とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

似非「ナショナリズム」に胡坐をかいていた安倍晋三氏は国賊と言っていい

2020-11-29 13:18:15 | 政治
 「桜を見る会」での安倍晋三氏側の嘘は明白になった。しかし「桜を見る会」が問題になった時から安倍氏の説明は嘘だとしか見えなかった。だからみんな騒いだのであるが、それでも安倍氏は偉そうな顔をして「知らぬ存ぜぬ」で済ませてきた。森友問題、加計学園問題も同じだ。だれがどう見ても不正があったとしか思えない。しかしそれを隠し続けてきた。隠せば隠すほど面の皮が厚くなり、どんどん態度が偉くなる。こんな人間が総理大臣でいいのかと多くの人が思ったはずだ。

 少し前の日本だったら、こういう問題に対してもっと厳しい対応がなされてきた。支持率は大きく下がっただろうし、場合によっては首相が辞任することもあった。しかし安倍政権だけは違った。多少は支持率が下がるが、一定以上に下がることはなかった。なぜこんな政権をみんな支持してきたのだろう。

 前回のブログで、現在の「国粋主義」の原因はアジアの他国の経済力が強まってきたことにあると書いた。日本の経済力を守ろうと言う精神的な保護主義的が生まれてきたのである。安倍政権はその「国粋主義」によって守られていたのだ。経済界は「安倍政権」を支えてきた。安倍政権もそれにこたえて、「改革」を続けてきた。

 しかしこの「改革」は真の改革ではなかった。経済界のためだけの「改革」であり、経済界の既得権をどのようにして守るだけの「改革」だった。経済化の既得権を守るだけではない。経済界がやりやすい環境を作るための改革であった。

 その結果、経済以外のあらゆるものは攻撃の対象になった。例えば教育改革である。教育は「経済」のためだけのものに作り替えられようとしている。無理を承知で突き進み、今や「改革」の名のもとに分断が生まれている。教員の成り手もいなくなり、近い将来教育が崩壊することは目に見えている。

 医療もそうだ。医療従事者はどんどんブラックになり、一部の医者以外はなり手が減っている。その結果が新型コロナウイルスへの対応の遅れにつながっている。医療体制が切迫していることに政府も経済界も気が付いていない、いや気が付いていながら、知らんぷりをしているのだ。

 もはや日本はまともな国家ではなくなった。はやく立て直す必要がある。そのためにはもっと哲学を語り合う場が必要だ。
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謙虚さこそが「国民の誇り」

2020-11-27 19:42:10 | 社会
 先日『報道1930』を見ていたら、トランプ人気はオバマ政権の反動だったという内容の話が出ていた。黒人が大統領になったことで、白人が自分たちの地位が脅かされると思い、白人至上主義に陥ってしまったことによってトランプへの支持を広げたというものである。なるほどと思った。

 日本の状況を考えてみても似たようなことが言える。一昔前、日本はアジアの「盟主」だった。しかし韓国の経済力が高まり、そして中国が圧倒的な経済力を示し始めた。他のアジアの国も力を持ち始めている。日本はもはやアジアの王様ではなくなった。それを認めたくない人がいる。彼らは無意識に過去の栄光を求める。その結果他国を差別し、日本を一番だと思うような態度にでてしまうのだ。

 「国民の誇り」は大切である。しかし現実を見ようとしないで「国民の誇り」を唱えてはいけない。かつての太平洋戦争も同じような経緯をたどったのである。

 日本の良さは他国の良さを学ぶ謙虚さがあることだった。謙虚さこそが「国民の誇り」である。
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映画『おもかげ』を見ました。

2020-11-24 18:18:06 | 映画
 映画『おもかげ』を見ました。じんわりと迫ってくる心理ドラマです。

(あらすじ)
 幼い息子を失った女性の希望と再生の旅路を描いたミステリードラマ。エレナは元夫と旅行中の6歳の息子から「パパが戻ってこない」という電話を受ける。人気のないフランスの海辺から掛かってきたその電話が、息子の声を聞いた最後だった。10年後、エレナはその海辺のレストランで働いていた。ある日、彼女の前に息子の面影を持つ少年ジャンが現れる。エレナを慕うジャンは彼女のもとを頻繁に訪れるようになるが、2人の関係は周囲に混乱と戸惑いをもたらしていく。

監督 ロドリゴ・ソロゴイェン
キャスト マルタ・ニエト、ジュール・ポリエ、アレックス・ブレンデミュール、アンヌ・コンシニ

 過去の出来事が人間を苦しめます。幼い息子に何がおこったのか、そしてなぜパパは戻ってこなかったのか、息子からの電話に母親の心は乱れていきます。その電話も10分ほどで切れてしまいます。

