気ままに

大船での気ままな生活日誌

ベルリン絵画館 (東ドイツ旅#17) 

2013-12-11 10:50:32 | Weblog
上野の西美で”ベルリン国立美術館展”を観てから、もう1年半になる。そのときの一番のお目当てがベルリン絵画館のフェルメールの”真珠の首飾りの少女”だった。そして、やっぱり、その少女との再会が、ベルリン訪問の一番の楽しみだった。というのは、フェルメール作品全制覇という生涯の目標もあるしね(汗)

というわけで、フェルメール2作品をまず、観る! ふたつ並んでいた。


真珠の首飾りの女。再会!


紳氏とワインを飲む女。初見!


これで、残すところは、これらの作品。バッキンガムの”音楽の稽古”(これは気まぐれ美術館といわれ、夏の二か月しか公開されない、それも予約が必要とのこと。一昨年、ロンドン行くも観られず。)そして、”合奏”(ボストンの美術館所蔵だが行方不明らしいから。当分、無理)。”信仰の寓意”(メトロポリタンに昨年行くも、残念ながら貸出し中)。”赤い帽子の女”(ワシントンナショナルギャラリーに行くも、これも貸出中だった)。”聖プラクデス”(2000年に大阪に来てたらしい、でも、あの頃は一番忙しい頃だったしね)。あと5点!!わくわく。できれば、来日して欲しい。

さて、お次は、ピーテル・ブリューゲル、 ”ネーデルランドの諺” 1559。 84の諺の絵で構成されている。


その一部。この中にも4つくらいの諺が。


クラナハ(父)の作品も多い。


クラナハ(父) 青春の泉 1546


クラナハ(父) ヴィーナスとクビド 1530年頃


さあ、あとは順不同で。気まぐれアルバム

ホルバイン 商人ゲオルク・ギーゼ 1532


デューラー ”ヤーコプ・ムッフェルの肖像”上野に来ましたね。


デューラー ”びわの聖母子”1508


デューラー ”ヒロエニムス・ヘルシュアーの肖像”


カンピン ”太った男の肖像”1425


ウエイデン ”若い女性の肖像” 1440


クリストウス ”若い婦人の肖像”1470


ヤン・ホッサルート ”ネプチョンとアンフィトリト”1516


ルーベンス ”アンドロメダ”(左)1638頃


ルーベンス 聖セバスティアン(右)1618頃


レンブラント派の”黄金の冑の男” 上野に来ましたね。


カラヴァッジョ ”勝ち誇るアモル” 1601-02


ティツィアーノ ”ヴィーナスとオルガニスト”1550-52


ラファエロ ”聖母子と洗礼者ヨハネ”1505


カルバッチョ ”キリストの死”1520


フラ・アンジェリコ ”最後の審判”1450頃


ジョット ”聖母の埋葬”1310


ファン・エイク ”教会聖母子”1425


ボッティチェリ ”歌う天使聖と母子” 1477


ピエロ・ディ・コジモ ”ヴィーナスとマルスとクビド” 1490頃


ポライウオーロ ”若い女の肖像”1465


この婦人像も近くに。気に入ったのでトリに。


ベルリン絵画館。


さあ、東ドイツ旅日誌もいよいよ終幕へ。次回、ベルリンフィルと北里で〆ようかな。昨日は、岩下志麻さんのトークと映画。そっちが先になるかも。

さて、今日の遊びは、上野か千葉か、はたまた横浜か。気まぐれ散歩のはじまりはじまり。

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御殿場の赤富士

2013-12-10 09:56:26 | Weblog
師走に入って、この10日ばかり、走り回るように忙しかった。もちろん遊びにだけど。 仙台周辺で、4,5日ゆっくりし、帰ってからまた、箱根で夫婦参加の拡大ミニクラス会等があったりで、休む日がなかった。でも、ぼくの唯一の仕事、ブログだけは、1日1本のノルマを果たしてきた。えへん、えへん。ただ、旅先での投稿ではあったが、テーマは、”東ドイツ旅シリーズ”に限ることにした。おかげで、このシリーズも、あと一つ、二つとなり、ようやくゴールがみえてきた。我が家で落ち着くようになったので、これからは、日常の出来事を綴れるようになった。

