まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

携帯電話、子どもが十分に活用できるように・・・

2011年05月22日 | う゛う゛ー

 昨日、肝を冷やす出来事がありました
何と、携帯電話をほんの短い時間ではありましたが、「失くして」しまったのです。

 家を出て、駅までの道を歩いているとき、バッグの中の携帯電話が鳴りました 私は、かなり細かく鳴り分け機能を使っているので、着信のメロディーですぐに「両親の関係」からの「電話」であることがわかりました。
 5分ほど話をして、ではよろしくお願いします!と電話を切り、電話を閉じてバッグに入れました。(入れたつもり、でした
 バッグは布製で、内側にはポケットがたくさんついているタイプのものです。私はいつもその内ポケットの一つに、携帯電話を入れるようにしています。

 駅の向こう側の薬屋さんに行き・・・いろいろと買い物をし・・・次は郵便局に行き・・・ハガキを出しました。
 いつもなら、コンビニから宅配便を送るのですが、切手を買うために郵便局に行ったので、ついでに今日は郵便局から宅配便を送ることにしました
 さあ、送り状に送り先の住所を記入しようとしたところ、先様の郵便番号を思い出せません。携帯電話に記録した住所録でチェックしようとしたところ・・・
 アレ ないのです 内ポケットを一つ一つをさぐり、バッグの中身を全部だしても・・・ありません
「さっき電話で話したんだもの。家に忘れてきたわけじゃない!」
 すでにこのあたりのことを何度も何度も反芻しているうちに、私はパニックを起こし始めていました
 一度探したバッグの中を、もう一度探しました。
 ない・・・ おかしい・・・ そんなはずはない・・・ だって、電話を切って、確かにバッグに滑らせるように入れた記憶はある
 青くなる・・・そう言いますね。まさに、その時の私は血の気が引いて、青くなっていたでしょう。

 携帯電話は、ある意味、お財布以上に大事なものです
いやいや、やっぱり財布は大事です。なぜって?キャッシュがそれほど入っていなくても、財布の中にはキャッシュカードが何枚も入り、運転免許証も入っていますし、健康保険証も入っている・・・つまり、現金以上に、失くすと面倒なものが入っていて、それが問題になります
 携帯電話も然り、です。電話ができなくなる、というのは、さほど問題ではありません。困るのは、その中の「データ」です 400人以上のデータが入っていますし、メールは重要な日常のコミュニケーションツールになっています。
 私はすぐに郵便局のお隣の交番に行き、紛失届を出しました。心配で文字を書く手に力が入りませんでした・・・どうしよう・・・困った・・・

 私達はこれだけ、携帯電話に依存した生活を送っているのですねえ。あらためて、そのことを痛感しました。
 だからこそ、あの3月11日の震災時、横浜駅周辺にいた私が目にした光景・・・ビルの外に出た人のほぼ全員が、つながりもしない携帯を握りしめていた・・・

 震災後、我が子のことを気づかい、携帯電話を持たせた、というご家庭も少なくはないでしょう
 でもね、あの日がそうであったように、地震があったそのあとは、長い長い間、携帯電話はつながらないのです。
 どんなに政府が東海地震は来る!という高い確率を発表しても、次なる大きな地震はあって欲しくはありません。
 ただ、次の地震が来るときにも・・・きっと携帯電話はつながらない 携帯電話が活躍をするのは、地震が起こったもっと先の時点でのことです。
 何度も書きますが、地震直後、携帯電話という日頃は何よりも大事に感じている便利ツールは、地震の直後にはどんなに無用の長物になるか、と私達大人は知っています

 だからこそ、子どもに携帯電話を持たせたから安心・・・などとほっとして、
 「何かあったら、この①のボタンを押すのよ そうしたら、ママの携帯につながるからね
 と教え、パパやママ自身が自分の心を落ち着かせるだけは意味がありません

 携帯電話を持させたからこそ、携帯電話に「どういう便利さがあり、どういう問題点があるのか」を子どもの目線にたって理解し、そしてまた「なぜあなたに携帯電話を持たせようと思ったのか」ということを、親がしっかりと子どもが理解できる言葉で伝えてあげましょう

 決して「地震があっても、もう携帯電話があるから大丈夫」などと安直なことを言うのではなく、地震が起こった時には、その携帯電話を使って何ができ(何ができず)、どうすれば良いのか?を、再度、親子で話し合い、本当の意味で、便利ツールの携帯電話を活用できるようにしなければ・・・
 子どもにとって、ただの「高価なおもちゃ」になってしまいますよ


