長野県南西部の最南端に位置する下伊那郡根羽村(ねばむら)にある小戸名渓谷(おどなけいこく)は紅葉の名所です。深山にある深い谷の斜面が鮮やかに紅葉します。
根羽村の南東には茶臼山(標高1415メートル)がそびえています。この茶臼山は、根羽村と愛知県北設楽郡豊根村の県境にまたがっています。
茶臼山の山頂付近から南にある愛知県側を見た景色です。2014年11月10日は朝から晴れましたが、昨日の雨の影響でまだ、近くの低山の山々は霧に覆われています。

茶臼山の山頂付近から東側に見える南アルプスの山々です。やはり、近くの低山の山々は霧に覆われています。

茶臼山の山麓から根羽村側の北西へ向かうと、売木峠(うりぎとうげ)に出て、ここから県道で北西に向かってトンネルを抜けると、谷が深い小戸名渓谷に出ます。
小戸名渓谷は山里の根羽村の中でも有名な紅葉の名所だそうです。簡単には行けない深山の渓谷です。渓谷の上にかかる橋の上から紅葉を観賞しました。


深い渓谷の両側の山麓に生えている広葉樹は紅葉の真っ盛りです。

小戸名渓谷の紅葉を観賞している最中には、地元の方の車が数台通っただけです。車がほとんど通らない静かな地域です。
この小戸名渓谷を流れている清流は、愛知県の豊田市や岡崎市などの大地を潤している矢作川(やはぎがわ)の源流です。根羽村全域がすべては矢作川の源流になる流域だそうです。矢作川を流れる水は、“近代農業用水”として開拓された明治用水の水源になっています(矢作川は豊田市や岡崎市などの市内を流れ、愛知県碧南市と西尾市との境で三河湾に注いでいます)。
実は、現在は長野県に属している根羽村は、歴史的には現在、愛知県豊田市に合併された足助村(あすけむら、明治時代に足助町に)と関係が深いそうです。鎌倉時代には、鎌倉御家人の荘官足助氏の支配下に入ったことから、足助を治める者に支配された地域です。
このため、長野県に属しながら愛知県豊田市足助町や岐阜県恵那市などとの交流が現在でも多いようです(交通の便もいいようです)。
根羽村の南東には茶臼山(標高1415メートル)がそびえています。この茶臼山は、根羽村と愛知県北設楽郡豊根村の県境にまたがっています。
茶臼山の山頂付近から南にある愛知県側を見た景色です。2014年11月10日は朝から晴れましたが、昨日の雨の影響でまだ、近くの低山の山々は霧に覆われています。

茶臼山の山頂付近から東側に見える南アルプスの山々です。やはり、近くの低山の山々は霧に覆われています。

茶臼山の山麓から根羽村側の北西へ向かうと、売木峠(うりぎとうげ)に出て、ここから県道で北西に向かってトンネルを抜けると、谷が深い小戸名渓谷に出ます。
小戸名渓谷は山里の根羽村の中でも有名な紅葉の名所だそうです。簡単には行けない深山の渓谷です。渓谷の上にかかる橋の上から紅葉を観賞しました。


深い渓谷の両側の山麓に生えている広葉樹は紅葉の真っ盛りです。

小戸名渓谷の紅葉を観賞している最中には、地元の方の車が数台通っただけです。車がほとんど通らない静かな地域です。
この小戸名渓谷を流れている清流は、愛知県の豊田市や岡崎市などの大地を潤している矢作川(やはぎがわ)の源流です。根羽村全域がすべては矢作川の源流になる流域だそうです。矢作川を流れる水は、“近代農業用水”として開拓された明治用水の水源になっています(矢作川は豊田市や岡崎市などの市内を流れ、愛知県碧南市と西尾市との境で三河湾に注いでいます)。
実は、現在は長野県に属している根羽村は、歴史的には現在、愛知県豊田市に合併された足助村(あすけむら、明治時代に足助町に)と関係が深いそうです。鎌倉時代には、鎌倉御家人の荘官足助氏の支配下に入ったことから、足助を治める者に支配された地域です。
このため、長野県に属しながら愛知県豊田市足助町や岐阜県恵那市などとの交流が現在でも多いようです(交通の便もいいようです)。