 映画はその10年後に飛びます。10年前の出来事を整理しきれない母親は息子が消えた海岸で働きます。普通に生きているようでありながら、息子の死んだ場所で働くことは心がゆがんでいる証拠です。そしてその小さな歪みが小さな狂気を生みます。本人はそれと気が付かないまま回りの人からは変人とみなされていきます。正気と狂気は紙一重。地面がゆっくりと傾いて行くような感覚に襲われる作品です。息がつまります。

 いつかこの心の傷は癒されることがあるのでしょうか。時間が解決してくれるのでしょうか。自分のことのように苦しくなります。


 狂気は普通の真面目な人ほど陥る罠です。どれくらいの狂気がこの世の中にはあるのだろう。不安が押し寄せる映画でした。
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「経済VS. コロナ」の図式にする必要があるのか?

2020-11-23 07:33:18 | 社会
 新型コロナウイルスの感染が広がっている。政府は「GoToキャンペーン」をやっと見直しの方針を出したが、3連休がはじまってから表明したために3連休における効果はほとんどないようである。

 政府側の説明でよく出てくるのは「経済が破綻すればはるかに多くの死者が出る。」というものである。それはわかる。しかし医療関係者も「GoTo」反対派もそのことを理解していないわけではない。だから強引に中止することを求めているわけではない。中断し、医療崩壊の危険性を避けてほしいと言っているだけなのだ。それなのにそれさえも聞く耳をもたず、3連休に突入してしまったのである。

 「対応はした。しかし強制はできない。自己責任なのだ。経済を発展させるか、新型コロナに対応するかは自分で判断しなさい。」

 これが政府の態度なのだ。自民党が目指す新自由主義の考え方とはこういう「自己責任」なのである。

 しかも論理を無理矢理捻じ曲げて、「あなたは経済を選ぶのですか、経済が破綻しても感染しないことを選ぶのですか」という二者択一を迫っている。これは分断を生む。

 国民みんながそれほど大きな考え方の違いはない。それでいながらどちらかを無理矢理選ばせる。政府はその結果どうなろうと知ったこっちゃない。国民の判断なのだ。政府の対応には無理がある。
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アマゾンのパワポ禁止

2020-11-21 10:26:19 | 教育
 インターネットに次のような話題が出ていました。

 アマゾンの会議で箇条書き資料はNG

 よくある会議資料として見受けられるのが、「パワーポイント」に「箇条書き」で要点を書き込んだものです。それをプロジェクターで映しながら説明を加えるというプレゼンは、説明する側も資料作成が簡便で、聞く側もよく整理された内容を聞けるということで、非常に多くの企業や団体で行われていると思います。

 しかしアマゾンでは、「パワーポイント」や「箇条書き」の会議資料を見ることはほとんどありません。なぜならアマゾンでは、会議の資料は「文章(ナレーティブ)形式で書く」というルールがあるからです。通常「ワード」で作成されることが多く、印刷され会議時に配布されます。あの最先端デジタル企業で、文章形式の資料が多用されているというのは、少し意外な話かもしれません。

 なぜアマゾンでは箇条書きやパワーポイントが禁止されているのでしょうか。それは箇条書きだと、行間を読むことで、人によって解釈の違いが生じやすいからです。

 また発表者も行間に様々な思いや考察を埋め込んで説明することが多いので、後日それらを思い出そうとしても非常に難しいからです。皆さんも、先週行われた会議の内容を事細かに思い出すことはできないと思います。それが、箇条書きのパワーポイント資料だとより顕著に表れてしまうということです。

 この記事は9月に出版された佐藤将之氏の『amazonのすごい会議―ジェフ・ベゾスが生んだマネジメントの技法』(東洋経済新報社)からのものだそうです。

 とても考えさせられる記事です。

 私たちの思考は複雑です。とても箇条書きで説明できるものではありません。しかし現代は箇条書きで説明することが推奨されます。「わかりやすい」からです。しかし考えてみれば複雑なことを単純に説明するということは「わかりやすい」ように見えて、実はわかりなくいことであることなのです。印象だけが残って、その奥にある「意味」が本当はわからないのです。

 しかも箇条書きになれてしまうと、論理性を軽視してしまいます。どうつながっているのかを無視した「論理」がまかり通ってしまいます。

 論理のしっかりとした文章を書くことがやはり大切なのだと気付かされる記事です。
コメント (4)
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