とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『コーダ あいのうた』を見ました。

2022-01-30 06:06:55 | 映画
 聾唖者の両親と兄と、健常者の娘の家族を描く映画『コーダ あいのうた』を見ました。
家族愛の美しさを描いた感動的な映画でした。

あらすじ
 両親と兄が耳が聞こえない4人家族。その中で唯一耳が聞こえる高校生のルビーは、家族のために手話通訳となり、家業の漁業を手伝う日々を送っていた。ルビーはひょんなことから合唱クラブに所属することになり、顧問は彼女の歌の才能に気づく。顧問はバークレー音楽大学への受験を勧める。しかし家族はルビーの通訳がなければ家業の漁業に支障が生じるため反対する。夢と現実の中で苦しみながらも、ルビーは精一杯の努力を続けるがさまざまなトラブルが押し寄せる。

監督       シアン・ヘダー
出演  エミリア・ジョーンズ、 トロイ・コッツァー、ダニエル・デュラント、マーリー・マトリン、エウヘニオ・デルベス、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ

 耳が聞こえないというのはどういうことなのでしょう。手話や文字によってコミュニケーションは可能なのですが、現実の生活の中では困難なことも多いということがこの映画ではわかります。だからこそ家族のきずなは強くなります。そんな家族のすばらしさが見事に表現されています。家族は自分勝手なことをいつでも言える存在であり、だからぶつかり合うこともあるのですが、お互いを尊重し、助けてくれる存在です。家族という土台があるからこそ、自由に生きていけることがよくわかります。

 クラブの発表会で、父親の立場の演出になり、映画の音が消える場面が印象的です。父親は周りを見て、耳の聞こえる観客たちの表情やしぐさを見て、みんなが感動し喜んでいる姿を見ます。それによって自分の娘の歌の才能を認識することができます。直接娘の声を聴くことができないことの悲しさと、娘が評価されていることのうれしさ、歌う娘への愛おしさが見事に描かれます。

 両親と兄は実際の聾唖者が演じているそうです。だからこそのリアリティがあります。

 純粋な感動につつまれるすばらしい映画でした。
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原田ひ香作『三人屋』を読みました。

2022-01-29 08:42:00 | 読書
 原田ひ香さんの『三人屋』を読みました。原田さんの作品は『ランチ酒』シリーズ、『三千円の使い方』を読んでいます。どれもおもしろい作品です。この『三人屋』も不思議な魅力に満ちた作品でした。

 三姉妹が同じ店を朝、昼、夜と別の形態で飲食店として営業しています。朝は三女がパンとコーヒーの店、昼は次女がうどんの店、夜は長女がスナック、どれもそれなりのはやっています。最初はこの三姉妹の心温まる人情ストーリーなのかなと読み始めますが、まったく違うことに気がつきます。この三人、あまり仲が良くありません。長女と次女はほとんど口も利かないような状態です。三人にはそれぞれ影の部分があり、それが現在の三人の状況を作っています。三人の微妙な関係が、不思議なリアリティを生んでいます。

 最後のレコードのエピソードがとても面白い。亡くなった父親は小さなオーケストラでフルートを吹いていました。父親が演奏したオーケストラのレコードが発見されそのレコードを手に入れるために、長女は誰にも言わずに北海道に行きます。危険な思いをしながらそのレコードを手に入れます。長女はその演奏は父親の演奏だと確信します。しかし他の二人は本当に父親の演奏なのか疑問に思っています。この三人のずれが逆に三人をつなげる結果になります。この構造があまりに見事です。

 軽い感じの小説だと思って読むと、意外に重く、深い小説であることに気づきます。不思議な魅力のある小説です。
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古典の参考書第3回 「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に」3

2022-01-26 06:12:41 | 井上ひさし
【時めく】
 「時めく」は現代語訳を間違えやすい重要語です。現代語では「胸がどきどきする」という意味で使われるますが、古語ではこのような意味はありません。次のようになります。
 ①時代の流れに乗って栄える。
②寵愛を受ける、目をかけられる。
ここでは②の意味です。「寵愛する」のではなく帝の「寵愛を受ける」のです。帝の寵愛を受けることが「時代の流れに乗って栄える」わけです。

【源氏物語】
 『源氏物語』はどういう物語なのか、これは一般常識レベルなのですが、実は多くの高校生は知らないというのが現実です。平家と源氏の物語だと思っている高校生もいます。それはそれでしょうがない。いつの間にか理解するとは思いますが、きちんと教えるべきときに教えておくべきことです。
 『源氏物語』は世界文学の視点からも重要な作品です。は知っておくべき常識です。千年以上前に、「小説」と言ってもいいような文学作品があったのです。ヨーロッパ文学よりもはるかに昔に成立した文学遺産なのです。
その冒頭文がこの一文です。正妻のいない帝が、身分のそれほど高くない女性を愛したことが発端となり、物語が展開していきます。その設定が見事に一文で示されています。
 物語の発端として見事というしかありません。
 みなさんも『源氏物語』について少しでも理解してください。
 
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古典の参考書第3回 「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に」2

