まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

母の賢さ

2006年06月27日 | にこにこ
 今日は出先で、すっかり時間がおしてしまいました 昼食の時間はすでに過ぎ、夕方まである予定を思えば、もうそのまま昼食抜きでいこうか、とも思ったのですが、どうも今日は朝の面談の時間中から、おなかがグーグーとなっていました
 考えた挙げ句(大袈裟ですが・・・たかがランチ、されどランチです)、ぱっぱとマクドナルドで済ませることに決定

 そのマックは、子供向け施設に併設されたかたちのお店で、店内は親子でいっぱい いろんな親子を見ながら、お食事をするのは、なかなかおもしろいものです

 私が食べていると、そこに大泣きしている3歳くらいの女の子と、その前を怖い顔で歩くお母さんが店内に入ってきました
 たまたま、ジュースをトレイに乗せて、二人は私のお隣の席に座りました
 相変わらず、子供は大泣きのままです まさにワーワー状態

  「もう泣くのは止めなさい いくら泣いたって、ママの言うことは変わらないよ
  「やだよー、やだー、欲しいよー、欲しいのー
  「あなたが欲しいのは、もうわかっている でも、ああいう大きな、高いオモチャは、お誕生日やクリスマスの時に買うお約束のものよ 今は、お誕生日でも、クリスマスでもないもの。ここであなたがどんなに泣いても、それはお約束でしょう?決まったことじゃないの」 今は、我慢しないといけないでしょう?」
  「我慢できない ちさとちゃんは持ってるもん ちさとちゃんは我慢してないもん 私だけ、我慢はいやだもん
  「ちがうな、それはあなたは間違ってるよ 我慢しているのは、あなただけじゃないわよ さっきボールの売り場にいた男の子も、サッカーのボールが欲しいって泣いてたけど、あの子のママだって、ダメよ、お誕生日よ、って言ってたでしょう?・・・ほらね、あの子だって、我慢したんじゃない あなただけじゃないでしょう?」
  「でも・・・ちさとちゃんは、持っているよ ちさとちゃんは我慢してないじゃないー
  「あのね、ちさとちゃんは、きっと別のことを我慢してると思うよ みんな、それぞれに、我慢すること、我慢する時は違うのよ。でも、みーんな大人も、子供達も、いろんな我慢をしているのよ
  「・・・・
  「さあ、オレンジジュース、飲みなさい 飲みたいって言ったでしょう?オレンジジュースは、我慢させなかったわよ でも、あのオモチャは、今は我慢 お誕生日にね いいわね、わかった?」
  「・・・わかった・・・ オレンジジュース、飲む・・・」
  「そうね、ジュース飲んでね きっと今どこかで、あなたが飲んでるオレンジジュースを、飲みたいけれど、我慢してる子がいると思うわよ
  「うん、そうだね オモチャは、お誕生日まで我慢する

 その頃には、すでに子供は泣きやんで、お母さんのお話を、しっかりと聞いている様子でした
 私は、この母子の会話の一部始終を盗み聞きして、心底、賢いお母さんだなあ、と感銘を受けました
 怒鳴り散らして終わるのでもなく、かと言って、教育をしております!的な様子で、まわりを意識しながら、娘に必死に話している、というわけでもないのです

 きっとこの親子、日頃から、こういう感じで暮らしているのでしょうね お母さんの上手なリードで、さすがに子供も、きちんと「聞く耳」を持ち「表現する力」も育っているのでしょう

 あまりに泣きすぎて、顔がむくんでしまっている女の子でしたが・・・とっても嬉しそうに、「きっとその瞬間、誰かが飲むのを我慢した」ジュースを飲んでいましたよ
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子供の冒険心、知ってますか?

2006年06月25日 | にこにこ
 
 「ねえ、ママ ママ 見て
そう声をかけたかと思うと、4歳くらの男の子は、1メーターくらいの高さの段から、ピョーンと飛び降りました
 私も一瞬ハッとはしたものの、すぐに「おー、上手」 と、私はその子の度胸と運動神経に心の中で拍手しました
 けれど、息子の声に振り返った彼のお母さんのほうは、ぎょっという顔をして、声を失い、そして・・・
 「何やってるの 危ないじゃないの ケガしたらどうするの」と怒鳴りました あるスーパーの駐車場での出来事です・・・

 確かに、骨折や捻挫など、運の悪い時には、20センチの高さの段から飛んだ時でもケガをしてしまうものです 20センチの水位で溺死することもある・・・同じですね。
 それを思えば、この1メーターからのジャンプは、お母さんをどきっとさせるに十分な高さでした

