まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

方言は、その人の柱になっている?!

2009年02月22日 | にこにこ
 軽いお話をひとつ
私は今までブログの中に、何度か「大阪弁」の話しを登場させました。そのたびに、読んでくださった方々からの「笑えました」「なるほど・・・と、あらためて大阪出身の友人のことが理解できた」等、ニマッとするような感想をいただきました。
 最近は、テレビの番組で、すべての都道府県から十数名の出演者を選び、その県独特の風習や食べ物、方言などを紹介する、というものがありますね 私はその番組を見るたびに、ひえーっと驚いたり、手を叩いて笑ったり・・・
 その中でも、なぜか毎回登場する「大阪の話題」を見ては、大爆笑をしてしまいます
 
 関東暮らしになって、すでに26年。
同じく大阪出身の夫とともに、毎日の家庭生活では「大阪弁」を使い暮らしていますが、さすがに主人も18歳で大阪を出てから36年。
 私たちの大阪弁は、イントネーションこそ大阪弁ですが、この番組の「いかにも大阪」というトピックスを見ていると、今ではすっかり使わなくなった言葉や言い回しなど、かなり多いことにあらためて気づかされます。
 きっとそれは、自分達では話していても、ほとんど耳からは大阪弁が入って来ない、という環境だからなのでしょう。
 そして、私達は知らず知らずのうちに、ほぼ標準語に近い言葉を、イントネーションだけ大阪弁形式?!に変換して話しているのでしょう

 たとえば・・・私が大阪にいる頃は・・・
 「○○とちゃうん?(○○じゃないの?)」と話した言葉も、今は「○○とちがうの?」と言っていますし。
 「そんなこと、ゆうてへんよ!(そんなこと、言ってないわよ!)」も、「そんなこと、言ってないよー!」と言いますし・・・
 「べつに、かめへん、かめへん!(べつに、かまわないよ!)」も言わなくなりました。

 言葉は、「心のあらわれ」でもあります
関東での生活、26年。自分では、私は根っからの大阪人だなあ・・・と思いながらも、関東生まれ、関東育ちの2人の子ども達の母として暮らし、毎日、関東人という各地方からの集合体が使う標準語を聞きながら、私も主人も、どこかで「生粋の大阪人」とは違う人間になってきているのでしょう。

 そんな私が、とっても愛情を持って使ったり、聞いたりする「大阪弁」の中に、「○○ちゃん、○○さん」という表現があります この○○の中に入るのは、人の名前、ではありません。
 たとえば・・・飴ちゃん。飴、キャンディーです。おかい(おかゆ)さん、お粥。おいもさん、お芋、ですね。おまめさん、もちろん、煮豆や炒り豆等の「豆」です。スーパーなどでパックされて売られている大手総菜メーカーに「おまめさん」という製品がありますが、大阪では、昔から豆は「おまめさん」と呼んだものでした

 他にも・・・天神さん、大黒さん、弁天さん、えべっさん(戎さん)、愛染(あいぜん)さん、お不動さん、大仏さん。これらは、まさに神様のお名前です。けれど、大阪では、「天満の天神さんに行こか!」のように、まるで「渋谷の佐藤さんのところに行こうか!」と同じように言います。神様も、妙に近しい存在です。
春日さん(春日大社)、すみよっさん(住吉大社)、おおとりさん(大鳥大社)、いくたまさん(生國魂神社)・・・等、神社も「さん付け」で呼びます

 私は、ものを大切にする心を育てる・・・という話しをする時に、八百万の神(やおよろずのかみ)の話しをします。
 ブログにも、2、3、その話しを書いていますが、私のこういう考え方、物事の捉え方の原点には、こういう大阪人独特の思想があるのではないか?と、最近は考えています
 つまり、幼い頃から、「人以外のもの中にも、魂が宿ったように尊んで表現してきた」ことや、「特別、何かの宗教に帰依するわけでないのに、神様を身近に感じ、手を合わせ、感謝していたこと」が、私のベースにあるように思うのです。

