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ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

大学発ベンチャー企業に人材流動経験者が集まっています

2010年08月12日 | 汗をかく実務者
 大学発ベンチャー企業には当然、起業家の人材が集まってきます。
 新規事業をつくるイノベーション創出は新規事業づくりは、異分野からいろいろな人材が集まってプロジェクトを推進します。人材流動の経験者が自然と集まってきます。その典型例を聖マリアンナ医科大学発のベンチャー企業であるナノエッグ(川崎市)で確認しました。

 ナノエッグの代表取締役社長の大竹秀彦さんに8月11日午前にお目にかかりました(2010年6月25日のブログにご登場いただいた方です)。大竹さんには、夏休み前の貴重な時間を割いていただきました。


 今回お時間をいただいたのは、東京工業大学大学院のイノベーションマネジメント研究科の方が研究対象として同社を調査するのに同行したのが経緯です。研究調査の脇でお話を伺いました。その時に、ナノエッグの新しい会社案内をいただきました。

  会社案内の「会社概要」に役員プロフィールが載っています。3人の役員、2人の監査役、2人の顧問の略歴が書かれています。今回、改めてしっかり読んでみました。すると、全員が転職経験者でした。数回の転職を経てナノエッグの役員に就任しています。例えば、3人の役員は平均3.7回転職していました。3回目か4回目にナノエッグの役員に就任していました。お一人の監査役は大手監査法人を3回経て、某社の監査役を経て、ナノエッグの監査役に就任されていました。

 日本の多くの組織(企業や大学など)は原則、終身雇用です。中途採用者が珍しく無くなったとはいえ、新入社員からの“生え抜き”が大部分です。例えば、一部上場企業では(子会社や関連企業への出向は計算に含めないで)が2/3ぐらいが生え抜きではないでしょうか。その一方で、最近創業したネット系企業などでは転職経験者が多いことも事実です。会社の成長が速く、自前で人材育成している時間が無いので、中途採用を繰り返しているからです。

 ベンチャー企業の創業期は、最適な経営メンバーを集めることが、新規事業の成功を大きく左右します。このため、自社に最適なCEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)、CTO(最高技術責任者)、CFO(最高財務責任者)をどう集めるかが大事になります。そのベンチャー企業の死活問題だからです。大竹さんは、創業者である取締役の山口葉子さんに口説かれて代表取締役社長になりました。CEOでありCOOとCFOの一部を兼務されている同社のキーマンです。山口さんはCTOの役目を果たしています。同社の取締役経営管理本部長の飯塚幸造さんは、大手銀行からネット系企業2社を経てナノエッグに入社されています。COOとCFOを兼務されていると想定しています。現在の経営陣を集めるには、「あれこれと人脈を使って来てもらった」と、大竹さんは笑います。

 起業家精神に富んだ方は、その時に自分のやりたい仕事をするために、職場を選びます。この結果、その時点での企業に最適な職場が無ければ転職することになります。現在、日本では多くの方が“就社”しますが、自分のやりたい仕事をするために“就職”を貫くと、結果として転職を繰り返すことが増えると思います。最初に就社した企業で、“就職”を貫くにはかなりの幸運が必要になると思います。

 逆にいうと、ベンチャー企業では面白い仕事をつくり続けないと、また別の企業に転職してしまいます。腕に自慢の起業家に面白い仕事をする場を提供し続けるのもかなりの難問でしょう。

 現在の終身雇用制度は、現行の製品・サービスを改良し続けるという点では優れた人事制度です。現行の製品・サービスのユーザーにとって、その時点での最適なモノを提供するには現行製品・サービスを熟知し、改良・改善を続けることが必要だからです。単なる設計変更ではなく、例えば生産工程や販売経路、故障や不具合の修理のやり方などの一連の体系の中で、改良・改善を実施するには安定した雇用制度の方が有効だと思います。終身雇用で安定した身分の方が改良・改善に集中できます。

 これに対して、従来にない新規の製品・サービスを開発するには、何が最適な解になるかはなかなか見通せません。部分最適解でしかない状態の新規製品・サービスはリスクの塊です。プロジェクトチームの中で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をし、うまくいけば市場に出せます。だめなら、また別の新規製品・サービスを開発するすることになります。企業規模が小さいベンチャー企業では、創業当初は終身雇用制度ではない人事制度をとらざるを得ないのです。リスクを取る人材は、人材流動というリスクを取れる方々です。

