とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

なぜ「先生」はKの遺書を「わざとそれを皆みんなの眼に着くように、元の通り机の上に置」いたのか(『こころ』シリーズ⑬)

2018-12-05 15:49:16 | 『こころ』
 夏目漱石の『こころ』の授業をしながら気が付いたことを書き残しておくシリーズ。今回は下の四十八章、『ころろ』の中でも一番有名なKの自殺に気が付く場面です。

 Kは「奥さん」から「先生」と「お嬢さん」の縁談を聞きます。それに対してKは一見落ち着いて対応します。その話を「奥さん」に聞いた「先生」は動揺します。そして「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」と感じます。なんとかしなければと思うのですが、「先生」は動くことができません。そうしているうちにKは自殺してしまします。

 その時に襖がなぜ開いていたのかというのは常に問題になることです。これは想像力を掻き立てる問題です。

 今年の授業では生徒はそこを問題にはしてくれませんでした。しかし別なところでおもしろい指摘をしてくれました。それが表題にした

なぜ「先生」はKの遺書を「わざとそれを皆みんなの眼に着くように、元の通り机の上に置」いたのか。

です。

 「先生」は自分に対する恨みでも書かれていたら大変だと思ったので、遺書をすぐに見る必要がありました。「先生」にとって幸いなことに遺書には自分が悪人になるようなことは書かれていません。「助かった」と思った「先生」は、自分が第一発見者となることを回避しようとしたのでしょうか。それは変です。「先生」はすでに封を切っているから、「先生」が遺書を見ているというのは誰もが気づきます。だとしたらなぜKの遺書を「わざとそれを皆みんなの眼に着くように、元の通り机の上に置」いたのでしょうか。

 Kの自殺の理由がK自身の中にあり誰のせいでもないということをみんなに知らしめたかったのだと考えるのが一番自然な解釈です。Kの遺書を「先生」が見るのは自然なことです。しかし哲学者然としたKの自殺の理由としてはとりたてて違和感のない理由を遺書の中に書いてあったので、隠す必要も、とりたてて誰かにこの遺書を知らせる必要もなかったのです。

 死んだ人に対しても自分の損得で行動してしまう「先生」はこの後、この行動に罪悪感を抱かざるを得なくなります。

 Kはどうでしょう。Kは自分の自殺の理由を明確に書いていません。すくなくとも他人のせいにはしていません。「先生」はここに大きな落差を感じることになります。そして時間がたつにつれ、その落差が「先生」を苦しめることになるのです。

 この章ではもうひとつ疑問に感じることがあります。なぜKは遺書に「お嬢さん」のことを書いていなかったのでしょう。これもまた不自然です。「お嬢さん」が逆に意識の対象であったことが推測されます。この正解はわかるものではありません。しかし、このことも「先生」の混乱に輪をかける結果となってしまいます。疑心暗鬼というものはそういうものです。

 疑心暗鬼に陥った人間の心の弱さがうまく描かれている場面です。
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「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」(『こころ』シリーズ⑫)

2018-12-02 10:04:53 | 『こころ』
 授業で夏目漱石の『こころ』をやっている。その中で気が付いたことを書き残しています。

 下の四十七章で「奥さん」がKに「先生」が「お嬢さん」の結婚を申し込んだことを伝えます。それに対してKは「おめでとうございます」といったまま席を立ちます。そして障子を開ける前に、「奥さん」を振り返って、「結婚はいつですか」と聞き、それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」と言います。このKのセリフがひっかかります。Kはどういうつもりでこう言ったのでしょうか。

 いくつかの解答が予想されます。まずは、特に何の意図もなく事実として言ったと考えることもできます。次に、ショックのためにお祝いを上げるべきだが上げる気はないと言わなくともいいことを言ってしまったとも考えられます。また、この結婚を祝福するつもりはないということをほのめかしているともとれます。さらには金を持っている「先生」に対する皮肉ともとれます。この考え方は「奥さん」に対しての皮肉とも取れます。以上のようにさまざまな考え方ができるはずです。

 「先生」は事実を伝えるだけにとどめて、Kの気持ちを想像して記述しようとしていません。この時読者は混乱します。Kの言葉にひっかかり、その意味をいろいろ考え始めるはずです。これは「先生」も同じだったはずです。もしかしたら大した深い意味がないのかもしれません。しかし、「先生」は疑心暗鬼に陥るしかなかったのです。「先生」の独り相撲が始まります。これこそが人間の「こころ」です

 小さいことですが、夏目漱石の仕掛けのように感じられるセリフです。

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一人称小説としての『こころ』(『こころ』シリーズ⑪)

2018-11-28 14:17:31 | 『こころ』
 夏目漱石の『こころ』を授業で扱いながら考えていることを書き続けているシリーズである。最近、一番考えるのはこの小説が一人称小説であることである。登場人物のひとりの視点による小説となっている。ただし、この小説は語り手が途中で交代している。「上」と「中」は東京帝大を卒業したばかりに青年であり、「下」は「上」と「中」においては「先生」と呼ばれていた男である。しかも「下」はその「先生」の遺書であり、「語り」というより文章である。書かれている内容は、時間的には「上」や「中」よりも昔である。一筋縄ではいかない小説である。