 こんなふうに考えてみると・・・いろいろとおもしろいですよ。
きっと私が知らないだけで、生粋の江戸っ子にも、横浜っ子にも、そういう気質や考え方を育てる「何か」があるのでしょう。
 そして、もちろん、それぞれの都道府県によって、日頃は意識していなくても、あらためて「使っている(使っていた)言葉」を検証してみると、自分の人間形成の柱となっている「何か」が見つかるかもしれませんよ
 こんなことを考えながら、言葉、方言を大切に考えてみてください

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子育ては「連動」

2009年02月13日 | う゛う゛ー
 年末年始の大風邪がたたり、年明けから1ヶ月、運動らしい運動ができませんでした ランニングとまではいかなくても、ちょっとしたジョギングを・・・と何度も思い立つのですが、まずは気持ちが奮い立ちません 一度体調を崩すと、こんなに後々まで響くのか・・・と、かなりブルーになりました
 
 こういうことは、きっとランニングだけではないでしょう。
何事も、勢いを持って進み出したら、よほどのことがない限り、止まってしまってはいけない 形容で言うところの「立ち止まる」は、止まってしまう、ストップする、ということではないはずです。
 「立ち止まる」意味は、気持ちだけで前に前に進むのではなく、一度スピードを緩めて深呼吸をしたり、あらためてまわりを眺めたりすること・・・止まったとしても、足踏みはやめずに、息を整え、気分を新たにして、次に進む力を養う、ということでしょう

 さてさて。
そんな私も、やっと先週からランニングを再開 3月1日の三浦マラソンに向けて、調子を戻さなくてはなりません。
 ところが、横浜国際競技場そばの鶴見川を走り出すと、2キロほど走っただけで、右膝が痛み出しました ゲゲーッ・・・確かに、本格的にランニングを始めた頃から、調子が悪い時には右膝が決まって痛くなったのです。
 走るスピードを緩めても、痛みは引きません。結局、止まるしかないのです ところが、ほんの一瞬止まるだけで、なぜか痛みは消え、すぐに走り出せる・・・そして、また2キロほど走ると痛む・・・この繰り返しでした

 そこで、以前から懸案になっていた、スポーツトレーナーの曽我先生のところに行ってみることにしました 
 スポーツ選手でもなく、ガンガンとクラブ活動をしている大学生でもないのに大層だなあ・・・と思われるかもしれませんが、この年齢になっているからこそ、また、これから長くスポーツを楽しもうとしているからこそ、身体のメンテナンスは必要不可欠だと感じています
 その先生は、長年、ミズノ所属の陸上選手や、レナウンのアメリカンフットボールのチームを診てこられた方で、現在は東急東横線の祐天寺で「TKC BODY DESIGN ( TKC ボディーデザイン)」というクリニックをなさっています。
 たまたま、私や主人が所属しているトライアスロンのチームが、最近、懇意にしている陸上の為末大選手のパーソナルトレーナーをされている、というご縁で、年末の忘年会に、曽我先生は為末選手と二人でおいでになったのでした
 その忘年会の席でご一緒し、膝の話しや時々痛くなる右足の裏の話し、とっても固い股関節や手首の関節、動きの悪い肩胛骨等(要するに、長年、なーんにも身体を動かしてこなかったため、あちこちにガタがきていたり、ガタがきていることにさえ気づいていない私でした)、お話をうかがっていました。

 いよいよ、ボディーデザインに行く日です
事前に予約を入れ、久しぶりのランニングでの膝痛や、あらためて各所の問題をメールで知らせていたので、きっと、「いかに動きが悪いか、いかに固いか」を私が一生懸命にお見せし、各所に施術をしていただくのだと思っていました
 ところが・・・です。時間をかけた問診のあとは、先生がいろいろとチェック。私が自らガタがきている身体をご披露することはありませんでした

