5月29日(日)に、仙台市電力ホールで開催された『立川志の輔独演会』に行きました。演目は以下の通り。
二人癖 志の大
たけのこ 志の輔
犬の目 志のほん
異議なし! 志の輔
帯久 志の輔
「帯久」というのは有名な噺なのでしょうか、私は初めてでしたす。本来は上方の落語だったものを、舞台を江戸日本橋に移して江戸の落語にしています。
(あらすじ)
呉服屋の和泉屋は正直者で人情味が厚く、かつて商売は繁盛していた。しかし、家族を病気でなくし、それに加えて火事で店を失い、失意の中で生きていた。一方、呉服屋の帯屋の主人は、自分のことしか考えない強欲な人物で商売もうまくいかない。そんな帯屋だったが、和泉屋が繁盛していた時にから金を借りて、それを結果的にちょろまかしてしまった。和泉屋もそれに気が付いていたが、証拠もないし、自分の商売もうまくいっていたので、そのままにしておいた。帯屋はちょろまかしたお金をうまく使い、商売がうまくいくようになっていた。10年後、無一文になっていた和泉屋は店の番頭に、自分の店をもたせようと帯屋に借金を申し込むが、帯屋に冷たくあしらわれ茫然自失となる。帯屋の普請中の離れに、自分の吸っていたたばこの火が偶然燃え移り、火付けの罪に問われる。この事件を大岡越前が人情味のある名裁きをする。
和泉屋は人情味があり、しかもきちんとしていることはきちんとしている。帳面に借りた金額と、それを返した印をしっかりと何度も書いていくところを、志の輔師匠はきちんと省略せずに語ります。客もそれをしっかりと心にとどめます。これがしっかりととどめているからこそ、のちの展開が腑に落ちるのです。噺の肝が見えているからこそできる技です。
志の輔師匠の語りは、表現、間、テンポを自在に使い分け、くわしく描写すべきところは詳しく、省略してもいいところは思いっきり省略し、飽きさせない工夫をしています。客は自然に集中して噺に引き込まれていきます。
「自在」と書きましたが、これは練習しなければできやしません。繰り返し稽古してきたことが、自然に自分のものとなっているのです。どっかのお話を語っているのではないく、志の輔師匠自身の語りとして、客に直接とどくのです。お弟子さんたちと明らかに違うのはそこです。これが芸の魅力というものです。
いいものを聞かせてもらいました。