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食事から見える人柄

2011年05月07日 | にこにこ
 出先で立ち寄ったお蕎麦屋さんでのことです
私は、大抵、注文をした後は、一人ではちょっと手持ちぶさたなので、いつも本を読むことにしています。すると、入り口の自動ドアが開き、若い女性が入ってきました。
 カジュアルな装いの女性でしたので、大学生かな?と思いました。それにしてはちょっと古風な装い、とでもいうのでしょうか・・・少なくとも今どきの若いお嬢さんというよりも、昭和の時代の「清楚な女子大生風」に見えました。今では、大学に近い町でも、なかなかそういう「いかにも学生」という服装の学生の姿を見ることは少なくなりましたねえ ですから、ちょっとそのお嬢さんは、かえって目を引きました

 そういうお嬢さんだったから、私は何となくその後も気にかかり、本から少し目を離しては、ちらちらとその女性を見ていました。すぐにお嬢さんが注文した「日替わり定食」が運ばれてきました。「ふーん、ダイエットとか言わないで、結構しっかり食べるんだあ・・・」などと思い、見ていたら・・・
 そのお嬢さん、割り箸を割ったら、一旦そのお箸を定食が乗ったトレイに置き、こんどはきちんと手を合わせて、小さな声で「いただきます」と少し頭を下げられました。
 厨房のほうに向かっての行為でもなく、運んできてくださった方のほうに対しての挨拶でもなく、それは明らかにご自分自身が食べる前の「いただきます!」でした
 私は自分のところに注文したお蕎麦が運ばれてきたのですが、「あ、どうもありがとうごさいます!」と言うのもそこそこに、そのお嬢さんの様子に見とれてしまいました

 そのお嬢さんの手を合わせての「いただきます」は、何と新鮮だったことでしょう!
その後、お嬢さんは見ていても気持ちよい食欲で、箸使いも美しく、きれいに定食を食べ終えました。
 そのお嬢さんが笑顔でお勘定を済ませ、明るい声と笑顔で「ごちそうさま!」の声を残し、お店を出ていかれた事は、みなさんも容易に想像が出来るでしょう?
 久しぶりに、気持ちの良い、すがすがしい思いがした、外食の時間でした

 最近では、長い髪を結ばす、片方の手で髪を押さえながら音をさせずにお蕎麦を食べる人、つつくような箸使いで、さも美味しくなさそうに食べる人、肘をついて、大声で話しに興じながら食べる人・・・・美しい女性の食べ方とは思えないような、悲しい女性が多くなりました
 そんな女性に出くわすたびに、(あー、このお嬢さんのお母様も、きっとこんな食事の仕方をするのだろうなあ・・・お嬢さんが自然にこういう食事の仕方をするようになったのは、食べ方にこだわらないご家庭で育ったからなのだろうなあ・・・)などと、心が凍る思いがします。
 私は、古今東西を問わず、食事は立派なその国の文化だと思っています そして、食べる時のマナーは、いろんな国々で違っても、やっぱり、その人の育ちや家庭環境を如実に表しているように思えてなりません。
 
 もう20年以上も昔の話ですが・・・私の息子は、幼稚園の年少に入る直前、あらためてきちんとしたお箸の持ち方の練習をさせました。息子が入園を決めた幼稚園では、お弁当にはスプーンやフォークを持たせてはいけない、という決まりがあったのです。
 これは大変な私の言い訳ですが、下に3歳違いの娘が生まれたために、お箸の持ち方や使い方には注意はしていたものの、やはり十分に目が行き届いていなかったのでしょうねえ。息子は当時、お箸の持ち方に変なくせがついていたのです
 三食の食事の間中、変な持ち方、変なつまみ方、変なはさみ方をした時には、そのつど注意をして、持ち直させました。そんな事を4、5日続けたら・・・朝気づくと、全身に真っ赤なじんましんです 息子はかゆがり、顔まで腫らせていました。
 驚いた私は息子を連れて皮膚科に駆け込むと、先生曰く。「これはストレス性のじんましんですねえ。検査をしても、食べ物にアレルギーはありませんし、お聞きしても、アレルゲンになるようなものは食べてはいないですし・・・お母さん、何かお子さんがストレスを感じるような出来事はありましたか?」
 私も夫も大笑い いえいえ、笑い事ではありませんね。箸の上げ下ろしにまで文句を言うお姑・・・などと昔から言われますが、まさにその頃、私は4歳の息子の箸の上げ下ろしにまで文句を言い続けた・・・その結果の大騒動でした