その事はじめに、ミニクラス会会場となった御殿場のホテルから観た、朝日を浴びた”赤富士”を紹介しよう。前日は雲隠れしていたが、翌朝、夜明けすぐには、わずかしか顔をみせていなかった富士が、明るくなるにつれて、雲が少しずつ晴れてきて、そして、なななんと、ピンク色に輝き始めた。”赤富士”だ!ワイフは温泉に行ってしまったが、ぼくはもう一瞬も、目が離せなくなってしまった。刻々と色や、雲の流れが変わるんだもの。欲をいえば、もう少し、雲が少な目であったならと思うけど、こんな素晴らしい富士を観られただけでも幸せと思うわなきゃ。

このホテルの自慢は、目前に拡がる大きな富士山と洞爺湖サミットの料理人を務めたシェフのフランス料理。どちらも、本当にすばらしかった。とても楽しいミニクラス会だった。



一番、赤かった頃。




雨が降っても大丈夫(笑)。窓の下の庭園の巨大富士。


御殿場線の駿河小山駅構内にあった金太郎桜。金太郎の出身地。


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ベルリン 新博物館で王妃ネフェルティティに会う (東ドイツ旅#16)

2013-12-10 08:51:43 | Weblog

ベルリン博物館島、最後の訪問先は”新博物館 (Neues Museum)”。閉館間際に飛び込んだ。お目当ては、”ネフェルティティの胸像”

ネフェルティティとは?エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアクエンアテンの正妃であり、あのツタンカーメンの義母でもある。何故、有名かというと古代エジプトの三大美女の一人だから。

ちなみに三大美女とは。
クレオパトラ(プトレマイオス朝の女王)BC1世紀
ネフェルタリ(ラムセス2世の正妃)BC13世紀
ネフェルティティ BC14世紀

吉村作治/エジプト博物館によると、美人だけではない、こんな功績もあるという。
ネフェルティティがアメンヘテプIV世の妃になった瞬間、エジプトのたくさんの神を全て否定し、沈む太陽神、アテン神のみを信仰するようにしようと、そして、王の名前までも変えてしまったんです。アメンヘテプの「アメン」は「満足する」という意味なんですが、それまでもやめてしまい、アクエンアテン(=アテンに捧げる)にしてしまったんですね。ネフェルティティの1番の業績は、エジプトの神をひとつにしたということです。そのためにヨーロッパの人たち…ユダヤ教徒もキリスト教徒も、自分たちの宗教のもとをつくった人と考え大変な信仰を受けています。

美しいだけではなく、大変なやりてだったんですね。この美女は、1912年にドイツ人考古学者ポルハルトらによりナイル河畔のアマルナで発掘されたものですが、エジプトから我が王妃さまを返してくれと、まだ国際裁判で係争中だそうですよ(笑)。

新博物館


新博物館の看板娘


ネフェルティティの胸像。撮影禁止で絵ハガキからの写真。石灰岩の素体に漆喰で肉付けしている。高さ48cmの像。砂の中に埋まっていたので色は鮮やか。右眼は象嵌だが、左眼は彫った形跡もなく、おそらく習作ではないかと考えられている。


博物館島の4つの博物館・美術館巡りが終了しました。さて、次回はフェルメール2作があるベルリン絵画館にでかけましょう。

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ベルリン ボーデ博物館 (東ドイツ旅#15)

2013-12-09 16:41:49 | Weblog
ベルリン博物館島、次はボーデ博物館をご案内しましょう。まずはステキな建物から。1904年、ヴィルヘルム2世の命により、建築家イイネがつくった歴史的建造物。”ヴィルヘルム風バロック”と呼ばれているらしい。イイね! 1990年代に大改築が行われ、2004年に再オープン。