起業家にとって“エンジェル”はまさに天使です

2010年08月11日 | 汗をかく実務者
 「エンジェル」という“言葉”をご存じでしょうか。
 背中に羽根をはやした空想上の「天使」ではありません。ある種の篤志家です。ただし、単なる“足長おじさん”ではありません。日本では知る人ぞ知る存在です。

 エンジェルとは、ベンチャー企業を創業したいと考えている起業家(アントレプレナー)に、最初のリスクマネーを投資してくれる個人投資家です。同時に、起業家が創業時に自分がやりたいことを図式化したビジネスモデルなどを練り上げる際に、有効な支援をする支援者を意味します。大事なことは、リスクマネーを提供する単なるパトロンではないことです。投資したリスクマネーを有効活用するように、ベンチャー企業の事業モデルを一緒に親身に考え、必要ならば創業時のCFO(最高財務責任者)やCOO(最高執行責任者)、社外監査役などの役員を紹介したり、事業化する製品・サービスの販売チャネルのキーマンを紹介したりします。簡単にいえば、ベンチャー企業が目指す新規事業を成功するように、ビジネスモデルを再構築する支援を惜しまない支援者です。

 抽象的な説明は分かりにくいので、最近お目にかかった日本を代表するエンジェルを基にご説明します。その人物は、NPO(非営利組織)法人IAIジャパン理事長を務めている八幡惠介さんです。見かけ通りの好々爺(こうこうや)の方です。


 八幡さんは“日本初のエンジェル”と自他ともに認める方です。半導体関係の技術者と経営者を務めた職務経験を生かし、日本などの半導体関係の研究開発型ベンチャー企業を30社支援しています。これまでに、この30社に対してご自分の資産から約2億円を投資されているとのことです。「お世話になった半導体業界への恩返しとして、エンジェルを続けている」と、動機を説明されます。

 大学を卒業後にNEC(日本電気)に入社し、半導体事業の仕事に携われました。当時の九州日本電気(現在のルネサス セミコンダクタ九州・山口の一部)の立ち上げなどを手がけられ、1981年には米国NEC Electronics.Incの社長に就任されています。この間に米国ニューヨーク州にあるシラキューズ大学(Syracuse University)大学院に留学し、勉学に励まれると同時に半導体関係などで多くの人脈を築かれました。留学や仕事などを通して、米国の半導体業界での人脈を豊かにしながら、米国の半導体系ベンチャー企業が成功する仕組みなども学んだそうです。

 84年にNECを退社すると、米LSI Rogic Corp(現在のLSI Corp)社の創業者であるW.J.コリガンさんから同社の日本法人の立ち上げを指揮する社長就任を依頼されました。コリガンさんが半導体業界の人脈から最適な人物を探した結果だったそうです。LSI Corpは米国カリフォルニア州のシリコンバレーで起業し成功したベンチャー企業の一つです。八幡氏は、「米国ではベンチャー企業の創業に成功した人物が、次世代のベンチャー企業の経営陣を育成する仕組みを間近で実践的に学んだ」と語ります。


 LSI Corp日本法人が軌道に乗ったのを機に「引退しよう」と考えた時に、今度は米国半導体製造装置大手のApplied Materials. Inc.から日本法人の社長就任を頼まれ、引き受けました。この米国企業2社から報酬の一部として株式をストックオプションとして受けとったことが「エンジェルを始めるきっかけになった」そうです。八幡氏はストックオプションを基に「幸運にも今後の生活には十分な資産を手に入れました」と説明されます。この資産の中の約2億円をエンジェルとしての投資資金にされました。ストックオプションから得た資金は、給料を貯めて築いた資産とは異なり、「宝くじが当たった時と同じように、ある意味では無かったものと割り切ることができる」そうです。この結果、「社会貢献として、ベンチャー企業育成の投資資金に回した」そうです。