 そのじんましんのおかげ?!で、息子はお箸はきれいに使えるようになりました そして、長い間、タレントや芸人さんがテレビで食事をするシーンを見るたびに、「こいつ、美人だけど、お箸の持ち方がおかしいねえ。こういうヤツはダメだなあ」とか「この俳優、お箸の持ち方がきれいだねえ」などと、マナー教室の先生並みに批評をしていましたねえ。

 私は、お蕎麦屋さんのお嬢さんの「いただきます」を見て以来、またあらためて考えています。
 日本では、特に食生活は豊かになりました。地震以来、食生活でもいろいろな心配事がありますが、それでも、私達は「飢える」ということはありません。
 毎日、世界中で多くの人が飢えに苦しみ、幼い子どもが命を落としている現代でも、日本では人件費削減のためか、さまざまなお料理がお皿にたっぷりと盛り付けられたビュッフェスタイルのレストランがたくさんあります
 そんな国に暮らしているのですから、あらためて子どもの頃から、毎日、三食、お食事をいただける事への感謝の気持ちを持ち、豊かなその食事をきれいにいただく・・・そういうことにこだわりを持てるように、親として、子どもに教えていくことは大事なことだと思います

 小学校受験でも、「お弁当を食べる」「おやつを食べる」というテストを、考査の中にいれている学校もあります。今では、受験者数が多くなり、それに伴って、時間のかかるそういう考査をしなくなる傾向にありますが・・・それでも、学校はどうして、わざわざ子どもに「食べさせる考査」をするのだと思われますか?
 それは、やはり「食べる」ことにより、その子の育ち方、育てられ方が見えてしまうから、なのですね こういうことからも、食事は文化であり、食べることは「栄養を摂取する」「飢えないために」以上のものである、ということはおわかりになるでしょう。

 好き嫌いを作らない、ということだけではなく、子どもが幼い頃より、「食べ方」や「食べ物への思い」を意識させるよう、親が心がけていかなければならない・・・私はそう考えています

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大きな声で叱りませんか。

2011年05月01日 | プンプン

 「何やってんだー コラ待てー ほんとにあんたって子は、どうしてこんなにやっちゃいけない事ばっかりするんだろうねえ、逃げ足だけは速いんだから
 下町のお母さんが、こんなふうに大声で怒鳴り散らしながら、ほうきを持ってガキ大将の息子を追っかける・・・むかーし子どもの頃に見たテレビドラマの一こまです。昭和のドタバタホームドラマ・・・というところでしょうか

 こんなドラマの中の情景を思い出しながら考えてみると、最近、子どもに大声で怒鳴る、叱りつける母親の姿を見かけなくなりました
 電車の中、デパート、スーパー、いろいろなところで昔と変わらず「駄々をこねる子どもの姿」「泣き叫ぶ子どもの姿」を見る事はありますが、案外そういう場面で見るお母様の姿はみな一様に冷静で、ほとんどの場合、皆さん「静かに子どもに語りかけている」ように思えます。その様子は、叱る、というよりは、「叱っているパフォーマンス」にも見えてしまいます
 中には、完全に無視をして、全く我が子の悪事、大騒ぎを意に介していない様子の強者のお母様もいらっしゃいます。子どもが騒いだり、泣いたりしている横で、平然とメールを打っていたり・・・

 やっとお座りできるようになった赤ちゃんが、ティッシュの箱の前に座り、うれしそうにピュッピュッとティッシュを抜いています。出せば自然に次のティッシュが飛び出してくる・・・赤ちゃんにとっては大発見 「引っ張り出せば、次のティッシュが出てくる」ということを学習をします。
 
 幼い子どもが、自らの経験、体験を通して様々なことを学んでいくことは、それはそれはすごく意味のある事です 音を立てて、脳が働いている・・・
 しかし、だからと言って、この『ティッシュ出し』は良くない事。遊ぶ道具ではありません。そこで、お母様は叱ります。本当に恐い顔をして・・・
 「どうしてこんな悪い事をするの ダメじゃないの ティッシュがもったいないでしょ もう絶対してはいけません
と大声で注意します。
 赤ちゃんにすれば、大発見をして驚喜し、ご満悦で遊んでいたにもかかわらず、鬼のような形相のママに大声で叱られ・・大泣き

