goo blog サービス終了のお知らせ 

ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

話題のグローバルITベンチャー企業の会長を務める加藤さんのご高説を伺いました

2013年06月13日 | 汗をかく実務者
 6月中旬に東京都内で、日本などでのイノベーション創出の方法論などを追究している慶応義塾大学SFC研究所プラットフォームデザインラボは「イノベーション創出セミナー」を開催しました。

 このセミナーには現在、IT(情報技術)ベンチャー企業で注目されている人物がパネルディスカッションに登場し、その発言などに注目が集まりました。

 今回の「イノベーション創出セミナー」では、イノベーションを産み出す最前線にいる起業家や投資家、大学の研究者など6人がパネルディスカッションで議論を繰り広げました。



 6人は、ここ10数年間に、日本でのベンチャー企業を創業するエコシステムがどのぐらいできているかなどを深く熱く議論しました。

 今回、パネルディスカッションに登場した方の中で、注目を集めたのはITベンチャーのMido Holdings Ltd.(日本語表記はミドクラ)の取締役会会長の加藤隆哉さんです。



 加藤さんが注目を集めている理由は、経済産業省系の政府ファンドである産業革新機構(INCJ、東京都千代田区)がネットワークの仮想化ソリューションの開発ベンチャーであるMido Holdings(ミドクラ)に製品開発・事業開発の成長資金として12億円を上限とする投資を決定したと、2013年4月3日に発表したからです。政府系ファンドが期待するベンチャー企業を率いる人物として、注目を集めているのが加藤さんです。

 産業革新機構によると、スマートフォンやクラウドコンピューティングの本格的な普及に伴ってネットワークトラフィック(通信量)の急激な増加が見込まれ、データセンター事業者やインターネット企業などがネットワーク機能の拡大と、その構成の柔軟かつ迅速な変更のニーズが強まっているそうです。

 こうした業界ニーズを受けて、コンピュータ/ネットワークのインフラストラクチャー業界では、ネットワークの仮想化技術(ソフトウェア化)を実現するSoftware Defined Networking (「SDN」)市場が、2012年以降に本格的な市場立ち上がり始めているとのことです。

 加藤さんが創業したミドクラは、ネットワークの仮想化ソリューションを開発しているベンチャー企業です。同社の共同創業者は、米国のAmazon(アマゾン)のトップエンジニアとして有名なDan Mihai Dumitriuさん(ダン・ミハイ・ドミトリウさん)です。彼がミドクラの取締役・CEO(最高経営責任者)/CTO(最高技術責任者)を務めています。2010年1月に、スイスのローザンヌ市や日本の東京都などで設立された、小さなグローバル企業です。

 加藤さんは「国籍が多様な28人の経営者・社員がスイスのローザンヌ市や東京都、スペインのバルセロナ市などの日本と欧州、北米などで分散して仕事をしている」そうです。加藤さんは、「日本人だけで新技術を開発する発想を捨て、多様な考え方・意見の下で開発を進めることが重要」と力説します。同社では、グーグル(Google)、アマゾン、シスコシステムズ(Cisco System)、ソニー、NTT(日本電信電話)、NEC(日本電気)などの企業出身者が開発や営業などの仕事をしています。

 市場の小さい日本国内ではなく、最初から日欧米などのグローバル市場を目指す世界を相手にする企業です。製品開発・事業開発などの先見性などを世界中の企業と競い合っています。

 「今後、日本でイノベーション創出を盛んにするには、日本人の小学生のころから外国人と一緒に学び、話すなどの異文化コミュケーション環境で過ごすことが重要」と指摘します。



 ミドクラが開発しているネットワーク仮想化ソリューションの「MidoNet」は、世界的にも類のない分散型アーキテクチャーを強みとし、ネットワーク構築・変更の柔軟性、設備投資およびネットワーク運用でのコストメリットなどが、データセンター事業者やキャリア/ネットワーク事業者、インターネット企業から注目されていると、産業革新機構は説明します。

 加藤さんは、京都大学工学部航空工学科を卒業後に「研究者・開発者としての自分の能力を見切って」コンサルティング企業に入社します。加藤さんを有名にしたのは、大学の先輩とグロービス(東京都千代田区)を設立し、グループのCOO(最高執行責任者)としてベンチャー企業の経営に携わって実績を上げたことです。その間に、ベンチャーキャピタリストとして、様々なベンチャー企業に投資し、株式上場に成功します。