 その子は、着地の瞬間、何とも言えずご満悦の英雄顔をしていたにも関わらず、ママにぴどく叱られ、すっかり気分は萎えてしまったように見えました。
 けれど、そのうちに、何となく腹も立ってきたのでしょうねえ 「ヒーローをヒーローとして扱わないママ」を睨みつけながら、無言でママの後ろを歩いていきました

 子供は、みんな冒険が好きです いえいえ、うちの子は臆病な子で、冒険心を持って欲しいくらいです、とおっしゃるご両親もおいでになるでしょうが、冒険とは、特別な「探検ごっこ」をする、とか「アウトドア派」とか、はたまた「お化け屋敷好き?!」というようなことだけを言うわけではありません
 
 つまり・・・幼い子供にとっての「冒険」は、決して深い森の中を行くことでも、高い山に登ることでも、海の底を見たり、流れの早い川を下ることでもなく、日常生活の当たり前のことから、ちょっぴり「はずれたことをする」、ということなんですのですね
 
 たとえば、駐車場の男の子のように、高いところから飛び降りる、これも子供にとっては、立派な「冒険」です 
 それに、子供はよく、道の脇の、20センチ程度のちょっとしたブロックの上を、平均台を歩くように、歩きたがったりしませんか?そしてママにこう言われる
 「もう、○○ちゃんは・・・なんでそういう事をするかなあ いったい何なの?そんなところを歩いて楽しい?もう、普通に歩きなさい!フツーに

 きっとこんなことだってあるでしょう? 
商店街、アーケード路面に、模様があるところって、ありますよね。たとえば、うねうねっと波状に別の色の石ははめ込んであって、長い蛇がうねったように見える歩道・・・そういうところを、子供はわざわざうねうねの波状の上を歩いたりしませんか?
 チェス盤のように、黒白の市松模様のブロックをはめ込んだ路面の歩道を、同じ色だけ選んで歩く、とか・・・
 これだって、立派な「冒険」なんですよ

 子供が、「冒険」をすると、その空間だけは「別世界」になるんです 子供には違うものが見え、違い世界がそこに拡がる

 もしあなたが、そういう子供の気持ちを、少しでも理解したい、味わってみたい、と思う優しいパパ、ママなら、こんなことをしてみてください
 お家の中のあっちの部屋、こっちの部屋を、10センチくらいの台に乗って見回してみる・・・

 どうですか
違う世界が見えませんか いつもと全く同じ部屋なのに、何だかちょっぴり違った世界に見える 視線が10センチ違うと、視界は違ってくるものなんです
 
 もちろん、危険が伴うことは、しっかりと子供にわかる言葉で注意をし、禁止しなければなりません けれど、多少のことならば・・・
 
 しかし、残念ながら、こういう素敵な冒険心も、成長とともにいずれは失われていくものです スーツ姿の若いビジネスマンが、ブロックの上を歩いている姿を見ることはないでしょう?
 それならば、誰にも迷惑をかけず、大きな危険を伴わず、反道徳的な行為でなければ、子供の冒険心を尊重してあげられる、そういう「夢のあるパパ、ママ」でいてあげる・・・
 きっと子供は喜ぶでしょうね
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能面のママ

2006年06月23日 | にこにこ

 「あのー、ここ、自転車が出入りするとこなんですけどー、ちょっと後ろとか前とかに、車、動かしてもらえますー

 道の脇に停車中の車の窓を、コンコンと叩いた自転車の女性は、そうぶっきらぼうに大声で話しました えっ?と思い、助手席に座っていた私は、運転席側の窓を開けました 化粧っけのないその女性は、また同じことを、もっと能面のような顔をして繰り返しました

 私が友人の車の助手席に座り、彼女のお嬢さんと一緒に、運転手である友人が戻ってくるのを待っていた時のことです。
 「すごーくコワイ顔・・・」小さな小さな声で、後部座席に座るお嬢さんもつぶやきました
 
 そう言われれば、確かに、友人が車を停めた場所は、そのマンションの出入り口のところにあたり、車が自転車の出入りの邪魔をするかたちになっていました
 私はすぐに車を飛び出し、詫びてから、運転席のほうに回って車を動かしました
 「本当に申し訳ありませんでした車を動かした後、再度その自転車の女性に私は深々と頭をさげて、そう声をかけましたが、彼女はニコリともせず、何も応えることもなく、ギローリと車を睨みtsけ、幼児園児に見える後部の席に座っていた子供に「行くよ」と声をかけて去っていきました