 0歳児であるこの赤ちゃんには、理屈などは通じません。ママが言った「こんな悪い事」も「ティッシュがもったいない」の意味も、実際には通じていないのです。
 ただ、いつもやさしいママが、確かに大声で恐い顔をして怒っている・・・この事実は赤ちゃんにとって衝撃であり、その衝撃は「ママが恐い顔をして、大声で怒鳴った」という記憶として残ります。

 この子は、たぶん二度と『ティッシュ出し』はしないでしょう。ティッシュの箱を見つけた時、当然おもしろかった記憶「引っ張れば、次のティッシュが出てくる」というおもしろさが甦り、またやってみようか、と思うでしょうね 
 しかし、そのおもしろかった記憶を思い出すと同時に、恐かった「ママの形相と声」も思い出されるのです

 幼い子供達は、理屈ではないところで「いけない事をしたんだ」「いけない事をしたからママに叱られたんだ」というふうに「罪の意識・罪悪感」を学びます。
 きゃー・・・これはおもしろそうだなあ・・・と思っても、気持ちのどこかにパパやママに叱られた時の「恐かった思い・嫌な思い」が甦り、こんな事をしたら、きっと大変なことになってしまう・・・という気持が生まれるのですね。そして、禁止されていることはしない、という意識が育ちます

 ここ10年ほどは、「叱る教育」は罪悪のように言われてきました。
「ほめて、伸ばす」の全盛期だった、と言えるでしょう。だから、世の中のパパ、ママは、子ども達にとっての「お友達のような存在」に成り下がり(と私は思っています)、ある意味ではなめられ、うるさいだけの人となり、何の影響力も与えない庇護者になってしまった・・・ 最近では、「大人を自分と同等に見ている子ども」の多いことに驚かされます。

 話を「叱る」にもどしましょう。
確かに、たとえ小さな子ども相手にでも、0歳児のような何も理屈が理解できないほど小さな子どもでなければ、必ず、頭ごなしに叱る、怒鳴るのではなく、きちんと「叱る理由を伝える」「叱られる理由を理解させる」ことは大切なことです
 しかし、公共の場で騒ぐ、社会のルールに反する行為をしている、何か危険なことをしている、のように「禁止」をさせなければいけない時には、そんな悠長なことは言っていられません
 まずは、「止めさせる事が先決」であって、なぜ止めないといけないかを子どもに「伝えること」「説くこと」は二の次です。
 
 叱る側がきちんと「叱る理由」を伝え続ければ、なぜその行為がいけないか?という事はわかるようになります とは言え、小学校に入るまでの幼い子供に、理路整然とした説明から「罪の意識」を育てることは大変むずかしい事です。

 「叱る」「諭す」「説く」これは人に何かを理解させる時に使う方法です。しかし、幼い子どもを相手に、スマートに「諭す・説く」だけでは、禁止は出来ません
 電車の中でいつまでも「座りたい、すーわーりーたーいー!」とぐずぐずと文句を言う我が子に・・・
 「〇〇ちゃん、だーめ。そんなこと言っちゃダメよ~ ほら、見てごらんなさい。お席、空いていないでしょう?」
 などと笑顔で上品に言っているお母様を見ると、
 「ねえ、お母さん、あなた、間違ってません?なにをここで上品ぶってるんですー?今は、ピシッと叱る時ですよ あなたの猿芝居は、滑稽なだけ 意味なーし」と心の中で言ってしまいます。そんなお母様は、叱るパフォーマンスにご自分で酔っているだけです

 平成も20年をとうにすぎた今、お母様方に「昭和の下町のお母さん」になってください、と言っているわけではありません
 ただ、時には人前であろうと、叱るべき時には大きな声を出し、子どもが日頃は滅多に見ることのない怖い顔で、ビシッと叱ることも必要です
 思わず、子どもがびくっとするような、そういう瞬間だって成長のためには必要です{/kaminari/

 いつも子ども相手に「ああ、ごめんごめん!」とわけもなく謝っているママばかりが増殖し、子ども達は知育教育ばかりを受けただけの、本当の意味での賢さを育ててもらっていない、我がままな王子様や王女様ばかりになってきています
 巷では、勘違いの「品良く叱るお母様」と「全く言われた事を聞こうともしない子ども」の喜劇が展開しています。

 毅然と叱る、ピシリと叱る!親が思っている以上に、子どもにとっては貴重な「学習の時」なのですよ



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