 2004年には、モバイルコンテンツ開発のサイバード(東京都渋谷区)の代表取締役社長に就任するなど、活躍します。その後、2010年1月にグローバル企業のミドクラを設立します。京都大ではアメリカンフットボールの名プレヤーとして活躍した加藤さんの波瀾万丈の人生を垣間みました。

新生児用人工呼吸器という医療機器で有名なメトランの社長にお目にかかりました

2013年06月11日 | 汗をかく実務者
 埼玉県川口市内に本社・工場を構えるメトランは、新生児用・小児用の人工呼吸器という医療機器分野では、世界的に有名な先進企業です。

 1984年にベンチャー企業のメトランを創業したのは、ベトナム出身のトラン・ゴック・フックさんです。現在は日本に帰化されて、日本名の新田一福さんを名乗っています。



 体重が1キログラム以下の“未熟児”として産まれた新生児は、肺が未発達で小さいために、ごく少量の空気を肺に送り込まないと、未熟な肺は耐えられません。このため、ごく微量の空気を細かく送り込む仕組みが必要になります。この仕組みは、外国のある研究者が提案し、カナダなどの大学病院の教授がその実現に必要な技術を学術論文などに公開していたものです。

 ベトナムの裕福な資産家の息子として育ったフックさんは、将来、ヤシ油を原料にした洗剤メーカーをベトナム起業したいと考え、ベトナムの仏教組織からの奨学金を基に、日本に留学して大学で工業化学を学びました。

 大学を卒業後、日本の企業で事業の進め方を学ぶために、医療機器メーカーに研修生として入社し、営業や開発などの仕事のやり方を学びました。この間に、ベトナム戦争が終結しベトナムが共産主義国家になったために、資産家の一員だったフックさんは帰国できなくなり、同社の正社員として医療機器事業の仕事に励んだそうです。

 製品企画部門に配属された時に、人工呼吸器という医療機器のニーズに出会います。人工呼吸器は、万一、その機能が停止すれば、患者の死に直結する機器だけに、このハイリスクを恐れて、日本の医療機器メーカーは参入していなかった分野です。日本は輸入品に頼っていたそうです。

 フックさんは、人工呼吸器に対する病院での現場ニーズなどを調査する過程で、人工呼吸器の学術文献を紹介されました、未熟な肺に、小さな圧力で高頻度で酸素などを送る高頻度振動換気タイプ(HFO)技術についての学術情報を学びました。

 そして苦労して、1分間に900回も、極低圧で酸素ガスなどを送るHFOタイプの人工呼吸器のプロトタイプをなんとかつくり上げたそうです。当時勤務していた医療機器メーカーでは「そのプロトタイプを各病院の医師などに見せて、使い勝手を評価してもらい、その事業性などを検討するように」と指示されます。結果としては事業化が見送られました。

 1984年に独立することを決意したフックさんは同社を退社し、メトランを創業します。創業後に、米国の国立衛生研究所(National Institutes of Health=NHI)から、高精度人工呼吸器のコンペティションに参加しませんかと打診する手紙が届きます。米国の国立衛生研究所の関係者が、フックさんがHFOタイプの人工呼吸器のプロトタイプをつくり上げたことを知っていたからです。何とか、国立衛生研究所が提示した仕様を満たすプロトタイプ機をつくり上げ、米国の国立衛生研究所に送りました。

 合計8社あった応募企業の中で、ただ1社の外国企業であるのメトランが合格を勝ち取ります。勝因は「我が社だけが現場の医者のニーズに十分応えていたから」とのことです。この結果、米国の国立衛生研究所はメトランに85台の実機を注文します。

 85台の注文を受けたメトランは、役員・社員が3人の少数精鋭態勢で、実用機「ハミングバード」(Hummingbird)を設計し製造し、米国に送り出します。これが、メトランが人工呼吸器事業に進出した経緯です。

 フックさんは独自の技術シーズと医療現場のニーズを付き合わせて実用化の可能性を考え、可能と判断すれば、その事業化リスクを取る姿勢で挑戦しました。

 その後も人工呼吸器「ハミングバード」の改良を続け、日本市場では機種名「ハミング」とし、未熟児向けの人工呼吸器として、日本での市場を確保しました。日本の病院のNICU(新生児特定集中治療室)では、メトランの人工呼吸器の採用率は、約90パーセントと業界では推定され、ほぼ独占状態になっています。