2022-01-23 06:14:58 | 国語
【「女御」と「更衣」】
 「女御」と「更衣」は天皇の妻です。
 天皇の妻で一番身分の高いのは「皇后」「中宮」です。「中宮」は「皇后」の住む場所であり、本来「皇后」=「中宮」でした。しかし天皇に同格の正妻を二人置く必要があったために、「皇后」と「中宮」を別の存在とするということをしてしましました。『枕草子』で有名な中宮定子と、藤原道長の娘である皇后彰子のことですね。一条天皇には中宮(皇后)定子という「正妻」格がいたのに、道長が無理矢理彰子を「正妻」格にするために「皇后」という身分を「中宮」とは別のものとして作り上げたのです。
 「女御」は「中宮」の次に身分の高い妻であり、「更衣」はそこまでは身分が高くはありません。身分とは言っても、自分の身分というよりも父親の身分に準じています。
 この後に出てくる「いとやむごとなき際にはあらぬ」女性が天皇に愛されるわけです。この設定が物語を作り上げます。
 身分違いの愛が源氏物語の大きな柱なのです。
 さらに、中宮が存在しなかったということも設定としては重要です。天皇の妻がさまざまな火種になることが予想されるのです。

【「いと」】
 「いと」は「とても、たいそう」という意味ですが、ここでは違う意味になります。「いとやんごとなき際にはあらぬ」の「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形です。「いと」が打消語を伴った場合、意味は「あまり」になります。
 だからここは「あまり高い身分ではない方」になります。

【同格の格助詞「が」】
 「いとやむごとなき際にはあらぬが」の「が」は格助詞です。おそらくみなさんは逆接の接続助詞だと思うでしょう。しかしここは接続助詞ではないのです。格助詞です。なぜこの「が」が接続助詞ではないのでしょう。それは接続助詞の「が」は平安時代の後期に成立したからです。源氏物語が書かれた時代にはまだ接続助詞の「が」は存在しませんでした。だから格助詞と考えるしかありません。
 格助詞の「が」と「の」の用法は、
①主格(~ガ)
②連体修飾格(~ノ)
③同格
です。
 現代語では「が」は主格、「の」は連体修飾格です。しかし平安時代はその使い分けはなく、「が」も「の」も主格でも連体修飾格でも使われました。
 「が」「の」の用法で、現代語ではなくなってしまった用法が「同格」です。「が」と「の」の前と後ろが同じものの性格が記されています。
 ここでは「いとやむごとなき際にはあらぬ」と「すぐれて時めきたまふ」が同じ人を指していることになります。

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古典の参考書第3回 「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に」1

2022-01-22 16:11:34 | 国語
 いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。

【源氏物語】
 説明するまでもないでしょう。源氏物語の冒頭の一文である。

【品詞分解】
いづれ   代名詞
の          格助詞
御時       名詞
に          断定の助動詞・連用形
か、       係助詞
女御、   名詞
更衣       名詞
あまた   副詞
候ひ       ハ行四段活用・連用形
給ひ       尊敬の補助動詞・ハ行四段活用・連用形
ける       過去の助動詞・連体形
中          名詞
に、       格助詞
いと       副詞
やむごとなき      形容詞・ク活用・連体形
際          名詞
に          断定の助動詞・連用形
は          係助詞
あら       補助動詞・ラ行変格活用・未然形
ぬ          打消の助動詞・連体形
が、       格助詞
すぐれ   ラ行下二段活用・連用形
て          接続助詞(または「すぐれて」で接続助詞)
時めき   カ行四段活用・連用形
給ふ       尊敬の補助動詞・ハ行四段活用・連体形
あり       ラ行変格活用・連用形
けり。   過去の助動詞・終止形

【現代語訳】
 いつの帝の御時代であったでしょうか、女御や更衣がたくさんお仕えなさっていた中に、とても高貴な身分ではない方で、(桐壺帝により)格別に寵愛されなさった方(=桐壺の更衣)がいた。

【断定の助動詞「なり」の連用形「に」について】
「にか」「やむごとなき際にはあらぬが」の「に」は断定の助動詞「なり」の連用形です。
断定の助動詞「なり」は「り」で終わる助動詞だから、推測できると思いますがラ行変格活用型の活用をします。「なら、なり、なり、なる、なれ、なれ」です。ただし、連用形に「に」が加わります。ナリ活用の形容動詞と同じ活用になります。
さて、この連用形の「に」はどういうときに使われるのでしょうか。
もともと断定の意味は「に」にありました。現代語における「だ(で)」と同じです。そこに「ある」が加わり、「である」という言葉が生まれたのです。古代語でも「に」に「あり」が付き、「にあり」から「なり」が生まれたのです。ということは多くの場合、「に」のあとに「あり」がある場合は、その「に」は断定の助動詞「なり」の連用形だと判断してよいのです。
にはあらぬ。
にしもあり。
にこそあれ。
にやあらん。
にかあらん。
などの例の「に」は、ほとんどの場合「断定」の助動詞「なり」の連用形です。(場所を示す格助詞の「に」の可能性もあります。)
 この中の「にこそあれ。」は「にやあらん。」「にかあらん。」は頻繁に使われるために、「にこそ」「にや」「にか」と省略されることがよくあります。ですから。
 にこそ。
 にや。
 にか。
の「に」も断定の助動詞「なり」の連用形と考えます。これを「結びの省略」といいます。

(つづく)
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