ある勉強会で主催者から次のような話題が出た。羽生結弦についての朝日新聞デジタルの「孤高の星」という記事から引用する。
まだ4回転サルコーを完全に自分のものにできていなかった2013年、羽生はコーチのオーサーを質問攻めにした。「助走のカーブは?」「跳び上がる方向は?」「氷についていない方の足の使い方は?」「腕をどう使うのか?」
受けた助言、自分のひらめきを言葉にしてノートに書き留め、試しては修正する。「最大公約数と言っているんですけど、絶対見つけなきゃいけないポイント」を確立していく。言葉を動きにし、動きを言葉にする。
試合で負けた後や失敗した後に多くを語るのも、自分の頭を整理し、記事やニュースとして記録してもらうためだ。ミスをしたあとに、下を向いて無言を貫き通すようなことはない。「メディアを戦略的に利用している」という。(後藤太輔 朝日新聞スポーツ部記者)
この記事をもとに「言語化」の重要性を再認識した。
そしてさらに別の方から小平奈緒についての日刊スポーツの記事が紹介された。それも引用する。
小平は、スケート技術を語りたがらない。銀を取った1000メートルの翌日の取材でもこんな場面があった。
記者 レース映像は見ましたか?
小平 見ました。やはり、いつもの滑りではなかったです。
記者 どのあたりが?
小平 言葉にするとそれに縛られてしまうので、それは…すみません。
こんなシーンを、今季何度も見てきた。話したくない理由は2つある。1つは、実際とは違うニュアンスで伝わった報道を、自分が見た時を想定してのこと。大切にしている滑りの感覚の中に、他人の「言葉」が残るのが嫌だという。
もう1つの理由は、幼い頃からスケート少女だった小平らしい。子供たちが、「小平の滑り」と誤解したまま練習に取り組んでしまうのが嫌なのだ。大学時代には教員免許も取得しており、将来的には指導者になるプランも持っている。「結果を出して、スケート人生を辞めたときに自分の言葉で伝えたい」。金メダリストの「言葉」が、また日本スケート界の歴史をつくっていく。(奥山将志)
この記事は一見すると小平は言語化を拒否しているようにも見える。しかしよく読めば自分の言葉を大切にしているということであることがわかる。
その証拠に次のような記事を見つけた。朝日新聞の記事から引用する。
小平が年に1度、そのスケーティング技術を語る日がある。「技術討論会」。
「怒った猫のような背中を意識し、肩を上げる」。「柔軟性や可動域を生かす」。昨年7月、信州大教育学部のキャンパスの一室で、同大スケート部の選手らを前に約1時間話した。
結城コーチが1999年の大学赴任後に始め、2年生以上の部員全員が先々シーズンと先シーズンの滑りを自己分析する。精神論ではなく言葉で技術を理解し、指導ができる人材を育成したいとの思いがある。
小平は大学2年の2006年から続け、これが12回目。滑走時の意識した点などを毎日メモに書き記した「技術カルテ」を参考に、A3用紙2枚の配布資料と映像で、チームメートに説明する。自分の頭の中を整理しながらスケート技術を言語化し、「氷と対話しながら技術的なものを積み上げてこられた」と話す。(榊原一生)
この記事を読むと、「獣のように」という表現をしたアナウンサーに対して違和感を抱いたのであろうというのは納得がいく。
一流のスポーツ選手は言葉にこだわる。自分の動きをしっかりと言葉にして、試行錯誤を繰り返しながらその言葉を修正し、理想の形をつくろうとする。一方では言語化によって心も整えていく。羽生はまわりの言葉を自分にプラスにしようとしているし、小平はまわりのことばを自分の言葉に影響をあたえないようにシャットアウトする。対応に違いがあるにしても、言葉が競技力と大きく結びついていることはあきらかだ。
まだ4回転サルコーを完全に自分のものにできていなかった2013年、羽生はコーチのオーサーを質問攻めにした。「助走のカーブは?」「跳び上がる方向は?」「氷についていない方の足の使い方は?」「腕をどう使うのか?」
受けた助言、自分のひらめきを言葉にしてノートに書き留め、試しては修正する。「最大公約数と言っているんですけど、絶対見つけなきゃいけないポイント」を確立していく。言葉を動きにし、動きを言葉にする。
試合で負けた後や失敗した後に多くを語るのも、自分の頭を整理し、記事やニュースとして記録してもらうためだ。ミスをしたあとに、下を向いて無言を貫き通すようなことはない。「メディアを戦略的に利用している」という。(後藤太輔 朝日新聞スポーツ部記者)
この記事をもとに「言語化」の重要性を再認識した。
そしてさらに別の方から小平奈緒についての日刊スポーツの記事が紹介された。それも引用する。
小平は、スケート技術を語りたがらない。銀を取った1000メートルの翌日の取材でもこんな場面があった。
記者 レース映像は見ましたか?
小平 見ました。やはり、いつもの滑りではなかったです。
記者 どのあたりが?
小平 言葉にするとそれに縛られてしまうので、それは…すみません。
こんなシーンを、今季何度も見てきた。話したくない理由は2つある。1つは、実際とは違うニュアンスで伝わった報道を、自分が見た時を想定してのこと。大切にしている滑りの感覚の中に、他人の「言葉」が残るのが嫌だという。
もう1つの理由は、幼い頃からスケート少女だった小平らしい。子供たちが、「小平の滑り」と誤解したまま練習に取り組んでしまうのが嫌なのだ。大学時代には教員免許も取得しており、将来的には指導者になるプランも持っている。「結果を出して、スケート人生を辞めたときに自分の言葉で伝えたい」。金メダリストの「言葉」が、また日本スケート界の歴史をつくっていく。(奥山将志)
この記事は一見すると小平は言語化を拒否しているようにも見える。しかしよく読めば自分の言葉を大切にしているということであることがわかる。
その証拠に次のような記事を見つけた。朝日新聞の記事から引用する。
小平が年に1度、そのスケーティング技術を語る日がある。「技術討論会」。
「怒った猫のような背中を意識し、肩を上げる」。「柔軟性や可動域を生かす」。昨年7月、信州大教育学部のキャンパスの一室で、同大スケート部の選手らを前に約1時間話した。
結城コーチが1999年の大学赴任後に始め、2年生以上の部員全員が先々シーズンと先シーズンの滑りを自己分析する。精神論ではなく言葉で技術を理解し、指導ができる人材を育成したいとの思いがある。
小平は大学2年の2006年から続け、これが12回目。滑走時の意識した点などを毎日メモに書き記した「技術カルテ」を参考に、A3用紙2枚の配布資料と映像で、チームメートに説明する。自分の頭の中を整理しながらスケート技術を言語化し、「氷と対話しながら技術的なものを積み上げてこられた」と話す。(榊原一生)
この記事を読むと、「獣のように」という表現をしたアナウンサーに対して違和感を抱いたのであろうというのは納得がいく。
一流のスポーツ選手は言葉にこだわる。自分の動きをしっかりと言葉にして、試行錯誤を繰り返しながらその言葉を修正し、理想の形をつくろうとする。一方では言語化によって心も整えていく。羽生はまわりの言葉を自分にプラスにしようとしているし、小平はまわりのことばを自分の言葉に影響をあたえないようにシャットアウトする。対応に違いがあるにしても、言葉が競技力と大きく結びついていることはあきらかだ。