 さて、直感的に感じているのは「一人称小説」であることが、この小説においては重要であったのではないかということである。一人称小説では語り手の心理は描くことはできる。しかし、それ以外の人物の心理は推測するしかない。推測というよりも勝手な妄想に陥ってしまうことのほうが多い。しかも、次第に語り手の心理でさえ本当にそれが真実なのかがわからなくなってくる。

 心理描写というのは、後から考えたつじつま合わせにしかすぎない。この小説でも本当に「私」がそう考えていたのか、後から自分と折り合いをつけるためにつじつま合わせを心理たのかがわからないことが多い。つまり「こころ」はどんどん迷宮に陥るのである。

 なぜこの小説のタイトルが『こころ』なのか。その仕掛けが「一人称小説」だったのではないかと考えている。
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『こころ』は同性愛の小説なのか(『こころ』シリーズ⑩)

2018-10-12 15:14:44 | 『こころ』
 夏目漱石の『こころ』は同性愛を題材にした小説だという説がある。これはかなり説得力がある。

 そもそも「私」が「先生」と出合ったのは海水浴場であった。肉体を見せる場所である。「私」と「先生」の出会いに同性愛的な気持ちがあったのではないかと感じられてもしょうがない。しかも不思議なことに「先生」は西洋人の男と一緒にいた。他の日本人はできるだけ肉体を隠す姿だったのに対して西洋人の男は「猿股」だけを身につけ海水浴をしていた。「先生」とその西洋人も同性愛的な関係だったのではないかと疑わせる。もしそうでなければ、どうして海水浴のシーンを最初に出す必要があったのだろうか。それだけ読者にインパクトを与える場面である。

 「先生」とKの関係はさらにあやしい。Kと「先生」は愛し合っていたのではないか。もちろん潜在的な愛という可能性もあるし、あるいは「先生」の遺書は二人の愛を隠そうとする「先生」の嘘であったとも読み取ることができる。

 「先生」はKを愛していた、しかし、Kは静を好きになってしまった。嫉妬に狂った先生はKの裏切りに怒り、Kから静を奪い取った。Kは自殺をして「先生」は愛のない結婚を送ることになった。これはこれでつじつまが合うような気がする。

 我々の世代は同性愛に対するタブー感が強いのだが、これは儒教的な教えが強い太平洋戦争前後の世代だけのもののような気もする。江戸時代も明治もわりと同性愛に関してはタブー視されていない。最近はLBGTとして積極的に認めようという風潮も生まれている。『こころ』の同性愛についてはもっと真剣に検討してみてもいいテーマなのかもしれない
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夏目漱石『こころ』の授業(『こころ』シリーズ⑨)

2018-01-06 17:33:55 | 『こころ』
 高校の現代文の授業の定番『こころ』の授業実践のレポートです。

 『こころ』はどうやってもわりとうまくいく教材ですが、私はただ普通に授業をするよりも、より自主的に読むためにはどうすればいいかを考え、グループ発表型の授業にしています。ひとつのグループがひとつの章を受け持ち、教師の代わりに授業をするというものです。これは伝統的に行われている手法なので、実践している方も多いのではないかと思いますが、私なりにアレンジして実践しています。新学習指導要領の提唱する「主体的、対話的な深い学び」のためには、いい実践ではないかと考えています。

【授業の方法】
 生徒が教師となって授業をする。

 ・4人1組の班をつくり、班に1章ずつ割り振り、授業をしてもらう。

 ・班に割り振られるのは、現代文の教科書に載っている下の40章から48章まで。授業の前までに計画的に読書させ、一度通読させている。(本校の生徒の場合、これがけっこう苦労する。宿題に出し、要約させたり、内容にかかわるクイズを出したり、読ませる工夫をいろいろしている。)

 ・授業の内容は、与えられた章から問題を2つ出し、それについて班で意見を出してもらい、最終的に解答を導き出す。

 ・授業をする班は、文章をよく読み、問題となるところを見つけて、それに対する予想されるいくつかの答えと正解を準備しておく。

 ・問題を作るときのポイント
  ○すぐに答えのでるような問題ではなく、簡単には答えのでないような問題を考える。
  ○しかし、根拠を持った解答を用意できるようなものを作る。
  ○解答例を作るときは必ず根拠を明確にすること。
  ○予想される他の答えを二つは用意しておくこと。
  ○根拠のある新解釈を評価したい。

 ・授業が始まったら、班のメンバーが全員黒板の前に立ち、授業を進行する。
  ①章の朗読
  ②問題の提示
  ③各自で考える時間3分
  ④班で考える時間3分
  ⑤各班から答えを募る。討議
  ⑥教師役の班が最終的な正解を板書し、質問を受け付ける。
  ⑦振り返りをして終了。

【留意点】
 この授業をする以前から、グループ学習は頻繁に行い、グループで協力することに慣れさせておきました。もちろん小学校、中学校でもグループ学習には慣れていると思われます。以前よりもグループでの活動には抵抗がないように思われます。

 また、人前で話すことも計画的に行ってきました。人前で話すことは苦手な生徒もいると思いますが、最近の生徒はあまり物おじしませんし、露骨にいやがる態度にはなる生徒はいません。生徒なりに活動できるようです。

 まったく意見がでないことがあることを危惧し、授業全体を通して1人1回の発言を義務付けました。しかし、結局発言しなかった生徒もいました。生徒の自主性を待つべきだったのかもしれませんし、このあたりはどうしたらいいのかまだわかりません。
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