 半導体系の研究開発ベンチャー企業30社に投資された理由は「これまでに半導体業界で築いてきた豊かな人脈が生かせるからだ」だそうです。30社に投資したのは「ベンチャー企業を20社程度まとめて支援ないと、投資のポートフォリオが組めないからだ」と説明されます。現時点では、残念ながら投資先企業からの成功報酬としてのリターンはまだ1社もないとのことです。この事実が、日本の厳しいベンチャー企業の状況を端的に物語っています。
 
 日本ではベンチャー企業がうまく育たないといわれています。特に、先端技術を基に従来にない新規事業を興して、既存企業に取って代わるようなテクノロジー系ベンチャー企業はほとんど育っていません。モノづくり立国を標榜しながら、時代に応じた新規企業が生まれていないのです。モノづくり系の大手企業がリストラクチャリングしながら、新規事業に切り替えています。新規創業したベンチャー企業を通して、新産業を興す社会的な仕組みが未成熟です。

 この原因はいくつか考えられていますが、その大きな要因の一つは、ベンチャー企業にリスクマネーを供給するベンチャーキャピタル(VC)の役割不足です。VCの投資規模は、「日本は米国の20分の1程度と少ない」と指摘されています。実態はもっと少ないとの声があります。しかし、それ以前の原因として、VCに先駆けてベンチャー企業の創業を支援する“エンジェル”と呼ばれる個人投資家が大幅に少ないことが要因の一つと分析さています。
 
 エンジェルと呼ばれる個人投資家は、米国では以前に自分でベンチャー企業を創業した先輩たちであるケースが多いのです。このため、エンジェルは起業家がベンチャー企業を立ち上げる構想を練る際に、経営人材や資金の集め方、新規事業のビジネスモデルの構築の仕方などを具体的に助言できます。自分が苦労して得た経験に基づいて助言するため、実践的で有効な支援になります。起業家が最初につまずきそうなことを、有効に指摘できる助言者としての役目を果たします。創業の成功者だけに、若い創業者もその言葉の重みを感じます。つまり、米国では、起業家が考案したビジネスモデルを、エンジェルが実現可能なビジネスモデルにつくり直す過程を経ることで、ベンチャー企業の成功確率を高めているのです。先輩が経験したことを、次世代の起業家に支援を通して伝承する仕組みです。

 2000年6月に設立した IAIジャパンはエンジェル組織として起業家支援をうたっています。同NPOのWebサイトには「起業家の皆様へ」という相談窓口サイトを設けています。この窓口を通して創業希望者が面会を求めてくるそうです。八幡さんは「一般論だが、多くの起業家は相談に来るのが遅いケースが多い」と感想を漏らします。日本ではベンチャー企業を創業し、難問に直面してからはじめて、相談に来る起業家が多いからのようです。

 同NPOのWebサイトは「起業塾」というサイトも用意しています。起業前に準備することを伝えるセミナーなども数多く開催しています。日本では起業家の“卵”の周囲にベンチャー企業の創業に成功した経験者が少ないため、創業時のノウハウを学ばずに、熱意だけでベンチャー企業をつくるケースが多いようです。一般的には、起業家は自分が持つ技術シーズを過信し、創業時に成功するかどうかのポイントになる、市場でのマーケッティング力などが弱いケースが多いそうです。売れない新製品や新サービスを出しても新事業を成功しません。

 しかも、日本ではベンチャー企業の創業資金の出し手は自分と親戚、友人(これをFounder(自分),Family(親族)、Friend(友達)の“3F”と呼びます)で、失敗すれば最悪は自己破産したり、踏み倒したりして迷惑をかけます。リスクマネーの提供者は原則、エンジェルとVCが基本にならないと、日本ではベンチャー企業は増えません。

 エンジェルは起業家にとってリスクマネーを提供してくれる大事な人物です。だからこそ、「エンジェルは規律ある姿勢で起業家と付き合うことが重要になる」と説明されます。IAIジャパンのWebサイトの目立つところに、エンジェルとしての基本的な規範ルールを示しています。節度ある姿勢で、真摯(しんし)に起業家の創業を支援することをうたっています。エンジェルが、起業家とイコールパートナーとしてつきあえるかどうかがカギになるからです。

 IAIジャパンは日本でのエンジェル育成を目指しています。ある程度成功した先輩技術者が、後輩の創業者を育成する仕組みが日本にできると、日本も変わると思います。創業成功者の方々には、単なるご意見番ではなく、行動するエンジェルになっていただければ、日本は大きく変わると思います。八幡さんのようなエンジェルが増えることを願っています。

大学発ベンチャーの社長の話の続きです

2010年06月26日 | 汗をかく実務者
 化粧品事業で成功していることで有名な大学発ベンチャー企業のナノエッグ(川崎市)の話の続きです。

 同社の代表取締役社長を務める大竹秀彦さんは「一日当たりの睡眠時間は4~5時間の生活が続いている」と笑います。自分の仕事を自分の責任で決めて実行するので、たぶんやりがいがあるからできるような気がします。でも、前回お伝えしたように、ハーバード大大学院のMBAをとる時でも、短い睡眠時間で乗り切ったそうです。自分が目指す目標に向かって精進しているため、短い睡眠時間でも大丈夫なように工夫しているようです。

 ナノエッグは川崎市宮前区にある聖マリアンナ医科大学の難病難病治療研究センターに入居しています。大竹さんは、1週間の内で半分もナノエッグの自分の席に座っていることはないそうです。社外でいろいろな方とお目にかかって、打ち合わせをしていることが多いそうです。ベンチャー企業の社長は、トップセールスや資本政策にあれこれ駆け回っているのが普通ですので。

 さて、ナノエッグが創業した2006年4月6日時点では、大竹さんは副社長として参画したと前回、お伝えしました。その時は、大竹さんは聖マリアンナ医科大の研究成果の技術移転などを手がけるMPO(川崎市)の代表取締役社長を務めていたのです。このMPOは聖マリアンナ医科大学の知的財産管理、ベンチャー企業の事業化支援(インキュベーション)、資金調達などを手がけたり支援したりする企業として設立されまました。大学の知的財産本部とTLO(技術移転機関)、VC(ベンチャーキャピタル)などの多様な機能を受け持つ会社として2004年7月に設立されました。

 聖マリアンナ医科大が教育と研究の二つのミッションに加えて、医薬品や医療機器、治療法を社会に発信していく第三のミッションを支援する会社としてMPOは設立されたのです。当時の大竹さんはMPO社長として、同大学発ベンチャー企業として期待されていたナノエッグを熱心に支援していたのです。MPOの社長就任時に「MPOが力点を入れて支援する案件5件の中の一つがナノエッグだった」とのことです。


 大竹さんは、大学生の時から自分の人生設計をしっかり考え、着々と実行してきた人物です。東京大学の学生だったころに、最初は文学で生計を立てる人生にあこがれたそうです。しかし、周りの学生の方が文学の才能は豊かだと感じ、文学で身を立てることはあきらめたそうです。こうした判断を大学生でしっかりする点に感心します。できそうで、できなことです。

 次に「いずれは自分の会社を持ちたい」との人生設計を描きました。この結果、将来MBA(経営学修士)コースに留学させてくれそうな外資系コンサルティング会社の米ベイン・アンド・カンパニーを就職先に選びました。「米コンサルティング企業は実力主義である点から選んだ」と考えたからとのことです。当初の人生設計通りに1997年9月に米ハーバード大学大学院のビジネススクールに入学し、99年6月にMBAを取得したそうです。自分が目指す自己実現のための人生設計を練り、その実現のために努力を続けている方の代表格です。

 MBA修了後に、あるヘッドハンティング企業から「米大手広告代理店のJウォルター・トンプソンの事業責任者に就職しないか」との誘いを受け、就職しました。頼まれたのは、インターネットを利用するダイレクトマーケッティング事業の立ち上げだったそうです。年齢的にはかなり若い事業部長として、ダイレクトマーケッティング事業を社員約40人を率いて、成功させたそうです。事業の立ち上げを3人で始め、陣容を整えて売上げ7億円を達成したとのことです。

 この事業が順調に育ち始め、「そろそろ自分の会社を設立したい」と考えていた時に、聖マリアンナ医科大の病院長だった明石勝也理事長と出会いました。明石理事長は「知的財産管理などを手がけるTLO業務の会社経営を頼みたい」と口説いとのことです。自分が始めてみたい会社構想に一致している部分が多かったことから、大竹さんはMPO設立を引き受け、その社長に就任しました。

 ナノエッグの事業展開が順調に進みだし、創業時に山口氏が引き受けた社長と取締役研究開発本部長の兼務が次第に厳しくなってきました。このため、大竹さんが社長を引き受ける経営体制に切り替えるしたそうです。この結果、研究開発の責任者(CTO、最高技術責任者)と経営の責任者(CEO、最高経営責任者)の役割を明確に分けて、同社の経営を進めていく体制になりました。

 「今後7年から10年後までに、医薬品事業を売上げ規模20億~30億円に育てたい」とのことです。そして医薬品事業が立ち上がったころに、IPO(Initial Public Offering、新株上場)を実現したいとの計画をお持ちです。IPOによって次の事業投資資金を獲得し、成長路線を確かなものにする予定です。第三の事業としての開発案件は、サプリメントや飲料、食品などをターゲットとして考えているご様子です。

 自分が立てた人生設計通りに人生を歩んでいる大竹さんは努力の人です。自分の目指す目標に向かって邁進しているため、睡眠時間が短くても大丈夫なようです。大学発ベンチャー企業の社長を楽しく務めているとお見受けしました。

人生設計通りに社長になった方にお目にかかりました

2010年06月25日 | 汗をかく実務者
 大学発ベンチャー企業のナノエッグ(川崎市)は化粧品「MARIANNNA」シリーズの化粧品事業で成功していることで有名な企業です。当然、化粧品のブランド名も有名になっています。

 
 同社代表取締役社長を務める大竹秀彦さんは「研究成果を提供した大学の名前が聖マリアンナ医科大学で本当に良かった」と笑います。例えば、東京大学や京都大学という大学がベンチャー企業の母体になっていたら、「化粧品のブランド名には使えないでしょう」と言います。確かに、普通の“お堅い大学名”では消費財のブランド名にはならないと思います。

 大竹さんは自分が目指す自己実現のための計画、すなわち人生設計を練り、その実現のために努力を続けている方です。


 イノベーターのお手本みたいな方です。日ごろの睡眠時間を削る生活を30年以上続けて、自分がやりたいことを着実に実現しています。

 ナノエッグの話に戻ります。同社は2010年6月3日に自社で製造・販売している化粧品「MARIANNNA」シリーズの新製品発表会を開催しました。同シリーズに新製品を加えたり、従来品の一部を「抗酸化効果が期待できる有効成分を加えたり増やしたりする一方で、価格は引き下げるリニューアルを実施する」と発表しました。

 ナノエッグの化粧品の新製品発表会は、今年に入って2回目です。2月にも新製品発表会を開催するなど、化粧品ビジネスを活発化させています。そして、2回目の6月時点の新製品やリニューアルによって、化粧品ビジネスの「売上げ倍増を狙う」と強気の発言をしています。多くの大学発ベンチャー企業が売上げの立つ事業をなかなか成立できないことで苦しんでいる中で、同社は売上げが立つ事業を既に持っています。ここに、同社の強みがあります。現在、化粧品事業の売上げは年間4億~5億円と順調に成長しているとのことです。これは、同社の優れた事業戦略と研究開発戦略の賜(たまもの)です。

 日本の大学発ベンチャー企業の多くは、なんとか創業はしてみたものの、始めてみたら最初に考えた事業戦略が未熟なために、研究開発費や事業投資費の重い負担に耐えながら研究開発に追われ、追加の投資金集めの金策に苦労している企業が多いのが実情です。これに対して、ナノエッグはまず化粧品という製品を実用化して販売し、着々と事業収益を上げ、成長路線を歩んでいる数少ない大学発ベンチャー企業の一つです。

 もちろん同社は化粧品の事業化を目指しているだけの企業ではありません。目指す事業は、機能性化粧品事業と医薬品事業、第三の新規事業などと、事業のポートフォリオをしっかり組んだ事業計画を持っています。

 事業戦略をしっかりつくり上げ、実践している理由は、研究開発の責任者(CTO、最高技術責任者)と経営の責任者(CEO、最高経営責任者)の役割を明確に分けて事業化を進めていることが一因です。研究開発は、創業者の一人である研究開発本部長の山口葉子取締役が担う一方、事業計画などの経営は大竹秀彦社長が担う役割分担がはっきりしています。この経営体制の下に、現実的な事業戦略に基づく成長戦略を描き、着々と実行しています。

 ナノエッグは2006年4月6日に、レチノイン酸のかたまりを、カルシウムやマグネシウムの炭酸化合物などの無機材料でコーティングするナノ粒子をDDS(ドラッグ・デリバリー・システム、Drug Delivery System)として利用する用途を目指して設立されました。DDSは人間の体の必要な箇所に薬効成分をマイクロカプセル化して確実に届ける先端技術です。実は、この実用化を目指しているバイオテクノロジー系の大学発ベンチャー企業は多数あります。

 ナノエッグのDDSの基盤技術となっているのは、ナノ粒子の製造法です。同社が国内出願した基本特許「多価金属無機塩被覆レチノイン酸ナノ粒子の製造方法および当該製造方法により得られたナノ粒子法」が2009年12月11日に成立したと発表しています。知的財産戦略も一層加速させ、経営基盤を固めています。このDDSに使うナノ粒子を“ナノエッグ”と名付け、親しみやすいことから社名に採用しています。大学発ベンチャー企業には、妙に先端技術らしさを前面に押し出した訳の分からない社名が多い中で、ナノエッグは覚えやすい点でしたたかな戦略性を感じます。独りよがりではない、ユーザー視点を感じます。

 同社は聖マリアンナ医科大の難病治療研究センターの五十嵐理慧さん(現ナノエッグ名誉会長)と山口葉子取締役が起業計画を練り上げて設立されました。五十嵐さんと山口さんは共同創業者として事業化の準備を進め、2003年9月に科学技術振興機構(JST)のプレベンチャー事業にテーマ「皮膚再生のためのレチノイン酸ナノ粒子」を提案したそうです。この提案が2003年9月にJSTに選ばれ、創業に向けて一気に加速したのだそうです。

 同社設立時は、大竹さんはナノエッグの副社長として参画しました。その経緯は次回にお伝えします。なかなか複雑な話なのです。


ベンチャー企業は事業計画を練り続けます

2010年06月15日 | 汗をかく実務者
 「日本の大学発ベンチャー企業は技術シーズにこだわり過ぎる」と、しばしば指摘されます。
 ベンチャー企業は、これまでに無かった新しい事業を成立させるには、始めてみて分かった難問を解決するために、事業内容を強化する模索をし続ける努力が決め手になります。事業内容を局面ごとに組み直し続ける努力が不可欠です。「これは簡単なようで、実際に実行し続けることは困難なこと」と、ハイテク系ベンチャー企業の創業に詳しい芝浦工業大学大学院の工学マネジメント研究科長・教授の渡辺孝さんは指摘します。

 ジャスダック証券取引所(JASDAQ)NEOに上場している東京大学発ベンチャー企業のテラ(東京都千代田区)は、2010年6月1日に「北海道大学と共同研究契約を締結した」と発表しました。同社は、ガンのワクチン療法の事業化を図り、ある程度の事業規模を確立し、事業収支の黒字化を達成しています。テラはIPO(新規株式公開)に成功し、事業を本格化させる事業資金確保に成功したことと評価されています。この点で優等生の企業です。しかし、本当に評価すべき点は事業内容の強化を持続していることです。この努力が、今回の北大との共同研究の締結に現れています。

 テラの代表取締役社長を務めている矢崎雄一郎さんは、2004年6月に当時の自宅で、資本金1000万円をなんとか工面し、一人で創業しました。 東大医科学研究所の研究成果である「樹状細胞ワクチン療法」というガン治療技術を基に、矢崎さんは起業家として事業計画を立案し、大阪大学や徳島大学などの研究成果から産まれた要素技術と組み合わせ続けて、一層優れたガン治療技術群を育て上げ、事業計画の最適化を図っています。

 テラの事業化の基となったガン治療法を発見した研究者ではなく、起業家の視点で事業内容の強化を続けています。事業化の基になった研究成果は、ガン患者自身の免疫細胞を利用するために、「副作用がほとんど無いと考えられる点が優れている」と判断し、ガン治療技術の事業として成立すると直感したそうです。

 創業時にほれ込んだ研究成果に対して、多くの大学発ベンチャー企業にありがちな、研究者である創業者が自分の研究成果に固執し過ぎて、事業内容の強化方針を見誤ることがなかった点が成功要因になっています。矢崎さんは「創業後は何回も事業成立を左右する厳しい局面に直面しましたが、信じ合える仲間で構成した経営陣メンバーの知恵を結集して乗り切ることができましたた」と説明しています。

 創業時から事業計画を一緒に練り上げた経営陣メンバーとは、取締役の堀永賢一朗さん(左)、代表取締役社長の矢崎雄一郎さん、取締役副社長の大田誠さん(右)です。


 日本で新規事業を手がけるベンチャー企業が直面する難問は、想定ユーザー企業が採用実績が無い新規技術の採用をためらうことです。「採用実績があれば採用するのだが……」という矛盾する対応に苦しむ企業ばかりです。テラは、この難問を見事にクリアし事業化に成功しました。

 テラが病院などの医療機関に提供するガン治療技術を医療従事者に説明すると、決まって「まずは治療実績をみせてほしい」と言わたそうです。自分では判断できないので、他社や他人での採用実績によって、採用リスクを低減する日本企業・機関の多くが持つ保守的な姿勢に直面したのです。

 採用第一号となった医療機関は、以下のような独自の工夫で獲得したそうです。当該病院に、テラが持つ樹状細胞の培養装置などの設備やシステムを協力して利用してもらう貸与の仕組みを考え出したのです。これによって、樹状細胞のガン治療技術を導入する当該病院は、初期の設備コストを抑えることができ、ガン治療を始めやすくなりました。 この事業戦略の下に、2005年5月にテラは東京都港区白金台にあるセレンクリニックと、樹状細胞を利用するガン治療技術サービスを技術供与する契約締結に成功しました。

 その後にも、難問があることが分かりました。創業の出発点になった東大医科学研究所の臨床的研究成果では、ガン患者からガンの部分を取り出し、これを患者本人の樹状細胞に与えてガン抗体情報を覚え込ませる過程を用いていました。ところが、多くのガン患者は他の病院などの医療機関でガンを摘出した後に、追加のガン治療としてセレンクリニックを訪れる方が多く、摘出したガンの部分が廃棄されて入手できないケースが多かったのです。テラは樹状細胞に対象となるガンの抗体情報を覚え込ませる手段が無いという大きな課題に直面しのです。「この当時が企業存続の危機として一番苦しい時期だった」とのことです。

 難問の解決策は幸運な出会いによってもたらされました。ガン治療法の研究者人脈を通じて知り合った、当時、徳島大歯学部の口腔外科講師だった岡本正人さん(現在、テラ取締役)は樹状細胞を直接、ガンの部分に注入する技術を開発していました。直接注入された樹状細胞がガン抗原情報を覚え、ガン抗原情報をリンパ球に伝えるため、ガン患者のガン部分が必要なくなりました。ただし、直接注入できる身体の個所のガン対象に限るとの条件が残りました。

 幸運な出会いは続きました。徳島大の岡本さんから、大阪大大学院教授の杉山治夫さんの研究成果であるガンの人工抗原「WT1ペプチド」の有効性を教えてもらったことでした。2007年8月に、WT1ペプチドの研究成果から産まれた特許を所有する癌免疫研究所(大阪府吹田市)から、同特許を樹状細胞利用のガン治療に使用できる独占的実施権を獲得しました。この特許の実施権を得たことによって、大部分のガン患者のガン部分が入手できなくても、樹状細胞を有効に働かせることが可能になりました。 ガンのワクチン療法の事業化を強化する努力を続けて、局面ごとに新しい知恵や工夫を取り込んでいます。事業内容を見直し続けることが成功を呼び込んでいます。

 今回の北大の遺伝子病研究所の教授である西村孝司さんとの共同研究が新しい知恵や工夫をもたらし、事業内容の強化につながると予想されます。その内容は、ガン抗原に特異的なヘルパーT細胞を誘導するという、小難しい内容です。この努力がいずれ幸運を呼び込みます。ベンチャー企業は事業内容を進化させ続けることによってしか、成功の女神のほほえみを呼び込まないと思います。