 確かに、そういう場所であるということを確認せず、たとえ短時間とはいえ、車を駐車させた私達が悪いのです
 しかし、それでもやはり、私は何だか殺伐とした思いで、その自転車が去っていくのを眺め、そして思ったのでした
 「大きなお世話だろうけど・・・あの後部席に座った女の子も、あんなふうなコワイ顔をした、大人の女性になるのかなあ・・・

 人には、生まれ持った性格があります
「人柄」という言葉で表現される、一人一人の言動、立ち居振る舞いから自然に醸し出される雰囲気は、なかなか後からコロッと変えることは出来ません とは言え、幸いなことに、人には学習能力があるのですね
 自分の中に、さまざまなものに反応するセンサーがあれば、日々生活をしているうちに、自動的にビビビッと反応し、ショックを受けたり、恥ずかしい思いをしたり、にんまりと満足したり・・・
 そういうセンサーの精度が高ければ高いほど、マイナスにもプラスにも敏感に振れる・・・そして、人と和して、楽しく有意義に暮らしていこうという心あるピュアな人は、ショックを受けたり、恥ずかしい思いをしたり、という自分にとって「マイナス」の反応を受けた時には、何とかそれを修正し、より「素敵な自分」を目指そう、とするものでしょう

 まあ、時には、社会人としての経験を積まれた40代以上の男性で、ご自分の学歴や経歴に大きな自信のある方の中には、そういうセンサーを持っていない、もしくは、そんなセンサーなんて立派な自分には必要なし、と思っているような人もおられます
 ただ、百歩譲り、男性の場合には、そういうセンサーがなくとも「自分の力、自分の能力」だけで生きていくことは可能でしょう。仕事というものは、もともと無機質なものであって、そこに気持ちだ、心だというようなものは介在しなくとも、業績、功績は残せるものですから
 それに、家庭生活の中では、敏感なセンサーを持った妻が側にいることによって、夫のマイナスを補う、ということも出来るわけですし・・・

 しかし、女性の場合は社会人として生きるとしても、たいていの場合は妻となり、母となります
 そして、妻としてはどういう人柄であっても、案外問題なく過ごせますが(問題があったとしても、それが困ったこととして返っていく方向は自分であったり、夫であったり、あくまで「大人」に対して、ですから)けれど、母としては

 子供は親の、特に子供が幼いうちは、母親を見て育ちます
母親の人柄は、子供に「似る」という以外にも、さまざまな面で子供に大きな影響を与えます
 いつもにこやかで、笑顔のすてきなママのもとには、やっぱりよく笑う明るい子供が育ちます たとえ、ママのようにいつもニコニコはしていなくても(大人は、どんな気分であっても、意識してにこやかに振る舞うことができますが、子供はそれができません)、やっぱり心の中はママの笑顔によって常にあたたかく、ポカポカとした子供でしょう
 一方、いつも不機嫌でぶつぶつ文句ばかり言い、あまり笑わず潤いのないママのもとには、当然、笑顔の明るい子供は育ちません 日頃、接する「人としてのサンプル」が、そういう人ではないのですからね・・・

 じつは、自画自賛で恐縮ですが・・・ 幸いなことに、私はどちらかと言えば「笑顔タイプ」の人間です 18歳の私の娘は、私とはタイプは違い、とてもシャイで常に笑顔、という子ではありませんが、それでも、いつも「心の中は笑顔、ポカポカなのね」と最近は感じています
 きっと、彼女はこれから大人になり、自分の気分をコントロールして、意識的に笑顔でいることのできる女性になることでしょう
 私は、そういう娘を見ながら、あらためて、気苦労の多かった大家族の中での「私の母の日々の笑顔」に心から感謝をしています

 それにしても・・・
あの自転車のママ おうちに鏡はないのでしょうか・・・
あの方もにっこり笑えば、もっともっと素敵な人に見えるでしょうし、きっともっともっと笑顔の似合う、ハッピー気分の毎日がやってくるでしょうに・・・

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コラコラ、おばあちゃまったら・・・

2006年06月21日 | プンプン
 今日、駅のホームで人を待っていると、到着した電車の中からどっとお客様が降りてきました
 ターミナルになる駅だけあって、昼間の時間でも、結構乗降客はいるものです しばらくして、改札口に上がる階段のところが空いた頃になって、小さなかわいいお嬢さんと手をつないだおばあちゃまがホームを歩いて来られました
 乗り換え客の多い混んだ前方の車両を避け、後ろのほうの車両に乗っておられたのでしょう