 その施術の間、曽我先生は根本的な筋肉の話しや、関節の話しなどを教えてくださり、「私の知らない、私が気づいていない」部位の筋肉の固さや、動きの悪さなどを指摘し、私を驚かせました 
 施術では、痛気持ちいいマッサージをしたかと思えば、今度は鍼を打ったりして・・・最後には、非常に理論的にわかりやすく伝えてくださりながら、「私自身が自分の身体を知り、その上で家庭ですべきストレッチや運動」を紹介してくださいました
 このお教えくださったストレッチや運動が、とても簡単なものなんですよ 1日に何分間!とか、何回!とかを課すものではなく、あくまで、原理を教えてくださり、その効果を解説してくださるものでした

 先生は、私が固い固いとうるさく言っている股関節をギシギシされたり、肩をバキバキ、ギュッギュ・・・とかされず、あくまで各所を丹念に動かしながら施術をなれただけでした。
 なのに、本当に驚いたことに、私の肩はなぜか軽々と回せたり動くようになっていて、股関節も目に見えて柔らかくなっていたのでした

 何にでもすぐに感動し、とても知りたがる私です 先生に、なぜ、そんなふうに動きが良くなったのか?どうなっていたのか?どうしたのか?今後はどうすれば良いのか?・・・とおたずねをしました。
 先生のお答えは、それはそれは「壮大な身体の不思議」を教えてくださるものでした。
 たとえば・・・「膝」が痛いからといって、膝そのものが悪い、何か膝に故障が生じた、というだけではない、ということ。太ももの前の筋肉の動きが悪かったり、筋力が弱かったりすることが原因で、膝に負担がかかって痛むこともある・・・とか。これは、ほんの一例です。まあこれは、よく言われることかもしれませんね。
 けれど 上手に表現できないのが残念ですが、医学的な理論や理屈というのではなく、あくまでも、さまざまな「人の身体の動き、筋肉の構造、関節の成り立ち、各種スポーツで動かす部位やその発達」などをわかりやすく説きながら、話してくださるものでした

 私はこのことから、日頃はあまり意識していなかった「真理」にあらためて気づかされた思いがしました
 当たり前ではありますが、「私たちの身体は各部分が独立して、それぞれがそれぞれの機能で動いているのではなく、実際には、それら一つ一つすべてがつながり、すべてが連動、連携して動き、それが一つの『力』になって私たちを生かしている」ということです

 帰り際、最後に先生が確認をなさるように言われたことは・・・
「教えられた運動やストレッチを、地道に、気長に続けていくことの重要性」
「続ければ必ず治っていく、身体本来が持っている力」
 でした。

 私は、先生のところを出てから帰宅するまで、時々、かるーくなった肩をくるくると回しながら、自分の身体とは別のことを考え、にんまりとしてしまいました 子どもを育てていくのも、同じ、です
  うちの子は人前に出るのが苦手だから、子役を養成する劇団に入れてみる・・・
  落ち着きがない子だから、春休みや夏休みには短期のお寺修業に行かせてみる・・・
  手先が不器用だから、あみもの教室に通わせてみる・・・
 これらは、全部、本当の話です。
子どもを思う親の思いは尊いですし、親が真剣であればあるほど、安直にその思いつきを笑うことはできません
 けれど、膝の痛みの原因が、膝にあることのほうが意外と稀だ、と教えてくださった曽我先生のお言葉と同じく、私も子育てにおいても、同じこと、を思うのです
 
 子どものさまざまな行動が、必ずしも短絡的には解決しないもの、だと・・・
一つ一つの機能が連動しているように、子どもの行動や言動は、子ども達の「心」「気持ち」「意識」に由来しているものが多いものです
 
 親が、わが子の行動や言動という「目に見えるもの」だけを見て、それに一喜一憂しているだけでは、さまざまな判断を間違うだけではなく、わが子を見失ってしまったり、わが子の大切なサインを見落としたりしてしまうことは多いものです

