とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

書評『教育の力』(苫野一徳著)

2019-01-02 10:43:15 | 書評
 若い「教育哲学者」による教育改革についてわかりやすく説明してくれる本である。
「教育改革」の掛け声は大きく、様々な「改革」は進みつつあるが、文科省は何も語らない。だからいつものように理念が浸透しないまま改革だけが進んでいるのが現状である。これでは「ゆとり教育」の二の舞である。

 典型的なのは大学入試改革である。英語の検定試験の導入や国語や数学の記述式の導入など、理念はいいのであるが、その理念はいつの間にか形骸化し、一部の民間企業の利益となっているだけなのだ。このような改革だったら、例えば英語はスピーキングテストを共通テストで行えばいいし、国語の記述式については昔のように個別試験で確実に導入してくれればいいだけだったのだ。このように日本の教育改革は理念が浸透しないまま進むために結局は失敗に終わってしまうということを繰り返してきたのである。

 それに対してこの本では具体的な方策もしめしてあり、教育にかかわる者はぜひ読むべき本である。

 ただし、筆者は教育の経験が乏しいように感じられる。現実的な問題が無視されていて、「机上の空論」のように感じられる記述が多いのだ。

 例えば教育の「個別化」と「協同化」についてこの本で述べられているが、昔のいわゆる進学校は予習中心で行われており、これまで得た知識をもとにそれぞれの生徒が個別的に学んでいた。そしてわからないところは友達同士で教えあい、自然と「個別化」と「協同化」を行っていたのである。ところがこのような予習中心の教育が否定され、一方では復習中心の勉強の方法論が確立しないから、「個別化」や「協同化」が働かなくなったと考えたほうが自然な考え方である。つまり古い教育を否定して新しい教育を始めればそれでいいというものではない。新しい理論が生まれたら、それに応じて実際に効果のある方法を生み出す努力をしないから今日の教育がおかしくなっているのである。

 例えばもうひとつ。筆者は従来のディベートを「超ディベート」へすることを提案しているが、それは簡単なことではないし、根本的な勘違いがあるのではないかとも考えられる。「ディベート」が教育にとって有効なのは論理的な思考力の形成のために行うべき思考訓練としての方法としてである。根拠をもった意見を構築するという意味において非常に有効な手段なのだ。それを新たなものにする場合、それはもはや「ディベート」ではなくなる。まったく別物なのである。筆者の言う「超ディベート」はホームルームで行っていた「討論」の進化系であり、その困難さは担任経験のあるものならば誰もが経験している。その困難の克服は多くの実践の積み重ねによってしか克服できない。とすれば、実践の積み重ねを多くの教員ならびに生徒が恩恵を受けるような方策を見つけることのほうが重要なのである。

 そして日本の教育改革の根本の問題は予算である。日本の教育予算の規模ではいくら理念を語ろうとその改革がうまくいかないのはあきらかなのだ。教師がもっと学ぶためには教師がもっと学ぶ時間と機会を得るしかない。そのためには、教師の数、もしくは教育事務員や部活動指導員の数を増やすしかない。

 思い付きで日頃のうっぷんまで書いてしまった。しかし繰り返すがこの本は教育関係者は読むべき本である。この本をヒントにして本当の教育改革が進むことを願う。
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劇評『贋作 桜の森の満開の下』(NODAMAP公演・東京芸術劇場11/3)

2018-11-11 17:09:05 | 書評
脚本・演出:野田秀樹 美術:堀尾幸男 照明:服部基 衣裳:ひびのこづえ 音楽・効果:原摩利彦 
出演:妻夫木聡、深津絵里、天海祐希、古田新太、秋山菜津子、大倉孝二、藤井隆、村岡希美、門脇麦、池田成志、銀粉蝶、野田秀樹 他

 『贋作 桜の森の満開の下』は夢の遊民社のころから何度も上演されている。私は野田秀樹さんの作品の中では今一つ入り込めない作品で、なぜこの作品がこれだけ再演されるのかがわからないでいた。

 ところが、歌舞伎でこの作品が上演されそれを見た時、初めてこの作品がすばらしい作品であることに気がついた。夜長姫の罪と苦悩、耳男の罪と苦悩が丁寧に描かれており、筋がはっきり見えたからである。

 今回期待して見にいったのであるが、残念ながらやはり早口の言葉遊びの中で筋が見えなくなり、いつの間にか舞台が遠くに行ってしまったような印象になってしまった。やはり入り込めなかったのである。

 おそらくもっと狭い劇場で人の息や汗が感じられる劇場であればそれでも作品が音楽のように入ってきたのであろう。また、歌舞伎版のように少しゆっくり目のセリフと台本を丁寧に描いている演出ならばよかったのだ。しかし東京芸術劇場のような広い劇場で、しかもうしろのほうの座席に座っていた私のような人間には無理だったのではないか。