 お孫さんと思しきかわいいお嬢さんは、ほとんどの園児が電車通園という有名幼稚園の制服姿 おばあちゃまも、とてもきれいに装っておいでで、いかにも・・・というお二人でした
 当然、私の目はそのお二人をずっと追うかたちになりました。何も、何か落ち度を見つけてやろうなどという意地悪な思いからではありませんよ たんに、とてもすてきなお二人だったので、自然とほほえましく見ていたのです

 ところが・・・やっぱり期待通りやってくれました
私の手前で「はいはい」と言うと、ご自分のバッグの中から大きなキャラメルをとりだし、包みをとって、お嬢さんの口に入れたのです
 大きなキャラメルは小さな口にフィットせず、お孫さんは、くっちゃら、くっちゃら、口を動かしてキャラメルを噛みます・・・ 私に、穴が空くほど見られていることには気づかず、お二人は、私の目の前を通りすぎました あーあ・・・おばあちゃまーーーーという気分でした。

 おばあちゃまのお迎えが、「いつものこと」であるのか「たまたまのピンチヒッター」だったのかは、もちろん私にはわからないことですが、愛らしい制服、制帽、制カバン姿で、あのキャラメルくちゃくちゃ・・・は違うでしょう
 大きなお世話だ、と思われるのかもしれませんが、スーパーでお買い物の親子の中にも、ときどき、私立の小学校の制服姿で、平気で試食用食品を食べているのを見ることがあります ひどい時には、制服姿の子供の横に立ち
、ママまではパクパクと試食中・・・そんなこともあります どう考えても、見ていて「素敵な姿」ではありません

 制服の意味・・・あらためてお考えになったことはありますか?
もともとは「他校(他園)の生徒と区別するためのもの、というものだったのかもしれません。
 しかし、やっぱり制服とは、その学校、その園を象徴するものであり、それを着ることは、単なる一個人が、その学校やその幼稚園の「大きな看板」を背負うこと、を意味します
 制服を脱いだら、単なる4歳児、5歳児、単なる一小学生、単なる一中学、高校生が、その園、その学校の制服に袖を通すことで、個人から「その学校を象徴する人」、いわば公人となる・・・ それが制服着用の一つの意味でもあると私は考えています

 まあ、今の女子高校生のように、「制服」というものが一つのファッションとなり、日曜日に渋谷に行くのにわざわざ制服 それに、どこの学校の制服でもない「なんちゃって制服」なるものも登場する時代ですから、制服の考え方も多様化した?!と言われればそれまでですが・・・
 少なくとも、幼稚園や小学校の時期、まだまだ子供の制服姿が、親の管理下にある場合は、やっぱり、「学校の象徴」という意味あいは大きいはずですし、それを親も十分に認識しているべきだと思えてなりません

 とかく、どこの家庭でも、おじいちゃま、おばあちゃまは「孫に甘い」ものであり、我が子には厳しかった厳格な方々でも、孫には何でも許してしまう・・・というケースは多いものです
 けれど、こと学校や幼稚園などに関しては、あくまで個人レベルの家庭を離れているのですから、当然のこととして、「親と同じ意識」を持っていただきたいですよねえ それが、年長者の格というものでしょうに・・・

 えっ おばあちゃまではなくて、ママやパパであるあなたが、制服姿の我が子に平気でお菓子を与えている?! 
 それは論外ですよー 品格、疑われますよ

 
  類似したブログ 「ママにご忠告!」
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卒業生「1年生」とのランチ

2006年06月19日 | にこにこ
 昨日の日曜日は、私の教室の、昨年度の卒業生の方々との同窓会的な集まりがありました
 例年、子供達も一緒にビュッフェスタイルのランチをします 
子供達は、子供達だけでテーブルにつき、お父様やお母様は、私とご一緒に、同じお部屋ではありますが、別のテーブルでお食事をします

 子供達は、自由にお食事を取りに行き、座ってお食事をいただくのですが、まあそれは大興奮、ですよね
 何てったって、日頃から口うるさいママにごちゃごちゃ言われることなく、好きなものを、好きなだけ食べられる・・・
 パパ、ママは久しぶりに会ったお仲間達とおしゃべりに興じ、子供達はその間、無罪放免?!パラダイスでしょう
 