 ぐずぐずと行動する子を、いつもいつも眉間にシワを寄せ、叱りつけて急かせるだけでは、その子の行動をスピーディーには出来ないですよね にも関わらず、親は案外、毎日毎日・・・時には1年も2年も、「早くしなさい 遅れるじゃなの」と同じ言葉、同じパターンのことしか言っていないことは多いです。

 すべてが連動している・・・私は、すっかりこの言葉にヒットしてしまいました

  
 ご参考までに・・・
 「TKC BODY DESIGN ( TKC ボディーデザイン)」
 〒153-0052 東京都目黒区祐天寺1-27-2 コートガーディニア201 Tel.& Fax. 03-6659-6167



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食生活と子ども

2009年02月06日 | にこにこ
 昨日、都心のデパ地下のパン屋さんで、会計をするために並んでいる時のことです
 真後ろに並んでいた人の携帯電話が鳴りました すぐに「もしもし」と電話に応える声が聞こえました。若い男の人?男の子?の声です。
 ちょうど、列が曲がり角にかかったため、少し振り返ってみると、20歳そこそこ・・・というあたりでしょうか。大学生のようでした。
 彼のトレイの上には、小型のバケットとフォカッチャが乗っていました。どちらも「焼きたて」の札が立っていたものです。

 「もしもし・・・今?○○○でキャッシャーに並んでるよ。・・・うん、これから、歩きながらパンを食べるの。・・・焼きたてなんだよ。早く喰いてー。・・・わかってるって!ママはいつもしつこいからな・・・はいはい、・・・うらやましいって?はっはっは、焼きたてだからね。・・・了解!じゃあね。」

 真後ろで話すわけですから、男の子の言葉ははっきり聞こえます 受け答えから、お母さんが「今何してるの?」と聞いた後で、焼きたてのパンを食べるあなたが羨ましいと言い、本題の何か大事なことを確認した、念押しをした、ということであることも推察できます。
 まあ、二十歳を過ぎた大の男が、公共の場で電話に出て、平気で「ママ」なんて言うなよ!と、思わず呆れる方もたくさんおいでになるでしょうが 私は何となく笑えました。
 私のまわりには、こういう典型的な「首都圏の甘ちゃん少年」はたくさんいますし、私は、彼らが普通に社会人として成長していくのならば、こういう甘やかされスタイルは彼らの育った環境によるものであって、別段、批判されるべきものではない、と思っています
 
 それはさておき・・・
彼と同じ年頃の息子や娘を持つ私としては、彼の電話の会話のみならず、「彼そのもの」を大変興味深いものと感じました。
 なぜなら、ほんの短い時間、パン屋さんで前後に並ぶ・・・というだけの関係でしたが、たったそれだけで、「彼の家庭環境や生活スタイル」が見えた気がしたからです

 デパ地下のパン屋で、わざわざ焼きたてのパンを買い、「焼きたてだから、早く喰いてー」と思っている彼の食に対する意識、好み・・・これで、彼の家庭の食文化も見えてくる そう思いませんか?
 
 私たちはよく、人との相性を判断する上で「同じ価値観を持っているかどうか?」ということを重要視します。
 私は、この価値観の中には「その人との食に対する価値観」というものも含まれている、と思えてなりません。
 食事、食生活、そういう『食』全般に関するその人の持っている意識は、一つの人を形成する文化です。
 もちろん、人には食材や調理方法の好き嫌いはあります。ですから、ここで言う「価値観」とは、好き嫌いという好みではなく、「食へのこだわり」とで言うのでしょうか。
 つまり・・・
 「食べることは、生きていくための手段」これだけの観点から食事を捉えている人。
 「生きるための糧」以上のものを、食事や食生活に求めたり、感じたりしている人。
 