 最近は成長戦略として、メトランは業務提携などのアライアンスを積極的に取り始めています。例えば2010年11月には、大手医療機器メーカーの日本光電と業務提携を提携し、日本光電はメトランと人工呼吸器の独占販売契約を締結しました。さらに、2012年10月にはフクダ電子(東京都文京区)とホームケア関連機器の開発を目的とした合弁会社ブレステクノロジー(東京都文京区)を設立しました。

 現在はベトナムに製造子会社とソフトウエア開発の子会社をそれぞれ1社ずつ設立し、グローバル化を推進しています。

 メトランは現在、役員・社員が30数人の規模の会社です。創業から約30年間は新生児向けの人工呼吸器市場というニッチェ市場で、独自の先進技術を磨いてきました。その分だけ、企業規模の成長は遅くなりましたが、他社は持っていない独創技術の蓄積はできたようです。独自技術を持つオンリーワン企業です。

半導体ベンチャー社長にスカウトされた山本達夫さんのお話を伺いました

2013年03月10日 | 汗をかく実務者
 経済産業省などが主催した「イノベーション実用化ベンチャー支援セミナー」を拝聴しました。

 経産省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が、平成24年度(2012年度)の補正予算として「イノベション実用化ベンチャー支援事業」という助成事業を実施することを、広く公知させるためのセミナーです。

 興味深かったのは、パネルディスカッションに登場されたベンチャー企業の経営者お二人とベンチャーキャピタルの経営者(パートナー)お一人のそれぞれのお話でした。

 今回のパネルディスカッションでは、おそらく一番注目を集めたのは、2012年12月20日に東京証券取引所マザーズに上場を果たした東京大学発ベンチャー企業のユーグレナ(東京都文京区)の代表取締役の出雲充さんだと感じました。



 2005年5月に創業し、その年の12月に、微細藻類のユーグレナ(日本名はミドリムシ)を野外で大量培養することに成功し、ユーグレナの事業を始めました。その後に、食品(サプリメントなど)や化粧品に応用し、製品販売を始めています。

 その出雲さん以上に興味を持ったのは、ディジタルメディアプロフェッショナル(DMP、東京都中野区)の代表取締役社長・COEを務める山本達夫さんです。



 ディジタルメディアプロフェッショナルは、2002年7月に法政大学教授の山本恒雄さんが、自分の研究成果であるグラフィックス(画像処理)技術の特許や半導体回路、ソフトウエアなどの知的財産(IP)を基に創業したベンチャー企業です。

 ディジタルメディアプロフェッショナルが注目を集めたのは、任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」の3次元画像処理のGPU(グラフィックプロセッサーユニット)に、同社の画像処理用の半導体回路技術が採用されたからです。この採用発表は、2010年6月のことです。

 山本さんは、ディジタルメディアプロフェッショナルの創業時には参画していません。同社を発掘したベンチャーキャピタルのジャフコ出身のベンチャーキャピタリストが経営者探しの中から、当時、米国のルネサス・テクノロジ-米国法人(現在のルネサス・エレクトロニクス)の副社長を務めていた山本さんを口説いて、社長に迎えたという経緯です。山本さんは2004年3月に社長に就任します。

 山本さんは当時のことを「社長に就任してみたら、優れた画像処理技術はあったが、事業プランは無かった」と振り返ります。その後、同社の画像処理技術を日本企業に売り込みに行くと「高性能は分かるが、実績が無いと採用できない」という日本企業の保守的な体質によって苦戦が続きます。

 この時に、山本さんはパチンコなどのアミューズメント業界・ゲーム業界は実績の有無を問わないことを知り、このゲーム分野に事業を特化させ、採用を勝ち取ります。

 山本さんは、1981年に日本IBMに入社され、藤沢研究所でPC開発部長としてDOS/V PCなどの企画・開発に従事し、米国アップル社とのCPU(中央演算処理装置)開発にも関わった後に、日立製作所の半導体事業部(米国)に転職し、技術者・経営者としての実力で自分の人生を切り開く実力本位の世界に入ります。
 
 山本さんはパネルディスカッションの際に、「日本の大手企業は優秀な人材を終身雇用によって抱え込んでいる。日本で転職による人材流動が起こらないと、ベンチャー企業が成功する基盤ができない」と苦言を呈しました。その通りと思いました。