 ただ、子供達は最初に、私から数点の注意を受けます。
  ほかにもお客様がたくさんおいでになるのだから、大声でお話をしたり、お食事を取りに行くときに走ったり、バタバタしたりは絶対にしてはいけない
  目の前にはたくさんのお料理があるけれども、必ず、自分できれいに食べきれる分だけを取ってくること。取ってきたものは、絶対に残さないこと
  高いところにあったり、少し奥のほうにあるものは、無理して自分で取ろうとはせずに、必ず、お店の方にお願いをして、取っていただくこと
 子供達は、さすがに「私」が話すと神妙に聞いてくれています
さあどうぞ、いってらっしゃい と声をかけると、ちょっとドレスアップをさせてもらった豆紳士、豆淑女達は、いそいそとお部屋を出ていきます
 戻ってくると、満面の笑顔で座り、みな静かにしています・・・
「ねえ、先生。もう食べてもいいの?」
 私は、とてもうれしくなりました そうなんですよね。座ったとたんに、食べ出す子供は一人もいず、私の「どうぞどうぞ!召し上がれ」の声で、いただきます!と言ってから、テーブルの上に並んだたくさんシルバーウエアから1本持ち、なごやかな雰囲気の中、食べ始めました

 食は文化です
私が再三、お母様方に申し上げたこと・・・食べ方を見れば、その人の家庭が見えるは真実。これは、大人でも子供でも同じことですよね。

 そのうちに・・・ お店の方の数々のご配慮もあり、無事に子供達は「おなかいっぱい」になったのでした
 それ以降の時間になると、なかなか最初の頃のように、絵に描いたようにお行儀良く・・・とはいきませんでしたが、それはむしろ大人側の配慮のなさ、ですね
 子供が一緒、というお食事であれば、それ相応の時間で切り上げて、あまりに長い時間になって、さすがに「わきまえのある子供達」の限界を超えさせてしまうほうが罪というものです

 少々羽目を外し気味になってきた子供達を見て、個別に注意をなさるために立つママ達・・・
 今ではすっかりお親しい関係ですので「先生、今夜のブログ・・・読むのがコワイです」などとおっしゃり、皆で笑いました
 
 このブログは、卒業生の方々との「ご縁の糸」のような役割もあるようで・・・「教室に通っていたあの頃は、あんなに良い子だった子供達、今ではすっかり羽目を外すようになり、完全に私は閉口しました・・・」などと、ブログのネタになるのでは???とご心配だったようですね

 いえいえ 子供達は、とっても立派になっていました
 きちんと「いただきます!」をして、それから静かに食べ始めたこと
 食べ方がきれいだったこと
 どうしても口に合わないものを取ってきてしまい、残さざるをえなくなった時、「先生、どうしても食べられなかったの。ごめんなさい!」と曇り顔で言ってきてくれた、その子の食べ物に対する「思い」

 すべて、子供達がお父様やお母様の元、しっかりと家庭生活の中で養われ、身に付けたものと実感しました

 とかく、私立小学校受験は、今の時代「お受験」などという怪物的造語に象徴されるように、どこか「借り物的、植え付け的教育」のような、ウソ臭い薄っぺらなものをイメージされ、同時に「育ちの良い子を演じる子役」のような芸を仕込むもの、と勘違いをするご家庭も多いのが現状です 

 しかし、受験準備の期間、受験をすることをまたとない期限付きのモチベーションとして、家族全員があらためて居ずまいを正し、さまざまな、人としての本質的な部分で、磨きをかけていくこと・・・何とステキなことでしょう

 次回、あの子達に会う時には、きっと昨日よりも長い時間、見た目もスマートな、自分の時間を上手に作り出せるようになっていることと思います また、そういうことを自然に身に付けさせられるような、正しいリードが出来るご家庭に違いありません

 私は日頃から、教室の子供達に・・・
「大人になると、出来るようになることがいっぱいあって、大人っていいなあ、ってあなた達は思っているでしょう? 確かにそうね。ママに叱られたりすることもなく、自由に何でも出来るようになる・・・ でもね、大人になるってことは、じつは自分のしたいことが自由に出来なくなる、ってことでもあるのよ たくさんの我慢をしなくてはいけなくなるし、自分が今したいーってことよりも、今しないといけない!ってことを先にする・・・それが大人になる時のきまりなのよ」と話します。

 あのかわいい子供達・・・ 今から、次回、会える日のことが楽しみでなりません

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