020-07-29 19:19:01 | 読書
 『羊をめぐる冒険(下)』を読みました。現代の生み出した「巨大な力」が私たち人類を取り込もうとしています。その力と抵抗する小説だと私は読みました。

 現代は、(もしかしたら現代でなくともそうなのかもしれませんが)「巨大な力」が君臨しています。その「巨大な力」はある時は国家であったり、ある時は企業であったり、ある時はイデオロギーであったりします。

 アメリカや中国、ロシアなどは巨大な力を持ち、世界を支配しようとしています。グーグルやAmazon、マイクロソフトは情報を支配し、その巨大な力に抵抗するものはいません。資本主義や共産主義、あるいは民主主義は人々を魅了し、支配を続けます。

 人々は「巨大な力」の胡散臭さを感じながら、しかしそれに抵抗すればするほど自分が損をする気分になります。だから抵抗する気力は消えていき、いつの間にか取り込まれていきます。

 そんな「巨大な力」に「鼠」は命をかけて戦いをいどみます。しかしその命のかけ方は、静かに進んでいきます。それが巨大な力に対する正しい抵抗だからです。

 「鼠」は「巨大な力」の象徴とともに命を落とします。「鼠」にとって必要だったのは、その戦いを記録する人でした。それが「僕」です。

 「僕」は自分の無力さに絶望しながら、それでも記録を残します。それが「僕」の戦いです。ものを書くことはそういう命がけの戦いなのです。

 私は村上春樹の熱心な読者ではないので、他の人の読み方はしりません。しかし読書に「正しい」読みはありません。一人一人が各自の読み方をしながらそれが交差する世界が読書の世界です。私は今回は以上のような読み方をしました。次にどういう読み方をしているかが楽しみになる本でした。
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今期のドラマはすごすぎる

2020-07-27 22:17:50 | TV
 今期のドラマがすごすぎる。

 『半沢直樹』は期待通りだし、『ハケンの品格』と『BG』も甘さもあるがおもしろさは別格だ。

 それと同じくらい『MIU』がいい。野木亜紀子さんあの脚本なので失敗はないと思っていたが、やはり期待通りだ。

 しかしそれ以上に『私の家政婦ナギサさん』がいい。目立つ作品だらけのなかで地味なのに名作である。

 そしてまた出た、NHKの『ディア・ペイシャント』がいい。まだ始まったばかりだが、先週見た2回目は本当に泣けた。

 いいドラマだらけで、見る時間がない。おいつかない。

 おそらくオリンピックがあるはずだったので、7月開始のドラマはもともと考えていなかったのだろう。だから4月開始のドラマに労力を集中できた。ということは、もう少し余裕があれば、いいドラマはたくさんできるのではないだろうか。日本のドラマは時間がなさすぎて、無理をさせすぎているのではなかろうか。

 そうか。ドラマ制作者は優秀な人が多いはずなのだ。ぜひそういう人がその能力を発揮できるような余裕があれば、日本も世界に誇るテレビ文化を実現できるような気がする。
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映画『ルースエドガー』を見ました。

2020-07-26 09:25:34 | 映画
 映画『ルースエドガー』を見ました。人種差別をこれまでとは違った角度から描いた作品です。小さいころに身に付けたものは、結局は人間の思考を作ってしまいます。時にはそれは偏向した思考になります。その思考はゆがみを生み、そのゆがみが悲劇を生んでいきます。これはアメリカ人だけの問題ではありません。世界中の人々の突き付けられる問題であり、逃げてはいけない問題です。

監督    ジュリアス・オナー
出演者  ケルヴィン・ハリソン・Jr オクタヴィア・スペンサー ナオミ・ワッツ ティム・ロス

(あらすじ)
エドガー夫妻(ピーターとエイミー)は紛争が続くエリトリアから子供を一人養子に取った。それから10年後、ルース・エドガーは学業とスポーツの両面で優れた成績を収める高校生へと成長した。ルースはその人柄の良さもあって近所の人たちから愛されていた。ルースが通う高校で教鞭を執るハリエットは「ルースの活躍によって、アフリカ系の同級生たちは良い刺激を受けることだろう」と確信していた。そんなある日、ハリエットが宿題を採点していると、ルースの出してきたレポートにフランツ・ファノンにまつわる急進的な思想が見え隠れしていることに気が付いた。ハリエットは「青年には良くあることだ」と思ったが、どうにも不安になったため、ルースのロッカーをチェックすることにした。最悪なことに、ハリエットの嫌な予感は的中してしまったのである。

