昨日、肝を冷やす出来事がありました
何と、携帯電話をほんの短い時間ではありましたが、「失くして」しまったのです。
家を出て、駅までの道を歩いているとき、バッグの中の携帯電話が鳴りました 私は、かなり細かく鳴り分け機能を使っているので、着信のメロディーですぐに「両親の関係」からの「電話」であることがわかりました。
5分ほど話をして、ではよろしくお願いします!と電話を切り、電話を閉じてバッグに入れました。(入れたつもり、でした)
バッグは布製で、内側にはポケットがたくさんついているタイプのものです。私はいつもその内ポケットの一つに、携帯電話を入れるようにしています。
駅の向こう側の薬屋さんに行き・・・いろいろと買い物をし・・・次は郵便局に行き・・・ハガキを出しました。
いつもなら、コンビニから宅配便を送るのですが、切手を買うために郵便局に行ったので、ついでに今日は郵便局から宅配便を送ることにしました
さあ、送り状に送り先の住所を記入しようとしたところ、先様の郵便番号を思い出せません。携帯電話に記録した住所録でチェックしようとしたところ・・・
アレ ないのです 内ポケットを一つ一つをさぐり、バッグの中身を全部だしても・・・ありません
「さっき電話で話したんだもの。家に忘れてきたわけじゃない!」
すでにこのあたりのことを何度も何度も反芻しているうちに、私はパニックを起こし始めていました
一度探したバッグの中を、もう一度探しました。
ない・・・ おかしい・・・ そんなはずはない・・・ だって、電話を切って、確かにバッグに滑らせるように入れた記憶はある
青くなる・・・そう言いますね。まさに、その時の私は血の気が引いて、青くなっていたでしょう。
携帯電話は、ある意味、お財布以上に大事なものです
いやいや、やっぱり財布は大事です。なぜって?キャッシュがそれほど入っていなくても、財布の中にはキャッシュカードが何枚も入り、運転免許証も入っていますし、健康保険証も入っている・・・つまり、現金以上に、失くすと面倒なものが入っていて、それが問題になります
携帯電話も然り、です。電話ができなくなる、というのは、さほど問題ではありません。困るのは、その中の「データ」です 400人以上のデータが入っていますし、メールは重要な日常のコミュニケーションツールになっています。
私はすぐに郵便局のお隣の交番に行き、紛失届を出しました。心配で文字を書く手に力が入りませんでした・・・どうしよう・・・困った・・・
私達はこれだけ、携帯電話に依存した生活を送っているのですねえ。あらためて、そのことを痛感しました。
だからこそ、あの3月11日の震災時、横浜駅周辺にいた私が目にした光景・・・ビルの外に出た人のほぼ全員が、つながりもしない携帯を握りしめていた・・・
震災後、我が子のことを気づかい、携帯電話を持たせた、というご家庭も少なくはないでしょう
でもね、あの日がそうであったように、地震があったそのあとは、長い長い間、携帯電話はつながらないのです。
どんなに政府が東海地震は来る!という高い確率を発表しても、次なる大きな地震はあって欲しくはありません。
ただ、次の地震が来るときにも・・・きっと携帯電話はつながらない 携帯電話が活躍をするのは、地震が起こったもっと先の時点でのことです。
何度も書きますが、地震直後、携帯電話という日頃は何よりも大事に感じている便利ツールは、地震の直後にはどんなに無用の長物になるか、と私達大人は知っています
だからこそ、子どもに携帯電話を持たせたから安心・・・などとほっとして、
「何かあったら、この①のボタンを押すのよ そうしたら、ママの携帯につながるからね」
と教え、パパやママ自身が自分の心を落ち着かせるだけは意味がありません
携帯電話を持させたからこそ、携帯電話に「どういう便利さがあり、どういう問題点があるのか」を子どもの目線にたって理解し、そしてまた「なぜあなたに携帯電話を持たせようと思ったのか」ということを、親がしっかりと子どもが理解できる言葉で伝えてあげましょう
決して「地震があっても、もう携帯電話があるから大丈夫」などと安直なことを言うのではなく、地震が起こった時には、その携帯電話を使って何ができ(何ができず)、どうすれば良いのか?を、再度、親子で話し合い、本当の意味で、便利ツールの携帯電話を活用できるようにしなければ・・・
子どもにとって、ただの「高価なおもちゃ」になってしまいますよ