 大きな紙をつかった演出や布の演出などごたえがあった。昔の遊民社のような音楽の使い方も感動的であった。大きな劇場に合わせた工夫はすごいと思った。役者もみなよかった。しかし私には壁を感じる作品であった。もっと前の席でみていたら感じ方はかわったのだろうか。

 客席をもっとランク分けして、前の席を高くして後ろのほうの席は安くするということをしたほうがいいのではないだろうか。
 
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書評『「働き方改革」の嘘 誰が得をして、誰が苦しむのか』(著者:久原穏) 

2018-10-08 11:06:24 | 書評
 「働き方改革」の真実を追求した本である。

 「働き方改革」というのは労働者のための改革のようなことを政府は言う。労働時間の短縮や自由裁量の拡大など、これまでの硬直した労働環境を改善するようなものとして説明されている。しかし、なぜこの人手不足の状況で声高に叫ばれているのか、不思議に思うことが多くあった。だから「働き方改革」という政策は、以前からうさん臭いものだと思っていた。

 この本を読むと「働き方改革」という政策は実際には財界の利益のためのものであり、労働者が楽になるものではないことがわかる。政府側の主張とは逆、労働者の賃金は減り、労働時間は増える結果になりかねないのである。少子高齢化が進む以上、労働者の賃金が減り、労働時間が増えるのが当然の帰結であり、それをごまかそうとするごまかし政策であるのはあきらかである。安倍政権は経済界のいいなりになって政策を推し進め、それをごまかしの理由付けをおこなっている。しかも数の力で強引に推し進める。国民はもっとよく見て考えなければいけないと思わされた。

 我々が一番知りたいのは、この改革がどのような「大きな絵」を描いたものかということである。政府にもそれが見えていないのか、それとも見えていながら隠しているのか。それが見える本を次に期待したい。
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書評『彼岸過迄』(夏目漱石)

2018-09-03 07:29:33 | 書評
 夏目漱石の『彼岸過迄』を読んだ。以前1度読んでいるはずであるが、読み返してみて全く覚えていなかった。適当に読んで読んだふりになっていただけだったのだ。ただし覚えられない理由もある。この小説大きな筋がはっきりとしないのである。作者自身が序文で次のように書いている。

「かれてから自分は個々の短編を重ねた末に、その個々の短編が相合して一長編を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持っていた。」

 そしてそれをこの『彼岸過迄』で実践するというのである。

 これが成功しているのかどうか。前半と後半の内容が分離しているという意味では失敗である。一般の新聞小説の読者にしてみれば、この小説はどういうストーリーだったのか把握できなく、面白みを感じにくいであろう。しかし、前半の実験的な方法が後半に引き継がれ、須永と千代子の関係の話に迫る方法はとても興味深いものである。

 わかりにくい説明になっているので、以下具体的に説明していきたい。

 『彼岸過迄』は前半と後半の主人公がいつの間にか変化をしている(ように見える)。前半の「主人公」は「田川敬太郎」である。しかし、敬太郎は主人公のふりをして登場するのであるが、実際には単なる狂言回しの役しか演じない。実際の主人公は「須永市蔵」という人物である。しかし須永は最初は登場しない。途中から敬太郎の友人として登場するのだ。読者は須永が脇役のひとりとして登場したように感じて読み進めながら、実際にはいつの間にか主人公になっているのだ。読者はこの展開に違和感を感じずにはいられない。

 この小説における敬太郎の役割は「意志ある観察者」である。

 以下続きます。
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書評『時間の言語学―メタファーから読みとく』(瀬戸賢一著)

2018-08-26 17:00:43 | 書評
 勉強になる本です。この本を読んでたくさんのことを考えさせられました。

 私は最近言語学の一つの分野である認知言語学を少し勉強しています。認知言語学というのはメタファー(隠喩)を主として研究します。従来メタファーは文章技巧とされてきたのですが、メタファーは単なる文彩ではなく、我々の基本的な認知能力のうちのひとつ(概念メタファー)である、と捉えなおされました。たとえば「時間」というのは本来存在しないものです。だから「時間は流れる」というイメージはメタファーです。しかしこのメタファーは科学を発展させました。多くの科学者も時間を「流れるもの」という感がを取り入れることによって科学を進歩させたと言ってもいいのではにかと思います。

 この本において筆者は丁寧に時間に関するメタファーを説明し、時間と言うものを明らかにしていこうという試みています。読者は難解な思考の入り口に誘われ、考えることの楽しさを知ることができます。を認知能力言語学入門として、そして哲学入門としての役割を果たしてくれる本です。人間とは何かを考える上でも重要な視点となると思います。
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