ゲーム開発会社の創業に参画した鈴木尚さんのお話を拝聴しました

2013年03月09日 | 汗をかく実務者
 第21回ベンチャー・プライベート・コンファレンス「白熱!ベンチャー教室2013」を拝聴しました。

 このコンファレンスは、独立系ベンチャーキャピタルの日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP、東京都世田谷区)と慶応義塾大学大学院ビジネススクールの共催です。



 このベンチャー・プライベート・コンファレンスは毎回、日本を代表するベンチャー企業の創業者や経営者などがそれぞれ強烈な体験談を語ります。今回の第21回では、ベンチャー企業のPTP(東京都新宿区)取締役会長の鈴木尚さんの話が印象に残りました。

 鈴木尚さんは、かなりの有名人です。





(会場では奥に座ったために、演台と距離があり、荒れた画像になっています)

 有名人なのは、任天堂のゲーム機「ファミリーコンピュータ」向けにゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズを大ヒットさせたスクエア(現在は、エニックス・スクエア)の経営陣を務めた人物だからです。

 鈴木尚さんは慶応大学の日吉キャンパスに通う学生時代に、当時、ゲーム開発会社として成功していた光栄(後にコーエー)で、ゲーム開発のアルバイトを始めます。その影響で、1983年にゲーム開発会社のスクエアが慶応大学の日吉キャンパス近くで創業する時に、その創業メンバーの一人として参加します。鈴木さんは「1978年当時に起こったインベーダーゲームというコンピューターゲームから、コンピューターゲームに魅力を感じたのが動機」だそうです。そして、1983年に任天堂がゲーム機「ファミリーコンピュータ」を販売し始めたことによって、ゲーム産業が成長すると読んで、スクエアが創業されたそうです。

 鈴木さんは「任天堂はコンピューターゲーム機事業に参入する際に、米国の先行企業をよく分析し、事業計画を十分に練って参入した」と解説します。そのゲーム機「ファミリーコンピュータ」向けに、ゲーム開発会社のエニックスが1986年に「ドラゴンクエスト」を、1987年にスクエアが「ファイナルファンタジー」をそれぞれ発売し、ファミリーコンピュータは大ヒットします。

 1996年にスクエアは、任天堂とゲーム収益を管理する販売モデルを巡って喧嘩(けんか)し、ソニー系のソニー・コンピュータエンタテインメントのゲーム機「プレイステーション」に乗り換える決断を下します。「任天堂の半導体メモリーのゲーム機から、ソニー・コンピュータエンタテインメントが実用化したばかりのCD-ROMベースのゲーム機への乗り換えに可能性を感じたことと、ゲーム販売の収益モデルの改善に活路を見いだすため」だったそうです。

 2000年5月に鈴木さんは当時の副社長から4代目の社長に昇格します。その直後の2000年8月に、東京証券取引所一部に上場し、事業資金を集めます。鈴木さんは2001年に映画「ファイナルファンタジー」の制作を指揮しますが、興行成績が振るわず、特別損失160億円を計上します。このため、鈴木さんは責任を取って社長を辞任します。

 その後、エイベックス代表取締役社長の松浦勝人さんに声をかけられ、2003年9月に設立されたLDHというエンターテイメント会社の会長に就任します。そして、音楽グループのEXILEなどを育てたそうです。その後、2007年10月に楽天の常務に就任し、電子書籍事業を担います。しかし、楽天の代表取締役会長兼社長の三木谷浩史さんと、事業方針を巡る意見の違いから2012年8月に楽天を去ります。

 その後、現在のテレビ番組を録画するハードディスク・レコーダーとその利用技術(高速検索)などを基盤技術とするPTP会長に就任します。

 コンピューターゲームの成長期に、ベンチャー企業のゲーム会社の創業に参画し、その後もコンピューターのコンテンツ系事業に携わりながら、波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生を楽しんでいるようです。

 鈴木さんの話を伺っていると、現在のソフトバンクの孫正義さんや楽天の三木谷さんなどのベンチャー企業創業者と同時代を生き、交流し、お互いに影響し合っているようです。

  ベンチャー企業を創業した起業家の一人である鈴木さんのお話は、日本にもベンチャー企業の起業家はある程度の人数が育っていて、日本でもそれぞれ活躍していることを教えてくれます。