 ルースはスピーチで自分の名前について語ります。ルースは、生まれ育った土地で自らのアイデンティティを尊重する思想を身に付けていました。ところがルースはアメリカ人の養子になります。そして自分の本来の名前を棄てられて、アメリカ人としての名前を与えられたのです。ルースはスピーチではそれを前向きにとらえていますが、映画を見ている人はそれがルースをゆがめていく原因となったのだと気づきます。本来の自分を棄てさせられ、品行方正な「アメリカ人」になってしまったのです。無理がゆがみを生みます。

 エドガー夫妻はルースを愛しています。しかしそれは自分たちが「ルース」と名付けた想像上の優等生を愛しているにすぎません。本来の「ルース」を愛しているわけではないのです。両親はその偽善に次第に気づいていくのですが、それを認めることは自分の心の醜さを認めることです。だから無意識に隠そうとします。冷静な逆に判断しなければいけないことも、知らず知らずに自分が許されるような判断を繰り返していきます。

 「世間」というのはそのような無意識の偽善によって形成されていきます。この映画はその構造を見事に見せてくれます。いい映画でした。




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ALS女性安楽死事件

2020-07-25 09:22:39 | どう思いますか
 新型コロナウイルの感染拡大と重なってしまい、本来大きく取り上げられるべき事件が目立たなくなってしまった。京都のALSを患っている女性に、二人の医師が薬物投与を行って死亡させたという事件である。

 この事件についてALSについて詳しい人や人権の問題に詳しい人から、あってはいけない事件であるという発言がなされた。その通りなのだと思う。また2人の医師が偏向した思想の持ち主だったという報道も見られる。このことから、この事件は「安楽死」ではなく、あきらかな「殺人」と考えるべきだという意見も納得できる。

 ただし、私はこの事件はそう単純に片づけてはいけないと考えている。うまく整理されていない言説が目立ち、問題の本質が見えてこないのだ。

 ALSに詳しい有識者が、ALS患者は最初絶望をするが、周りのサポートがあれば希望をもって生きていけるという発言をしていた。そのような形になればとてもいいことである。しかし誰もがそういういい形におさまるわけではないであろう。人によってはいつまでも希望を持てない人だっている。それなのに「誰もが希望を持てる」と言い切ってしまうことは危険なことなのではなかろうか。

 女性は2011年頃に同疾病を発症し、死亡する直前は発語や手足を動かすことができない状態だったという報道がある。そこまで来た人間が自暴自棄になってしまうことを責めることはできやしないだろう。

 いじめの問題もそうである。いじめで自殺するなんてことはあってはいけない。しかしいじめで苦しんでいる人の苦しみなんて、他人がわかるようなものではない。不幸にも自殺してしまった場合、いじめられた当人のせいにすることができるわけがない。我々はその苦しみを理解し、和らげることができなかったことを真摯に受け止めるしかないのである。

 ALS患者を「ALS患者」というレッテルで考えてはいけない。一人の人間として受け止め、その人の心を推し量ること努力をすべきである。そして希望を持って「生きる」ために何が必要なのかをじっくり考えることが必要なのだ。
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村上春樹作『羊をめぐる冒険(上)』を読みました。

2020-07-21 18:22:25 | 読書
村上春樹作『羊をめぐる冒険(上)』を読みました。

 村上春樹氏の『羊をめぐる冒険(上)』を読みました。私は村上春樹氏の「言葉」との格闘に感じました。

 『羊をめぐる冒険』は私が大学生のころ出版されました。大学生協に平積みで大々的に売られていたことを覚えています。『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』と三部作のように言われていますが、内容的なつながりはありますが、まったく違う世界だと感じました。不思議な冒険小説であり、当時はそんなにおもしろいとは思いませんでした。主人公の「やれやれ」がどうしても好きになれなかったのです。

 今回読み返してみて、少しこの作品に近づくことができるような気がしました。まだ上巻を読んだだけですが、言葉に対する不信と、言葉のない世界の恐怖、そして言葉を取り戻す挑戦のように感じたのです。共感できます。

 言葉に不信感を抱いている人間は、自分の思考にも不審をいだきます。自分の認識や存在にも不審を抱きます。その結果、生きている実感が得にくくなってしまいます。主人公はそういう存在のように思えます。

 そんな主人公は言葉を取り戻すために旅にでます。さあ、下巻を読みましょう。

コメント (1)
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