とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

オリンピック始まる

2024-07-29 17:44:48 | スポーツ
 オリンピックが始まった。オリンピックはいろいろと問題があるが、始まってしまえばやっぱりおもしろい。

 開会式はいただけなかった。いろいろ工夫があるのはいいとして、これが開会式として認められるならば何をやったっていいじゃないかという気分になった。開会宣言の時、ほとんどの選手は会場にいなかったことになる。こんな開会式、開会式ではあるまい。しかも長い。雨の中、あんなに長々とやっていることにいら立ちを覚えた。聖火を舟で運び、その時間が長いので、どうでもいいダンスを永遠としている(多分有名なダンサーなんだろうが、長すぎて飽きて来る)など、センスのなさも目立った。まあ、これがオリンピックの正体なんだなと改めて気付いた開会式だった。

 とは言え、やっぱりひとつひとつの試合はおもしろいものが多い。もちろんほとんど日本人選手を応援しているのだが、勝っても負けてもそこに感情移入してしまう。これがスポーツの良さである。

 そして日頃目立たないスポーツもオリンピックでは大きく取り上げてくれる。そういう競技の人はオリンピックにかける思いは強いだろう。忙しい日が続き、以前ほど見る時間は多くないが、スポーツの良さを楽しみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイミーと日本の教育

2024-07-26 18:18:53 | 社会
今日、日本の学校について話題になました。わたしは日本の学校は「みんなで助け合って、みんなでしあわせになろう」という言説によって成り立っていると発言しました。そこにいた人たちは笑っていたのですが、実際そうなのではないかと思っています。

小学2年の国語の教科書に「スイミー」という作品があります。わたしのころはなかったのですが、いまや誰もが知っている定番です。作者はレオ=レオニという絵本作家です。日本語訳は谷川俊太郎。

あらすじは次の通りです。

スイミーは小さな魚。まわりにいる魚はみんな赤い魚だったのに、スイミーだけは真っ黒だった。泳ぎも得意であり速かった。ある日大きなマグロがやってくる。まわりにいた赤い魚はみんなマグロに食べられてしまったが、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。

 ひとりになったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす赤い魚たちを見つける。スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。

そこでスイミーは、マグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。

この教材を小学校では協力することの大切さと教えているというのが定番の教え方のようです。しかし実際どうなのでしょう。小学校の先生はみんなそう教えているのでしょうか。

この絵本を素直に読めば、孤独になったスイミーが海の中でたくさんの個性的な生き物と出合う中で、自分の個性を大切にしようと思う話のように思えます。しかし個性よりも協力の方が学校文化に合っているのです。だからそう解釈されます。

これは日本の伝統的にそういう道徳を土台にしていたのではないでしょうか。戦前日本が戦争に突入していったのも、その言説によっています。「みんな」を日本人、そしてアジア人へと広げて行っただけなのです。「みんな」はみんなのことを指す。それを教えないのが日本の教育なのかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』を見ました。

2024-07-25 15:33:30 | 映画
映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』を見ました。軽みのある、しかし心にしみる映画です。私の好みの映画でした。

定年退職し妻モーリーンと平穏な日々を過ごしていたハロルド・フライのもとに、思いがけない手紙が届きます。差出人はかつて一緒に働いていた同僚クイーニーです。北の街のホスピスに入院中なのですが、彼女の命はもうすぐ尽きようとしているという内容です。ハロルドは励ましの返事を書き、それを出そうと家を出るのですが、ガソリンスタンドの店員に言われた言葉に促され、800キロ離れた場所にいるクイーニーのもとを目指してそのまま手ぶらで歩き始めるのです。そこまですることに最初は違和感を覚えるのですが、次第にその理由が分かってきます。

道中、ハロルドの行動はニュースに紹介され、巡礼の旅として注目されます。しかしそれはハロルドの望んだものではありません。ハロルドは自分の事情にもう一度立ち戻り、自分を取り戻し、クイーニーに出会うのです。

人間には後悔しても後悔しきれないことがあります。しかしそれはしょうがないことです。それを抱えて自分の人生を意味のないものにしてはいけないのです。自分勝手かもしれませんが、なんとか折り合いをつけて前を向かなければならないのです。

生きててつらいと感じる人に寄り添ったいい映画でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土用の丑の日

2024-07-24 17:36:18 | 日記
きょうは土用の丑の日だ。と言っても、ウナギが高くなってからまったくウナギを食べていない。そもそもウナギがそこまで好きなわけではないのだ。しかも暑い時に食べるものでもない。鰻屋さんには申し訳ないが、この値段が続くならば、もう一生食べないかもしれない。

そんな中、最近山形市の老舗の鰻屋「染太」が営業をやめた。コロナの影響も大きく、しかもチェーンの安売りの鰻屋が山形市に進出してきたのも大きかったのであろう。山形市も古くからある飲食店はどんどん店をやめている。新しくできた飲食店もあるが、一部を除けば厳しい状況のようだ。

そもそも土用の丑の日に「うなぎ」を食べる風習は、どこから生まれたのかはっきりしないそうだ。丑の日に「う」のつく食べ物を食べる風習があったとか、平賀源内が考えたのだとか、いろいろと説があるが、どれも本当なのかよくわからない。そんなよくわからない中で世の中は廻っていたのだ。丑の日なのだから焼肉屋の方が、流行りそうななのになと考えてしまう。

IT革命があり、AIが世の中をコントロールするようになって、土用の丑の日にウナギを食べるというような迷信めいた不思議な俗説は全部消えて行くのだろう。それはそれでいい部分もあるのだろうが、これまであったすべての人間の営みをきれいさっぱりないものとしてしまいそうで怖い気もする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネット社会の恐怖

2024-07-20 07:37:53 | 社会
 体操女子でパリ五輪代表の宮田笙子飲酒と喫煙のために代表を辞退したという。なんだか無性に腹が立ってきた。確かに飲酒喫煙は法律違反である。とは言え、少なくとも私たちの時代に高校を卒業したら煙草を吸ったり、酒を飲むのは当たり前のことだった。今は大分厳しくなっているのだろうが、かと言って、未成年者が飲酒喫煙をしたからと言って起訴されるようなことはあるまい。学校でそれが見つかっても一週間の停学というレベルの法律違反である。反省を促し、それができたらもう一度頑張れという程度のものだ。それで代表辞退というのはどういうことなのか。

 とは言え、最近の世間の目は厳しくなる一方であり、体操協会の判断を批判するのも体操協会がかわいそうだ。

 一番腹が立つのは、こういう問題についてネットで大騒ぎし、当事者を追いつめるだけ追いつめて、精神的にボロボロにしてしまうということだ。実際に宮田さんという人がどういう人なのかはわからないが、こんな騒がれ方をしたら、一生この心の傷は重くのしかかるだろう。ネットの発言者にそこまでの権利があるというのか。あるはずがない

 ネット社会は常識を逸脱していく。おそろしくてしょうがないし、腹が立ってしょうがない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする