ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

仙台市太白区秋保町馬場大滝にある滝本山西光寺の奧にある秋保大滝を眺めました

2019年11月27日 | 旅行
 仙台市太白区秋保町馬場大滝という山奥にある滝本山西光寺の奧にある秋保大滝を眺め眺めました。

 この秋保大滝(あきゅうおおたき)は、幅が6メートル、落差が55メートルの見事な大滝です。







 秋になり、秋保大滝が見える渓谷の崖の木々の葉が落ちて、大滝が見やすくなっています。





 この秋保大滝から流れ落ちた清流は、美しい渓谷美を見せています。





 美しい渓谷に生えている木々は多くは葉を落としていますが、まだ紅葉したままのものもあります。



 滝本山西光寺がある山麓は、仙台市と山形市まで延々と低山が続く山深い山麓地域です。広義的には蔵王連山のすそ野といえます。



 この日は小雨模様の点になり、霧も時々、流れました。

 この渓流は、名取川に流れ込み、太平洋に流れでます。

仙台市太白区秋保町馬場大滝という山奥にある滝本山西光寺の周辺は晩秋の風景でしたた

2019年11月27日 | 旅行
 仙台市太白区秋保町馬場大滝という山奥にある滝本山西光寺の周辺は晩秋の風景でした。

 この滝本山西光寺は、山形県の山形市大字山寺にある宝珠山立石寺(通称 山寺)の奥の院です。



 平安時代初期の貞観2年(860年)に、清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が東北地方を巡錫した際に、この滝本山西光寺のすぐ裏側にある秋保大滝で100日間の荒修行をしたとう経緯から、この奥の院が建てられてと伝えられています。

 この仙台市の山の中から山形県の県境までは山々が続いています。昔は、ここから山の中を歩いて山形市などに向かうことが当たり前だったようです。



 仙台市太白区といっても山里であり、周囲は低山が続きます。

 滝本山西光寺の本堂の前に設けられたロウソクをお供えするところです。



 2011年3月11日に起こった東北大震災向けのローソクのお供え場所です。

 本堂の右側に大きなイチョウの木があり、黄色く色づいています。





 東北地方での紅葉は、カエデ(モミジ)系の木が少なく、赤茶けた紅葉をする木が普通です。





 植えたマユミの木が実をつけています。



 このマユミの実を狙って、シジュウカラが飛び回っています。



 滝本山西光寺の周囲の木々は葉を落とし始めています。



 周囲の低山の山々も色づいています。この日はやや小雨がちで、周囲には霧が出ています。





 山形市山寺にある本堂になる宝珠山立石寺は、通称「山寺」と呼ばれています。ここは、松尾芭蕉が「静けさや岩にしみいるセミの声」と読んだ古刹です。

宮城県白石市郊外の稲刈り後の田んぼでは、コハクチョウが落ち穂などを食べていました

2019年11月26日 | 旅行
 宮城県白石市斎川にある馬牛沼という池に、数日後にまた立ち寄りました。

 この馬牛沼(ばぎゅうぬま)に、コハクチョウの群れが飛来していないかどうかを確認するためです。

 宮城県白石市は、宮城県の南端にあり、福島県の北側にある伊達郡国見町に面しています。

 馬牛沼の西側の奧に見えるヨシ原を眺めました。マガモかカルガモらしいカモが小さく見えています。



 池の真ん中あたりに、マガモがいます。



 先日、この馬牛沼を訪れた際に、「コハクチョウたちはもう少し南側にある稲刈り後の田んぼにいる」と教えていただきました。

 そのもう少し南側にある稲刈り後の田んぼに行ってみると、20羽ぐらいのコハクチョウが稲刈り後の田んぼにいました。肉眼では、稲刈り後の田んぼに、白いモノがいるという程度にしか見えていません。





