ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

和光市の理化学研究所に行ってきました

2010年09月10日 | イノベーション
 9月7日に埼玉県和光市の理化学研究所にお伺いしました。
 日本を代表する公的研究機関の一つである理化学研究所にお伺いするのはたぶん2年ぶりです。理化学研究所には、知的財産戦略センターという、大学ならば知的財産本部、研究協力課、TLO(技術移転機関)などの機能を併せ持つ組織があります。その知的財産戦略センターは、埼玉県和光市の“本部”内にあります。今回、お訪ねした知的財産戦略センターは、組織名が「イノベーション推進センター」に変わっていました。少し驚きました。社会知創成事業の中の一部門と位置づけられていました。

 今回、和光研究所をお訪ねした理由は、単行本「産学技術移転の新モデル バトンゾーン」(発行元は日刊工業新聞社)の監修・編者を務められた丸山瑛一さんと著者である斉藤茂和さんのお二人にお話を伺うためでした。現在は丸山さんは特別顧問(前センター長)、斉藤さんはセンター長をお務めになっています。


 この単行本は2009年2月に発行されました。単行本のタイトルになっている「バトンゾーン」のことをお伺いするために、本当は発行直後にお目にかかるつもりでした。ところが、いろいろな理由で大幅に遅れてしまいました。電話などで「近々、参ります」と“蕎麦屋の出前”のような言い訳を続けていました。この間に、組織変更などがあり、組織名称が変わってしまいました。和光の理化学研究所を囲む桜の木などの豊かな森は同じでしたが、体制・組織は時代の流れに従って変わっていました。

 「バトンゾーン」とは、理化学研究所の研究成果を企業に技術移転し事業化してもらうために、理化学研究所の研究員と企業の開発者が一定期間、理化学研究所内で連携研究チームを組み、研究成果を企業にバトンタッチする仕組みのことです。産学連携を有効に行うために、理化学研究所内にバトンタッチする場として互いに併走する区間を設けた訳です。

 バトンゾーンを実施する具体的な仕組みの名前は「融合的連携研究プログラム」と名付けられ、2004年度から始まりました。2004年度は東京応化工業と「次世代ナノパターンニング研究チーム」をはじめとする理化学研究所の研究員と企業の開発者が産学連携チームを組みました。2004年度に5チーム、2005年度に3チーム、2008年度に2チーム、2009年度に3チーム、2010年度に3チームが組織され、運営されました。「企業からのチームを組む希望が絶えていないことが、この産学連携制度の有効性を物語っている」と、丸山さんは説明されます。キヤノンは合計3回もチームを組んでいます。

 2002年当時、フロンテア研究システム長を務めていた丸山さんは、理化学研究所の今後の使命を考えるために戦略検討委員会を設け、理化学研究所のこれからの在り方を考え始めました。


 同委員会には大手企業の研究開発責任者や大学教員、理化学研究所の研究員などの識者の方々に参加してもらい約1年間、議論を重ねたそうです。基礎研究の科学技術と産業化・社会貢献などの関係を議論した。この中から、理化学研究所の研究成果を企業に実用化してもらう産学連携が社会的貢献として重要との構想が固まり、融合連携研究プログラムの誕生につながったのです。斉藤さんは「融合連携研究プログラムに参加する理化学研究所の研究員が本当に現れるか当初は心配した」といいます。


 この心配は幸いなことに、企業の技術者と連携研究をする研究者が現れ、杞憂に終わったそうです。基盤研究と同様に、産業化につながる応用研究も重要なことを理化学研究所の研究者に提示でき、これに賛同する研究者が現れたのが意識改革になったとのことです。驚いたことに、連携チームを組んだ理化学研究所の研究員の中から、その研究成果を事業化するために、相手の企業に移籍する者まで現れました。この移籍された方は、応用研究を極めるには、自分の手で事業化したいと考えたのだろうと推測されています。でも、こうした具体的な成果が出るまでは、丸山さんと斉藤さんの二人など関係者は縁の下の力持ちとして、かなり苦心されているご様子です。

 理化学研究所が「産業界との融合的連携研究プログラム」を始めた2004年度(平成16年度)は国立大学が国立大学法人に移行した年です。大学が産学連携を社会貢献の一つとらえ、積極的に進める態勢を固め始めた年です。この点で、理化学研究所は早い時期から産学連携を推進することを考えていたことになります。

 1900年前後の財団法人・株式会社時代だった理化学研究所は、現在でも存在する企業の前身企業を多数産み出した歴史を持っています。理研発ベンチャー企業が多数つくられ、事業化に成功しているのです。三共、協和発酵工業(現 協和発酵キリン)、リケン、理研ビタミンなど60数社の企業が誕生しています。現在は、ほとんどの企業が企業名を変更しています。日本では大学発ベンチャー企業がなかなか成長できない現在、過去にはベンチャー企業の成功が相次いだ時代があったことを知ることから何か手がかりがつかめればいいと考えています。