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とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

登場人物の心理描写

2025-08-15 18:13:19 | 読書
 『失われた時を求めて』について考えていたら、昔から気になっていたことが再度気になり始めた。登場人物の心理描写は可能なのかということである。

 ここで言う登場人物の心理描写とは、

 「花子はその時、~と思った。」

というようなものである。これが本当にあるのだろうか。

 心の中で何かを考えるということはある。しかしその時、理路整然と小説の心理描写のように考えるケースってあるんだろうか。これははっきりしない。あると言えばあるだろうし、それがどうも疑わしい時も多くある。

 例えば今この文章を書いている時は、あきらかにこの文章のことばとほとんど同じ文句を一度頭の中で作り上げて、それをパソコンに打ち込んでいる。だからこういうケースの場合は登場人物の心理描写と同じようになる。

 しかし、実際にこういう風に明確な文章になるようなことを頭の中で考えていることなんてそうそうあるものではないのではないか。漠然と考えているだけのことが多く、それもいろいろなものをごちゃまぜにしながら考えているのではなかろうか。それは、我々が普通使っている「考える」という言葉とも違うような気もする。

 もちろん深層心理の影響もあり、それが表層の心理にどういう影響を与えているのかという心理学的な要素もあるために、「考える」という言葉をそう簡単に使っていいのだろうかと考えてしまうのだ。

 『失われた時を求めて』の登場人物の思考も、単純に読んだ通りに解釈してはいけない。その時その時の単なる思い込みであり、そう思おうとしていることがそこに描かれているので、決してその心理を信じてはいけないのである。

 強敵だ。
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記憶

2025-08-14 18:01:57 | 読書
 前回『失われた時を求めて』を読んでいることを書いた。よくわからないながらも、おもしろい発見もある。その中から書いていきたい。

 『失われた時を求めて』という小説は、語り手が自分の子どもの時から、老年にいたる「いま」にいたるまでの回想録という形態の小説である。記憶は存在しており、回想することはたやすいように感じるかもしれない。しかし私たち人間は忘れるのである。その忘れた記憶が突然よみがえる瞬間がある。その瞬間をプルーストは感動的に物語る。

 内容については、これ以上深入りをするとボロがでるので、やめておくとして、私も最近、忘れていたものを突然思い出す機会が多い。なんでこんなことを思い出すんだろうということが突然思い出される。そしてそれはいつも悪い思い出である。あの時は気付いていなかったけれども、実は私は大変な過ちを犯していたのではないかと気づいてしまうような思い出なのだ。これはつらい。過ぎ去ったことは忘れてしまうしかないのだが、そんなに簡単にいくわけにはいかない。

 同じように、突然昔見た夢を思い出すことがある。とは言え、実はこの夢は今日見た夢なのではないかと疑いたくなる時も多い。今日見た夢を昔見た夢として思い出しているだけなのではないかとも思えてしまうのである。

 忘れ去られた記憶が頭のどこかに静かに待っている。それを開けてしまった瞬間に、何かが起こるような気がして、怖くなってくる。
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『失われた時を求めて』

2025-08-13 16:41:43 | 読書
 「語り」を学ぶためにジェラール・ジュネットの『物語のディスクール』を読んだ。この本は「語り」の入門書的な本であるのだが、プルーストの『失われた時を求めて』の研究書でもある。だから『失われた時を求めて』をちゃんと読んでいない人にはほとんどわからない内容なのであった。とりあえずあらすじだけでも勉強して、なんとか読み切ったのだが、やはりちゃんと読み返したい。だから『失われた時を求めて』を読んでみようと思った.

 しかしそれは大変なことだと気が付いた。実は『失われた時を求めて』は世界で一番長い小説なのである。岩波文庫で全14冊。しかも一冊一冊がかなり分厚い。段落分けもあまりなく、文字の塊があるだけなのだ。そして内容も心の複雑な様相を描いているので、何がなんだからつかめなくなることがある。とりあえず一冊読んでみたのだが、これが大変。一日1時間ずつ読んでいき、一冊読み切るのに2週間はかかる。こんな調子で全巻読み切れるだろうかと、不安になると同時に後悔し始めている。

 今、やっと3冊目を読み終え、このタイミングで吉川一義氏の『「失われた時を求めて」への招待』を読んでいる。

 とりあえずもう少し付き合ってみよう。そしてできれば読破してみたい。
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Xへの投稿がひどすぎる

2025-08-08 18:04:48 | 社会
甲子園に出ている広島県の広陵高校で、いじめ、あるいは暴力事件があり、それがひどすぎるということで、その加害者と考えられる生徒の名前と写真がXにポストされていた。これはひどすぎる。

そのいじめが自体は学校が高野連に報告し、事実であるらしい。しかしいじめの内容や学校側の指導に関しては被害者側の訴えをもとにしているので、事実はどうなのかがまだはっきりしない。この段階で高校生をさらしものにするというのは、あってはならないものであろう。

もし、そのいじめがひどいものであり、それを隠蔽したとすれば学校側の責任であり、せめられるべきは学校である。そしてその対応に間違いがあったとすれば、高野連の責任である。やはり、今の段階で高校生をされしものにしていいはずがない。あきらかに名誉棄損であり、投稿者ならびにXは責任を負う必要がある。

事実の確認が優先事項であり、それを追及するのならばまだわかるが、今回の事は度が過ぎる。

SNSは人間を壊していくだけのようだ。さすがにいやになってきた。
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DH制

2025-08-07 19:42:28 | 高校国語改革
日本のプロ野球のセリーグがやっとDH制を採用する。遅すぎである。世界中の野球のルールが変わっていくのに、昔ながらのルールにしがみついていた現状がおかしいのである

。そもそも日本の野球人気が落ちた理由のひとつは、この旧態依然としてあった「野球ファースト」の精神であり、それは古い「野球神話」を崇拝することでもあった。時代の変化についていけなく、かつての実力者が自分の権威にものを言わせ、古いものを若い人に押し付けていたのである。

アメリカはそれに気づき、野球を改革しようとしている。DH制の導入も早かったし、ビデオ判定、最近のピッチクロック、牽制球の制限など大きく改革をすすめている。ストライク・ボールの判定も機械にまかせることになりそうである。すくなくとも若い人たちにそれを反対するものはほぼいないだろう。

しかし日本はそういう改革が遅々として進まない。大谷おかげで、野球人気も持ち直しつつある。しかし大谷がやっているのは、「ひとり野球改革」である。かれがDH制を使いながら、「二刀流」という新たな起用法を生み出していったのだ。日本にいたら、彼は思う様に野球ができなかったに違いない。

もっと改革を早急に進めるべきである。そういう姿を見せてくれれば、日本は大きく変わるような気もする。
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