グリーン・イノベーションフォーラムでは、事業プロモーター活動の話を伺いました

2013年02月26日 | 汗をかく実務者
 日本政策投資銀行系のベンチャーキャピタル(VC)のDBJキャピタル(東京都千代田区)が開催した「グリーン・イノベーションフォーラム」を拝聴した話の続きです。

 昨日(2023年2月25日編)に掲載した「グリーン・イノベーションフォーラム」の内容を伝えるWebサイトの表紙では、「文部科学省 大学発新産業創出拠点プロジェクト(START)」の文字が、上部に表記されています。



 文部科学省は、平成24年度(2012年度)から始めた新事業の大学発新産業創出拠点プロジェクト(通称、START事業)の中で、DBJキャピタルの取締役投資部長の山口泰久さんを、大学発新産業創出拠点プロジェクトの研究開発プロジェクトをマネジメントする“事業プロモーター”の一人に選んでいます、

 文部科学省は平成24年度には事業プロモーターを合計7人選び、研究開発プロジェクトのマネジメントを委託しています。選ばれた事業プロモーターは7人そろって、ベンチャーキャピタリストです。山口さんは、日本で初めて本格的な知的財産ファンドを立ち上げ、運営した実力者です。



 画像の向かって右側の方が山口さんです。その左側の人は京都府立大学教授の石井さんです。

 ここ10数年間ほど、文部科学省などの行政機関は大学や公的研究機関の優れた研究成果を基に、その事業化を図る産学連携プロジェクトを強力に推進してきました。それなりの予算をつけ、投資してきました。しかし、あまり成果が上がっていないとの評価が下されています。

 このため、各研究成果を基にした産学連携プロジェクトの事業化戦略・ビジネスプランづくりをマネジメントする役目の事業プロモーター制度を設け、事業プロモーターを選び出し、役目を委託しました。

 山口さんは、昨年から研究開発プロジェクトを5件、マネジメントしています。「DBJキャピタル・グリーンイノベーションフォーラム」では、5件の内の4件の研究開発プロジェクトの事業化を目指す開発態勢や事業計画など(“プレベンチャー”と呼ぶ)を解説しました。

 解説された4つの研究開発プロジェクトは、九州大学大学院の浜本芳徳准教授の「スマートエネルギー利用植物工場」、横浜市立大学大学院の城武昇一准教授の「生分解性抗菌ナノ粒子による農業用抗菌剤の研究開発」、九州工業大学大学院の西田治男教授の「未利用バイオマスからの高性能コンポジット開発」、京都府立大学大学院の石井孝昭教授の「菌根菌(きんこんきん)とそのパートナー細菌を活用した食料増産技術の研究開発」です。

 京都府立大学教授の石井さんは、アーバスキュラー菌根菌とそのパートナー細菌、その細菌などの増殖を助ける“パートナー植物”を活用する有機農法の事業化について解説しました。

 菌根菌は、土壌中に張り巡らした菌糸から、リン酸や窒素などを吸収して“宿主植物”に提供する菌です。マツタケを育てる“マツタケ菌”も菌根菌の一種と解釈されています。菌根菌が宿主植物”にリン酸や窒素などを提供する代わりに、エネルギー源として共生相手の植物から炭素化合物をもらって、菌根菌自身が成長するという共生関係を保ちます。多くの菌根菌は共生植物に対して成長促進効果を持つと考えられています。

 京都府立大学教授の石井さんは、アフリカのルワンダでマカダミアナッツの栽培と加工工場の事業化を進めたり、インドネシアでゴマ栽培の事業化を進めているそうです。アーバスキュラー菌根菌とそのパートナー細菌やパートナー植物などの研究成果を活かして土壌改良を行っているそうです。この結果、肥料と農薬の量を減らし、安心・安全な食糧増産技術の確立を図っているそうです。

 今後は、京都府立大学発ベンチャー企業を設立し、アーバスキュラー菌根菌とそのパートナー細菌やパートナー植物などの研究成果を基にした技術移転による技術指導のライセンス料を得る仕組みの事業を確立する計画だそうです。

 「農業作物のトレーサビリティー技術を確立し、栽培品の高付加価値化を図る事業モデルを目指したい」と説明されました。ルワンダとインドネシアでの事業成果を基に、他国へも水平展開し、対象作物を増やしていく予定だそうです。当然、日本国内にも水平展開するようです。