中へ入ってみましょう。




ここは、彫刻、ビザンチン美術、コイン、メタルの所蔵で知られているとのこと。彫刻は、東方教会、とくにエジプトのコプト正教会関連の、ビュザンティオン、ラヴェンナから蒐集した中世イタリアンゴジック期、初期ルネサンス期のもの。加えて、後期ドイツゴジックの彫刻家メンシュナイダーの作品、18世紀プロイセンのバロック彫刻も多いとのこと。

作品名、来歴が分からないものもありますが、載せておきます。そのうち、分かったら追記しておくこととしましょう

石棺の一部 コンスタンチノーブル 4世紀初め モーゼ


ゲーム コンスタンチノーブル 500年頃


ラヴェンナ サンミケーレ教会の内陣モザイク 545-546


モザイク コンスタンチノーブル 12世紀初め






 

そして、リーメンシュナイダー ”聖ゲオルクとドラゴン”1490-95。これは、1年半程前の西美の”ベルリン国立美術館展”でもおでまし下さった。再会!


ベルニーニ ”イルカにのる天使”1618


カノーヴァ ”踊り子”1809-12頃










さようなら、ボーデ博物館。また逢う日まで。







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ベルリン ペルガモン博物館 (東ドイツ旅#14)

2013-12-08 09:56:04 | Weblog
さて、次のベルリンの博物館島の訪問先は? はい、ペルガモン博物館です。大英博物館やルーブル博物館を小さくして、ドイツに持ってきたという感じの博物館。これを目当てにこのツアーに参加したという人もいた。その人は、前回、ベルリンに来たときには改修中で入れなかったとのことだった。

館名の由来にもなっている”ペルガモンのゼウス大祭壇”を筆頭とした古代コレクション部門、古代中東部門、それとイスラム美術部門から成っている。それでは、いきなりエース登場と参りましょう。

ペルガモンのゼウス大祭壇。小アジアのペルガモン(現トルコ・イズミール北方)にあったBC2世紀前半の神殿の一部。ペルガモン王国が戦勝記念にゼウスとアテナに感謝を込めて建て、基壇の周囲に”巨人族とオリンポスの神々との戦い”をモチーフにしたレリーフで飾った。1864年、カール・フーマンらが発掘し、ドイツに持ち帰ったもの。それが、ここに再構築されている。まことに見事なものである。

ペルガモンのゼウス大祭壇。幅35m、奥行33m、階段部分の幅20m。


ゼウス大祭壇の彫刻。ヘレニズム藝術の傑作とされている。




ゼウス大祭壇の彫刻 ”巨人アルキュオネウスを抑えるアテナ神”


さて、次は、小アジア西海岸、イオニア文化の中心地、ミレトスの市場北側にあった大理石の門。BC2世紀に建てられ、その後、地震などで修復を繰り返し、10-11世紀には不明となった。20世紀の初め、発掘され、断片しかなかったが、新たなレンガやセメントで繋ぎあわせ、1930年に完成、博物館内に設置した。

ミレトスの市場門


古代メソポタミアで栄えたバビロニア(現イラクのバグダットの南90キロ)、BC575年、都市防衛のために王が建てた。門いは守護神、豊穣神、軍神であるイシュタル女神が祀られた。発掘は1902-1914年に行われ、1930年代に博物館内に復元された。

イシュタル門 青いガラス入りの釉薬を塗って焼いた煉瓦でつくられた。


ライオンの行列道


ムシュフシュ(蛇の頭と胴体に、ライオンの前足と鷲の後ろ足、そして サソリの尻尾を持つ霊獣)



ウマイヤ朝時代の君主の冬の居城として造成された。ウマイヤ朝が滅亡した750年でも未完成だったという。現在のヨルダン・アンマンの南30キロ。

ムシャッタ宮殿


石を彫刻したつくりで、初期のアラベスク文様の好例だそうで、動物も描かれている。



イスラム美術もいっぱい。

アレッポの部屋 1600年頃


旅でも美術館見学でも、実際、観ているときだけではなく、事前に調べている時間、帰ってから、またいろいろ確認したりの調査の時間も楽しいもの。旅行記も長くなっていますが、これも、楽しみのひとつなので許してたもれ。
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ベルリン アルテ・ナショナルギャラリー (東ドイツ旅#13)