 すでにご存知の通り、私はかなり「食にこだわりたい派」です。
パンは○○屋の△△でないと食べない、とか、お米は必ず○○県の△△さんのところからお取り寄せをしたものでないと満足しない、というような頑固?自己満足的なこだわりではありません
 おいしいものが大好きなので、それを食するためには、かなりの努力もしますよ、というタイプです ですから、「別にお腹がいっぱいになるんなら、何でもかまわない」という人とは、きっと食に対する価値観は違う、と言えるでしょう

 飽食の時代になり、巷で言うところのA級であろうと、B級であろうと、世の中のグルメブームはすたれません。こうなると、一過性の流行に使う「ブーム」という言葉は、もう「食」当てはまらないかも知れませんね。
 しかし、これほど世の中が食生活に敏感に反応する時代になっても、「お腹がいっぱいになるなら、何を食べても一緒、何でもいい」という感性しか持ち合わせていないとするならば??
 やっぱり、その人の育った環境が「食に対する意識の低い環境」だったのだと思うのです

 誤解を招かないために、敢えて注釈をつけますが、私は「食に対する意識の低い環境」が悪い、と言っているのではありません。良い、悪い、は道徳的なことを論じる時以外は、その人の「好み」に左右されるものです。
 あくまで、ここで言いたいことは、その人の食に対する意識は、育った家庭環境に左右されますね、ということです

 食事は、肉類以外のものは、非常に季節に左右されるものです。
現代のように、温室栽培やバイオテクノロジーを駆使した野菜栽培が出回るようになっても、ほとんどが外国からの輸入、養殖がメインの魚介類になっても、やはり日本人は、「季節の恵み」としての食材を意識しています。
 こういうことを「食」に感じる感性のある家庭(ぐっと絞っていえば、そういう母親)では、さまざまな条件から季節感が薄れていく現代でも、やっぱり食卓には多少の季節感があるでしょう

 また、味覚に敏感な人は、さまざまなものを食べて、それを何らかのかたちで「知ろう」とした人です。「知らせよう」とした家庭、母親、であるとも言えますね
 食生活における最も基本的な疑問「これは・・・何ですか?」というものがなければ、じゃがいもを食べても、さつまいもを食べても同じですし、鰯でも鯵でも何でも良いのですからね
 それに、「あたたかいうちがおいしいから、冷めないうちにどうぞ」と言われてもまったく何も感じず、平気で冷めたものを食べて・・・おいしいともおいしくないとも感じないとしたら??

 要するに。
「食」に限らず、それが服装であっても、教育であっても、「こだわり」があるか、ないか、というのは、大きな価値観の違い、となるのだと思います。
 
 そして、真っ白で生まれてきた子どもが成長する上で、一番大きな影響を受ける両親や家庭の「価値観」が、その子の「価値観」を育てる上で大きな役割を果たすでしょう

 焼きたてのパンが食べたいと思った彼。
歩きながら食べるというお行儀云々はさておき、あったかくて、外がパリパリ、中がふわふわに焼き上がったフランスパンのおいしさを知っているのです。フランスパンとは全く趣の違う焼きたてのフォカッチャも、彼の好物なのでしょうね
 たぶん「焼きたてを食べるの?ママ、うらやましいなあ!」と彼に言ったであろうお母さんは、やっぱり息子を育てていく上で、食生活にこだわりを持っておられる方で、多かれ少なかれ、それが知らず知らずのうちに息子に影響した、と言えるでしょう

 食文化は、「食べるもの」そのものだけではなく、「食べ方」にも関わってきますし、もっと大きく広がれば、食器のような「器」にまで興味は広がっていきます。
 「食べる」という行為は、生きるために必要不可欠なものであり、動物、獣でもそれは同じですが、食べ方や道具となると、人間生活特有のものですね。それが「文化」ということでしょう

 どんな家庭で子どもが育つか?
 どんな母親に育てられるか?
子どもに大きく影響する・・・ですね


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