とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

小論文講座④ 「パラグラフ」を学ぼう! 「本論パラグラフ」と「日本型結論パラグラフ」

2016-09-08 14:39:24 | パラグラフ
 「本論パラグラフ」
 「序論」「本論」「結論」の「本論」にあたる場所なので「本論パラグラフ」と名付けます。これは序論で表明した「意見の根拠」の詳しい説明です。なぜ自分がそういうふうに意見を持つように至ったのかの「根拠」を記述します。

 「根拠」とは何でしょうか。小論文が小論文であるための理由というのは論理的であることです。論理的というのはどういうことでしょうか。それは自分勝手な意見ではないということです。自分勝手な意見にならないためには、自分の意見に対して誰もが納得できる理由があるということです。それが「根拠」です。「根拠」というのは具体的な事実です。ですから自分が体験した事実、だれもがよく知っているような事実、著名な人が表明した意見でそれがすでに一般に認められているようなもの、など、疑いのない事実を根拠にしなければなりません。この「事実」があいまいだった場合、論理が崩壊し、小論文ではなくなってしまいます。

・「日本型結論パラグラフ」
 本来の「パラグラフ」においては、「結論パラグラフ」文章を締めくくるという意味だけで書かれるものです。すでに提起された問題に対する答えを言っている以上、「結論パラグラフ」は「結論」としての意味合いは薄く、補足的説明になってしまうのが普通で、必要ないとも言えます。(どうも「結論」という用語が混乱してきていますので、書き直す際に整理しなおします。)

 しかし、みなさんがこれから「大学入試の小論文」の勉強として学ぶ場合、「結論パラグラフ」がないと評価が下がる可能性があるのです。なぜなら、日本人の多くは「パラグラフ」を学んではいないから、「結論」のない文章に違和感を感じるであろうと思われるのです。だから「結論パラグラフ」は小論文対策としては必ず書かなければいけません。

 そこで「日本型結論パラグラフ」を設定します。

 日本型結論パラグラフ」には自分の意見をもう一度書き、そしてできれば発展的な意見をひとつ書きます。

 以上で「高校生のパラグラフ」が完成します。
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日本語の「パラグラフ」その6 「アカデミック・ライティング」

2016-08-03 06:46:30 | パラグラフ
 このシリーズを書いているうちにいろいろ調べていると、最近多くの大学で「アカデミック・ライティング」という名称で、「パラグラフ・ライティング」の方向性の論文教育を推進していることがわかりました。どの程度の浸透具合なのか、そして具体的にどのような教育がなされているのかこれから学んでいきたいと思います。

 そしてそれが私の考えている方向性と同じならば、それを高校の国語教育にしっかりと早急に導入していく必要があります。高校でもわかりやすく自分の意見を書く、そして発表する力をつける方向に改革が進まなけらばなりません。

 一方では大学入試改革がそれにともなって変わってこなければ、授業改革が掛け声だけで終わってしますのは明らかです。授業改革が進まなかった理由はセンター試験にあったのは明らかです。高校の進学校の授業が変化しないのは、生徒のために大学入試に合わせた授業の在り方をしなければいけないという事情によるのです。大学入試の改革がないのに授業が改革しないと教師を責めるのは筋違いも甚だしい。

 教育改革の一番の根本は常に大学入試にあったのです。文部科学省は大学入試改革をしないで偉そうなことを言ってはいけません。
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日本語の「パラグラフ」その4 「ご質問を受けて」

2016-07-31 16:53:43 | パラグラフ
 ご質問をいただきました。読んでくれた方がいらっしゃるということがわかりとてもうれしく感じています。ありがとうございます。

 質問の内容は「小説や詩などについても当てはまるのでしょうか?」というものです。今回のパラグラフについては小説や詩について想定していません。確かに日本語の小説や詩が短歌や俳句のような定型詩を除いては自由な書き方であるのは確かです。しかし、それが英語の場合はどうなのかは私にはわかりません。

 ただし日本語の特性として曖昧性があるということは言っていいのではないかと思います。英語は主語や目的語を省略することはありません。しかし日本語は主語や目的語を主語や目的語は省略することが多い。わかりきっているために省略するのならば曖昧性が生じることはありません。しかし、主語を省略して主語を曖昧にしていることも多いようなのです。三森ゆりかさんという方が指摘しているのですが、日本語を外国語に翻訳する際、実は日本語の主語があいまいなために翻訳できないことが多いそうです。それだけ日本語は非論理的であることは言っていいのではないかと思います。