 羽根の色がまだ灰色のコハクチョウは、今年産まれた幼鳥です。身体はかなり大きくなっています。

 ここは国道4号線と東北自動車道路に挟まれた地域にある稲刈り後の田んぼです。ここにコハクチョウたちはエサを探しに来ています。







 ここから、さらに南側にある田んぼ辺りから、コハクチョウ数羽が飛び上がった姿が見えました。

 早速、さらに南側の稲刈り後の田んぼに行ってみると、コハクチョウが30羽ほどいる群れがいました。







 稲刈り後の田んぼに、コハクチョウたちは適度に分散して、イネの落ち穂などを食べている様子です。



 コハクチョウたちは、かなり分散して、落ち穂などを食べています。



 国道4号線から一見すると、稲刈り後の田んぼに白い何かが置かれているようにしか見えません。

 コハクチョウたちの存在に気がつくドライバーがまったくいない様子で、車はどんどん通過していきます。

宮城県白石市斎川にある馬牛沼では、マガモの群れやダイサギなどを観察しました

2019年11月25日 | 旅行
 宮城県白石市斎川にある馬牛沼という池に、わざわざ立ち寄りました。

 昨年11月の今ごろに馬牛沼(ばぎゅうぬま)に偶然、立ち寄った時に、コハクチョウが飛来していたからです。

 この宮城県白石市は、宮城県の南端にあり、福島県の北側にある伊達郡国見町を過ぎると、白石市に入ります。

 この白石市斎川にある馬牛沼の湖畔は、国道4号線沿いの休憩所スペースがあります。昨年11月に、ここで休憩をとった時に、コハクチョウが20から30羽ほどが馬牛沼で休んでいました。

 東側にある休憩所スペースから、馬牛沼の西側対岸までは肉眼では何とか見える程度に広い池です。天気は曇りです。





 この日は薄曇りで、対岸がやや霞んで見えています。

 今回は、休憩所スペース近くの湖畔水面には、マガモやカルガなどモがいただけです。





 マガモは休憩所近くの湖畔に人影が現れたことから、池の真ん中に逃げて行きます。

 西側の奧のヨシ原などに潜んでいるのかもしれないと、再度、池をよく観察しました。



 白い大きな水鳥が1羽、姿を見せました。それはダイサギでした。



 念のため、ダイサギが登場した南西側の湖畔に向かいました。

 ダイサギが悠々と休んでいるだけでした。





 馬牛沼の南西側の湖畔からは、休憩所スペース近くの湖畔水面を見ると、逆光にならず、マガモなどをよく見ることができました。





 

 この馬牛沼という一風変わった名前は、9世紀の初めに、征夷大将軍の坂上田村麻呂が使っていた馬が、この沼に落ちて死んだので「馬入沼」としたことから、名前が産まれたという説があります。

 この馬牛沼の形が、ウマの顔立ち・首周りに似ているという単純な説もあります。この結果、この辺りは馬牛という地名です。

 江戸時代には、ここでジュンサイが栽培されていたそうです。また、コイの養殖も一時期、盛んだったそうです。

 ダイサギが登場した湖畔辺りに、「コイの供養塔」があるそうです。

 実は、ここに飛来している数10羽のコハクチョウたちは、昼間は近くの稲刈りが終わった水田地帯に、落ち穂や草などを食べに行っているとの情報を教えていただきました。

福島県二本松市郭内にある二本松城の附櫓内はカエデなどの木々が紅葉しています

2019年11月24日 | 旅行
 福島県二本松市郭内にある二本松城の附櫓内はカエデなどの木々が紅葉しています。

 この二本松城(別名は霞ヶ城)は、昭和57年(1982年)に箕輪門と附櫓(つけやぐら)などが復元されたのを契機に、元の城を次第に復元したものです。

 この二本松城は、低山の地形を巧みに利用した“平城”だと解説されてます。戦国時代には、この復元されたような箕輪門と附櫓のかたちになっていたようです。

 二本松城は、江戸時代には二本松藩主の丹羽氏などの居城でした(戦国時代からなので、天守閣はなく、居住する館があったようです)。

 二本松城内では、有名な菊祭りが開催されていますが、実際にはもう解体作業が始まっていました(現状復帰に時間がかかるようです)。

 夕方に見た箕輪門です。





 二本松城の附櫓の中やその背後にある低山では、カエデなどがよく紅葉しています。







 観光バスで来た団体客の方々も、紅葉見物しています。

 二本松城内には、マツの木がいくらか植えられています。







 すぐに日が暮れ始めたので、翌日、朝に再度、二本松城を眺めました。よく晴れた日の朝日を浴びている二本松城です。

 この風景から、事実上は山城風であることが分かります。







 事実上は山城風であるために、その地形から現在の商店などが並ぶ市街地から少し離れてた尾根沿いのために、朝の散策をする二本松市民の方は少ない様子です。