2013-12-07 09:22:44 | Weblog
ホテルから近い博物館島にある四つの美術館、博物館を訪ねてみよう。まず、ギリシャ神殿風の建物のアルテ・ナショナルギャラリー(旧国立美術館という意味)から。1876年に、銀行家ワグネルからの寄贈品を基に開館した美術館だ。先の大戦で被害を受けたが、1949年に一部再開し、その後、修復を続け、2001年に現在の形になった。

アルテ・ナショナルギャラリー


ぼくの知らない絵画、彫刻が多い。でも、何でもみておくと、あとで、あっ、あの作品だ、あの人の描いた絵だ、と喜ぶ日が必ず来る(笑)。というわけで、撮影OKでしたので、なるべくたくさんの写真を載せておこうと思います。

ベックリンの代表作”死の島”(1883)5枚シリーズの3枚目。先に、ライプツィヒ造形美術館で、5枚目をみている。


同じベックリン ”波” 1883


フリードリヒ ”窓辺の婦人”1882。 ドレスデンのノイエ・マイスターでフリードリヒの作品をたくさんみていたので、すっかりなじみとなった。


ドラクロワ ”座る裸婦”1820


ゴヤ ”メイボール”1808-12


クリューガー ”ベルリン・オペラ広場のパレード”1824-30


メンツェル ”サンスーンでのフリードリヒ大王のフルートコンサート”1852


クールベ ”エトルタ”1870


セザンヌ ”ポントワーズの水車小屋”1881


モネ ”サン・ジェルマン・ロクセロワ教会”1886


りーバーマン ”ラレンの亜麻紡ぎ場” 1887


シュトゥック ”罪”1912


彫刻も。

シャドウ ”プリンセスルイーズとフリーデリケ”1795-97


カノーヴァ ”ヘーベー”1796


ロダン”青春時代” 1875~76


子供たちも見学

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ベルリン ウンター・デン・リンデン通り (東ドイツ旅#12)

2013-12-06 10:32:01 | Weblog
ドレスデンに3泊、ライプツィヒに2泊して、いよいよ、最終宿泊地ベルリンに入る。ラディソンホテル。みかけはおとなしい建物だが、中に入って、びっくりぎょうてん。ロビーの中央に巨大な円筒の水槽がどか~んと。巨大水族館だった。水槽の中央にエレベーターがあってお魚の鑑賞もできる。地震国、日本では考えられないデザイン。奇抜なデザインは客室内にまで及び、とくに洗顔、お風呂の使いにくさといったら、とほほのほ。

ホテル外観


館内水族館


でも地の利は抜群にいい。ウンター・デン・リンデン通りに面している。すぐ左(東側)には、展望台のあるテレビ塔、そしてその横はマリエン教会で、森鴎外の短編小説”舞姫”の舞台になったところ。主人公、太田豊太郎が美少女エリスと出会った古寺とはここ。軍医、森林太郎の実話をもとにしている。森は北里柴三郎とも会っている。それは稿を改めて。

マリエン教会とテレビ塔


そして、目の前の小さな公園にはマルクスとエンゲルスの像が。統一前は、ここは東ベルリンだった。


ウンター・デン・リンデン通りを西に向かって歩こう。ここは、パリのシャンゼリゼ通りみたいな、ベルリンを代表する大通り。ホテルを出て、すぐの橋を渡るとベルリン大聖堂。


大聖堂の向こうは博物館島(中州)となっていて、4つの美術館、博物館が並んでいる。ぼくらはすべて見学。




そして、さらに西に。歴史博物館(旧武器庫ツォイクハウス)を横にみて。


コッホに師事していた北里柴三郎が留学していたフンボルト大学(旧ベルリン大学)を横にみて。


ショーウィンドウのベンツをちらりとみて。ドイツ人は車が大好きとのこと。アウトバーンだしね。


フリードリヒ大王騎馬像。ここから菩提樹(リンデン)の並木が始まる。


さらに歩く。


菩提樹の並木の向こうにブランデンブルク門がみえてきた。


ホテル・アドロンを左にみて。エジソンやアインシュタインも泊まったという格式あるホテル。


そして、その先に、ブランデンブルク門。1961年8月13日まで、この門を通り、東ドイツ国民の西への流出が続いていたが、この日開始されたベルリンの壁建設により門は通行禁止となった。そして、ベルリンの壁崩壊で、人々がこの門の前で大歓声を上げたのは、1989年11月9日のことであった。


