とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『人間失格』を再読しました

2019-08-31 15:42:11 | 読書
 これまで太宰治をあまり真剣には読んでなかったが、映画化されるということで再読した。この小説がなぜこんなに受け入れられたのか、考えてみたくなった。

 最近ナラトロジーを勉強しているので、そこから迫ってみたい。ナラトロジーとしては語り手が「主人公」の手記を紹介するという形である。語り手は冒頭の「はしがき」である男の手記を紹介すると言う。そして最後の「あとがき」にもう一度登場しこの小説をしめる。途中に主人公の「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」の一人称の手記が挟まれている。主人公は自分を冷静に分析している書きぶりである。しかし一歩引いて見てみると自分勝手な解釈だともとれる。一歩引いて見ることが可能なのは「語り手」の存在があることが大きい。

 もう一つおもしろい構造を見ることができる。「主人公」と語り手が別人物であり、語り手と作者も別である。ところが「主人公」がどうしても作者を思わせるということである。だれもが太宰治と主人公をオーバーラップさせる。すると「語り手」は誰なのか。この仕掛けを太宰は思いついたのだ。視点を近づけたり、遠ざけたり、そして時には混乱させながらこの小説は進んでいくのだ。おもしろい仕掛けだ。

 もうひとつ考えたのは、この作品を戦争文学として読むことができるのではないかということだ。今は思いつきであるが、考えてみたいテーマだ。
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宮沢賢治

2019-08-29 18:46:50 | 国語
 宮沢賢治の『永訣の朝』を授業で扱う。私は正直言って宮沢賢治があまり好きではなかった。夢多き素人という印象で、この素人くささがどうも気になったのである。

 宮沢賢治の中途半端な科学の知識、中途半端な文章力、どれをとっても能力は中途半端である。これだったらなんでも言える。夢が大きいのはいいが、素人並みの能力しかない。それで突っ走ってしまう。身近にいたらこんなに迷惑な人はいないだろう。現代ならばこんな人絶対に表舞台には出てこない。それなのになんでこんなに人気があるのだろうという、やっかみみたいな気持ちがあったのだ。

 しかし、最近になって実は素人だからこそいいのかもしれないと思うようになってきた。これから本当に近づいていくかわからないが、すこし宮沢賢治について考えてみたいと思うようになった。これから少しずつ機会があるたびに書いていきたい。
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PTAっておかしくなってないですか?

2019-08-26 19:16:40 | 教育
 学校の担当だったので先週第 69 回全国高等学校PTA連合会大会に出席しました。大きなイベントで、スタッフの方々は大変だったと思います。内容的にもすばらしいものだらけで「大成功」だったと思います。運営スタッフの努力を称賛したいと思います。

 しかし私は根本的にこれはおかしいイベントだと思います。PTAといいながら、おそらくほとんど教員が準備したものであろうと思われます。保護者の協力ももちろんあります。炎天下道路に立って道案内をしている保護者もいました。頭がさがります。しかし保護者はほとんどその日だけの仕事です。教員は何年も前から何度も会議をして準備をしてきていたはずです。授業改善が叫ばれている中、授業以外に労力をさかれてしまった教員がたくさんいたのです。こんなイベント必要なのでしょうか。

 教師の働き方改革を文科省は大声でいいます。だったら、こういうイベントを文科省がトップダウンでなくすべきです。ほとんどの保護者だって賛成すると思います。教育改革を強引に推し進めるのならば、強引にPTAのありかたを実質的なものに改革しなさい。
 
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日本のバスケがなんでいきなり強くなったんだ

2019-08-24 18:43:53 | スポーツ
 日本はバスケットだけはいくらがんばっても駄目だと思っていた。しかしきょうドイツとの親善試合で勝利した。確かに親善試合だったので相手も本気ではなかったのかもしれない。しかし内容もすばらしく、真剣勝負だとしてもいい試合になっていたはずだ。

 日本の最大の弱点は身長であった。小さい。これはどうしようもない。しかし近年、日本人も大きくなってきた。それでも外国の強いチームにくらべればまだ線が細いし、体格面での不利は明らかだ。そんな中でここまで力を上げてきたのだから本当にすごい。

 やはり八村塁はすごい。日本代表としてもだが、NBAでもスターになってほしい。きびしい世界だが期待している。
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『明暗』は日本文学史の記念碑だ(夏目漱石『明暗』を読みました。)

2019-08-22 21:19:48 | 夏目漱石
 夏目漱石の『明暗』を読みました。小説としておもしろいのかと言われると肯定することはできませんが、文学史的にはとても重要な「小説」です。

 『明暗』は漱石の最後の作品です。未完のまま終わっています。ですからなんの結論も出ないし、この小説の意図もわからないままです。それでもこの小説が評価されているのは、この小説が漱石にとっては、初めて視点が複数の人物に当たられているからです。

 この小説は3人称小説です。ですから複数の人物に視点があたられていても当然と思う方もいるかもしれません。しかし多くの場合、3人称小説であっても特定の一人の人物にしか焦点が当てられていないことが多いのです。漱石の作品でもそうです。どの小説も主人公と思われる一人の人物に焦点が当てられていて、その人物の心理しか描かれなかったのです。

 ところが明暗では最初は主人公の津田由雄に焦点があたられていたのですが、次には妻のお延に焦点が当てられ、お延の心理が描かれているのです。この手法は当時の日本では画期的だったのではないでしょうか。小説家にとって焦点を変更するというのは勇気のいることであるし、女性に焦点を当てるという点でもこれまでにあまりなかったものだったはずです。

 漱石は『こころ』で、ふたりの人物の手記という形で複数人物の視点を描く方法を実践しました。しかしこれは「小説」という意味では奇をてらった方法であったとも言えます。『明暗』ではこれを「普通」の「小説」の中で実践しようとしたと言えます。これが成功したのか、失敗したのかは未完だったのでなんとも言えません。しかしこの実践が日本の小説を育てたのは明らかです。記念碑的な作品だと思います。
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