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気ままに

大船での気ままな生活日誌

ライプツィヒと朝永振一郎(東ドイツ旅♯10)

2013-12-04 10:07:01 | Weblog
ライプツィヒでの話題が、現代史、音楽、美術と続いたあとは自然科学と参りましょう(笑)。

1938年4月から39年5月28日までこの方がライプツィヒに滞在していました。



そうです。ノーベル物理学賞の朝永振一郎さんです。

えっ!ライプツィヒの何処に。ここです。


ライプツィヒ大学です。もちろん当時はこんなモダンな校舎ではありませんが。マイセン辺境伯フリードリヒ4世が1409年に創立。ドイツではハイデルベルク大学(1386年に創立)に次ぐ歴史と伝統を持つ大学です。物理学者のハイゼンベルクとヘルツ、化学者のオストヴァルト、数学者クライン、メビウスなどが在籍した。ここで学んだ人もすごい。ゲーテ、ニーチェ、シューマン、ワグナー、歴史家のランケ、それに現ドイツ首相、メルケルもここで物理学を専攻している。

朝永振一郎が師事した先生はこの方。

ハイゼンベルクです。1932年に31歳の若さでノーベル物理学賞を受賞した量子力学の分野で、当時、世界のトップにいた科学者。

何故、ぼくがこのこと知っているかというと、ぼくは朝永の随筆集をいくつか持っていて、そのうちの一つ、”鏡の中の世界”の中に、ドイツ留学日誌が収められている。この本をドイツ旅行の前に目を通していたのだ。

今日も、仕事があまり進まず、憂鬱な気分であるとか、理化学研究所の仁科先生からなぐさめの手紙をもらい、何度も読み返し、涙ぐんだとか、そんな、たわいのない、どちらかというと暗い内容が多い(笑)。また、音楽もお好きなようで、トーマス教会やゲヴァントハウスにもよく出掛けている。

一方、師匠のハイゼンベルクも自伝的評論、”部分と全体”を書いている。ぼくは、これも持っていて、旅行のあと、目を通してみた。

この本は、年代別にテーマが設けられ、朝永が在籍した、1937~1941は、”政治的破局における個人の行動”のテーマだった。当時の朝永 の様子でも記述されているかと探したが、見つからなかった。

その頃のドイツはナチス台頭の時代で、ユダヤ人問題や原爆製造に意見を求められたり、彼自身、苦悩のときだったようだ。留学生のことまでは筆が及ばなかったのは当然のことだろう。

ライブツイヒ訪問が縁で、長い間、埃を被っていた二つの、師弟の本が日の目を見ることになった(笑)

鏡の中の世界


部分と全体


秋保温泉にて。
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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (城戸 義明)
2016-01-29 12:29:56
掲載されている朝永振一郎先生の写真は大変素晴らしいと思います。今、文科系学生向きの教科書を書いているのですが、「ゾイデル海の水防とローレンツ」の項で、写真を是非掲載したいのですが、写真の掲載の許可をどこにお願いしてよいか分かりません。この写真が、本に掲載されていれば、その出版社にコンタクトすればよいと思うのですが、何か情報をご存知でしたらお教えいただけないでしょうか。
立命館大学・理工学部:城戸義明
返信する
Unknown (城戸 義明)
2016-01-29 12:33:29
先ほどコメントを投稿したのですが、朝永振一郎先生の写真の出所先に関して、情報をお持ちでしたら、下記あてにご連絡いただけると有難いです。

立命館大・理工
城戸 義明
e-mail: ykido@se.ritsumei.ac.jp
返信する
城戸義明さま (marbo)
2016-01-29 18:16:21
コメントみさせていただきました。
朝永先生の写真は本文中にも示してありますが、先生の随筆集”鏡の中の世界”からのもので、最初のページに大きく載っているものです。

教科書に載せるとするならば、正式に出版社に許可をいただいた方が良いかと思います。

みすず書房です。ぼくの蔵書は第1版8刷りで、昭和43年です。たぶん、もう絶版かと思います。また、何かございましたら、どうぞ遠慮なくご連絡下さい。
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