 このような曖昧性は一方では自由を生み出します。日本語の小説では「語り手」がさっきまで客観的な立場に立っていたと思ったら、次の瞬間に登場人物の視点に立っているということは簡単にできてしまいます。読者もそれを自然に受け入れています。英語でも描出話法という似たような書き方はありますが、日本語ほど自由に視点の入れ替わりができるわけではありません。

 母語の特性がその国民性を生み出してきたのか、逆に国民性が母語の特性を生み出してきたのかわかりませんが、母語の特性は国民性と切っても切れない関係にあります。しかし国際化が進む中大きな変容を迫られていることも確かです。日本語の特性を保ちつつ、論理性をたかめ国際化に対応するためにどうあるべきかをしっかりと考えていく必要があると私は考えています。そしてその方向に国語教育が変化していくことは早急に実現しなければなりません。

 ご質問の答えにはなっていないとは思いますが、意図をご理解いただければ幸いです。
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日本語の「パラグラフ」その3 「日本型パラグラフ」

2016-07-30 13:11:53 | パラグラフ
 パラグラフライティングを日本に導入することは国際化が進む現代において必要なことです。しかし結論を最後に書くのを当たり前にしていた日本人にとってパラグラフの書き方は受け入れにくいと思われます。だから日本型のパラグラフ形式を考える必要があると考えます。

 英語のパラグラフの書き方を日本に導入することはとてもいいことです。日本人は以心伝心という言葉がしめすように、言葉が足りなくても心が通じ合っていることが大切だと考えてきました。確かに心が通うというのはいいことで、大切に守っていきたい日本の文化です。しかし、それによって伝えるべきことを正確に伝えなくてもいいというものではありません。特に国際化が進展する現代においては言葉なくして通じ合うという発想自体が通用しなくなるのは当然です。だから日本人も伝えたいことを正確に伝える文章技法を身に付ける必要があります。

 しかし、それには大きなハードルがあることも事実です。それは英語のパラグラフの書き方がどうしても日本人にはなじみがなく、抵抗感があるということです。日本人は結論を最後にもってくる文章を当たり前としてきました。英語のパラグラフ形式を読んでみて感じるのはしまりのなさです。最初に言いたいことを全部書いてしまうために、後の部分は付け足しにしか思われません。こういう文章を書いたら国語の先生から低い評価を受けてしまいます。これではパラグラフ形式が定着していくはずがありません。

 英語の文は動詞が先に来ます。それに対して日本語の文は動詞が後に来ます。英語圏の人は結論を先に言うが伝統的に当たり前で、日本人は結論を最後にもってくるのが当たり前という社会の中で生きてきたのです。これは無意識の領域にまで浸透したものであり、この発想を変えていくことは100年かかってもできるかどうかわかりません。英語のパラグラフを日本語にすぐに取り入れることは賛同を得られるとは思えません。

 だから、日本語の伝統的な作文形式を土台にして、英語のパラグラフの発想を取り入れた「日本型パラグラフ」を作り出していくことが必要になります。そういう「日本型パラグラフ」はどうあるべきかを考えていきたいと思います。

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日本語の「パラグラフ」その2 パラグラフって何?

2016-07-29 10:49:55 | パラグラフ
 パラグラフについてもう少し詳しく説明します。パラグラフは日本語で言えば「段落」ですが、意味合いはすこし異なるようです。明確なルールがあります。パラグラフの一番最初の文はトピックセンテンスといい、そのパラグラフで述べることを1文で示します。パラグラフのその後の文はそのトピックセンテンスの説明になります。だから1つのパラグラフは1つのテーマで書かれることになります。

 読者はトピックセンテンスを追っていけば大体の文章の内容がわかる仕組みになってます。わかりにくいところだけそのパラグラフをよく読むことになるわけです。

 ただし一番最初のパラグラフは少し違った役割があります。全体の要約なのです。ですから最初のパラグラフで大体の内容がわかりますし、それで十分だと思う人は後のパラグラフは読み飛ばすことになるわけです。

 とても効率的な情報伝達の方法です。ここでは言葉を情報伝達の手段と割り切った考え方を見ることができます。大学や企業の小論文やレポート、資料などではこのほうがいいと思われます。

 ただし、情緒的な文章を好んできた日本人にはすぐに受け入れることは困難だとも思われます。

 不定期に続きます。

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