『失われた時を求めて』について考えていたら、昔から気になっていたことが再度気になり始めた。登場人物の心理描写は可能なのかということである。
ここで言う登場人物の心理描写とは、
「花子はその時、~と思った。」
というようなものである。これが本当にあるのだろうか。
心の中で何かを考えるということはある。しかしその時、理路整然と小説の心理描写のように考えるケースってあるんだろうか。これははっきりしない。あると言えばあるだろうし、それがどうも疑わしい時も多くある。
例えば今この文章を書いている時は、あきらかにこの文章のことばとほとんど同じ文句を一度頭の中で作り上げて、それをパソコンに打ち込んでいる。だからこういうケースの場合は登場人物の心理描写と同じようになる。
しかし、実際にこういう風に明確な文章になるようなことを頭の中で考えていることなんてそうそうあるものではないのではないか。漠然と考えているだけのことが多く、それもいろいろなものをごちゃまぜにしながら考えているのではなかろうか。それは、我々が普通使っている「考える」という言葉とも違うような気もする。
もちろん深層心理の影響もあり、それが表層の心理にどういう影響を与えているのかという心理学的な要素もあるために、「考える」という言葉をそう簡単に使っていいのだろうかと考えてしまうのだ。
『失われた時を求めて』の登場人物の思考も、単純に読んだ通りに解釈してはいけない。その時その時の単なる思い込みであり、そう思おうとしていることがそこに描かれているので、決してその心理を信じてはいけないのである。
強敵だ。