門の向こうには広大な森林公園が。晩秋の風景の中を歩く。


遠くに、ホテルの近くのテレビ塔が。歩いても30分ほど。




森を抜けると、ベルリンフィルホールやベルリン国立美術館が控えている。どちらも楽しんだ。

・・・・・
次回以降、美術館、博物館巡り、ベルリンフィルそして北里柴三郎と森鴎外を予定している。ピッチを上げねば、年越ししてしまう。
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マグデブルグ 賢い乙女と愚かな乙女 (東ドイツ旅#11)

2013-12-05 12:52:04 | Weblog
ライプツィヒを後にして、ぼくらは進む、ベルリンへ。その途中で寄ったマグデブルグ。

まず、この写真からご紹介しましょう。あっ!と思う人は理系女子(男子でもいいんですが)。そうでない人は(何をやっても)無理系女子(爆)。


そうです、マグデブルグの半球です。1654年、神聖ローマ皇帝の前で行った公開実験。二つの金属製の半球を接合させ、真空ポンプで空気を抜いて、両側から馬に引かせますが、びくともしません。ようやく16頭の馬で半球は外れました。デカルトが否定した真空の存在を証明した有名な実験です。この実験家の名は、オットー・フォン・ゲーリケ。マグデブルグの市長も務めたとのこと。

市庁舎の前のゲーリケ像。


さて、タイトルの”賢い乙女と愚かな乙女”がいる大聖堂にご案内しましょう。

聖マウリティウス・聖カタリーナ大聖堂。100メートル前後の二つの塔は東部ドイツでは一番高いという。ロマネスクからゴジックの移行期の13世紀に建てられた。1517年、ルターの宗教改革が始まり、この教会もプロテスタント寄りになり、その後、プロテスタントの拠点となった。そのため、30年戦争時の1631年、市民2万人が殺されるという大虐殺に会う。生き残ったのは400人だけだったという。その後、ナポレオンの時代を経て、プロイセン王国の一部となり、大聖堂が修復された。第二次世界大戦では1発の爆弾が西側に命中したが、大被害にはならなかった。

大聖堂




内陣


オットー一世のお墓。 初代神聖ローマ皇帝で、マグデブルグで暮らした。


そして、お待ちかね、賢い乙女と愚かな乙女!!

賢い乙女。にこにこしている。1250年頃の作。


愚かな女。嘆いている。


賢い乙女と愚かな女の分かれ目とは。天の国の花婿を迎える、灯りを手にする十人の乙女たち。5人は灯りの他に、器に入れた油ももっていた。花婿の到着が遅れ、寝込んでしまった。到着したときに、油をもたない5人は油を買いに行ったが、その間に婚礼の祝宴場は閉じられていて、ぎゃふん。様々な状況を考えて、行動するのが賢い乙女というわけ。

教会内部




回廊


回廊と中庭


そして、マグデブルグは現代建築の街でもあった!!”緑の砦”という愛称のマンションです。落ち着いて住めるかどうか。賢い乙女は住まないような気がする。
有名な建築家の設計だそうですが。


次回はいよいよベルリンに入ります。
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ライプツィヒと朝永振一郎(東ドイツ旅♯10)

2013-12-04 10:07:01 | Weblog
ライプツィヒでの話題が、現代史、音楽、美術と続いたあとは自然科学と参りましょう(笑)。

1938年4月から39年5月28日までこの方がライプツィヒに滞在していました。



そうです。ノーベル物理学賞の朝永振一郎さんです。

えっ!ライプツィヒの何処に。ここです。


ライプツィヒ大学です。もちろん当時はこんなモダンな校舎ではありませんが。マイセン辺境伯フリードリヒ4世が1409年に創立。ドイツではハイデルベルク大学(1386年に創立)に次ぐ歴史と伝統を持つ大学です。物理学者のハイゼンベルクとヘルツ、化学者のオストヴァルト、数学者クライン、メビウスなどが在籍した。ここで学んだ人もすごい。ゲーテ、ニーチェ、シューマン、ワグナー、歴史家のランケ、それに現ドイツ首相、メルケルもここで物理学を専攻している。

朝永振一郎が師事した先生はこの方。

ハイゼンベルクです。1932年に31歳の若さでノーベル物理学賞を受賞した量子力学の分野で、当時、世界のトップにいた科学者。

何故、ぼくがこのこと知っているかというと、ぼくは朝永の随筆集をいくつか持っていて、そのうちの一つ、”鏡の中の世界”の中に、ドイツ留学日誌が収められている。この本をドイツ旅行の前に目を通していたのだ。

今日も、仕事があまり進まず、憂鬱な気分であるとか、理化学研究所の仁科先生からなぐさめの手紙をもらい、何度も読み返し、涙ぐんだとか、そんな、たわいのない、どちらかというと暗い内容が多い(笑)。また、音楽もお好きなようで、トーマス教会やゲヴァントハウスにもよく出掛けている。

一方、師匠のハイゼンベルクも自伝的評論、”部分と全体”を書いている。ぼくは、これも持っていて、旅行のあと、目を通してみた。

この本は、年代別にテーマが設けられ、朝永が在籍した、1937~1941は、”政治的破局における個人の行動”のテーマだった。当時の朝永 の様子でも記述されているかと探したが、見つからなかった。

その頃のドイツはナチス台頭の時代で、ユダヤ人問題や原爆製造に意見を求められたり、彼自身、苦悩のときだったようだ。留学生のことまでは筆が及ばなかったのは当然のことだろう。

ライブツイヒ訪問が縁で、長い間、埃を被っていた二つの、師弟の本が日の目を見ることになった(笑)

鏡の中の世界


部分と全体


秋保温泉にて。
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ライプツィヒ造形美術館 (東ドイツ旅#9)

2013-12-03 06:33:33 | Weblog
ライプツィヒは、音楽ばかりではなく、もちろん美術館も充実。造形美術館がその筆頭。1856年にゲヴァントハウスの近くに設立されたが、第二次世界大戦の爆撃で破壊され、戦後は旧裁判所の建物内に置かれた。2004年に現在地に新築された。4フロアーに、500年にわたるヨーロッパ美術史が集約されている。半日、廻ったが、印象に残った作品をここに載せて、記憶に残そうと思う。撮影可能だったのはうれしかった。

彫刻家マックス・クリンガーのコレクションで有名とのこと。クリンガーの名は、この少し前に神奈川近美・鎌倉別館の西洋版画展で観ているから知っていた。手袋シリーズの版画だった。彫刻家であり、版画家、画家でもあるのだ。彼の名作という”ベートーベン像”がここにある。楽聖ベートーベンを古代神になぞらえ、7年もかけて造ったそうだ。1902年作。

”ベートーベン像”残念ながら写真ボケであった


クリンガー ”新サロメ”こちらはばっちり。


ベックリンの代表作”死の島”5枚シリーズの5枚目。順に、1枚目がバーゼル、2枚目がメトロポリタン、3枚目がベルリンで所蔵。4枚目は戦災で焼失したとのこと。


クラナハ(父)の作品も多い。”幽閉時代のルター”


クラナハ(父)”泉の水の精”


エルグレコ ”受胎告知”


ドラローシュ ”フォンテーヌブローのナポレオン”


ハルス ”ムラート”


ホーホ ”あんよの稽古”


グリーン ”女性の7段階”


ベルモーザ ”破滅”


LENBACH作


SIRANI作


作者不明


美術館風景




美術館カフェでのランチで終わりたいと思います。いかにもドイツ料理。ビールと一緒に。おいしかった。


旅先から、別の旅日誌の投稿です(汗)。仙台周辺の紅葉がまだ残っていてくれてグー。牛たんもお寿司もいただきグー。
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